第153話




 パチパチと向こうの世界でいう囲炉裏に近いものの中の薪が音を立てていた。

 揺れ動く炎をぼんやりと眺め、手渡された温かいお茶を一口飲む。

 仄かな果実の香りと優しい味に、私はホッと一息つけた。


「美味しい」

「そう? 良かった。それはね、今度売り出そうかと思っているパピヨンのお茶だよ」


 そう説明をしてくれるのは、山の中でペタリと座り込んだ私を発見してくれた若い男の人だった。

 男の人は引き出しを開けては閉め、「確かこの辺にあったはずなんだけど」と言いながら先程から何かを探していた。

 私は今、この男の人の家が所有しているという山小屋の中に居た。山小屋は何時ぞやにクラウディウスさんに連れて来られた山小屋と広さはほぼ一緒の一部屋仕様だ。ただ違うのは室内の様子。クラウディウスさんに連れてこられた山小屋は完全に向こうの世界の西洋式だったけれど、此方は何処となく東洋を感じさせた。

 まず靴を脱ぐ。囲炉裏っぽいものがある。まあ、その二点だけなのだけれど。

 今現在、山小屋で一緒の男の人と山の中で遭遇した私は、聞かれるがままに迷子である事を告げた。彼は暫し困った顔をしていたけれど、私をあそこに置き去りにする訳にもいかないと判断したのか、此処に連れてきてくれたのだ。

 パピヨンの村には戻れなかった。なんでも私は結構な距離を移動してしまっていたらしく、これから雨が激しくなるのに村に帰るのは危険だと言われたのだ。

 彼の予想だと、この雨は明日まで降り続けるだろうとの事だった。では明日には村に戻れる、という訳でも無いみたいで、この辺りの山は雨が降ると土壌的にかなり泥濘ぬかるむらしく、村への移動は早くても明後日になるのだとか。

 そんな訳で山小屋での二泊三日はほぼ決定した。

 皆に心配かけちゃうだろうなぁと、しょんぼりした気持ちで二口めのパピヨンのお茶を飲むと、男の人が「あった」と何かを持って私の方へと近づいてきた。


「着替え。濡れたものを着続けていると風邪をひいてしまうからさ。上しか無いけど、大きい物だから膝上までは隠れると思うし、とりあえず着替えて」


 そう言われて彼に手渡されたのは、大きいサイズの長袖Tシャツみたいな服だ。

 私はお礼をいいながら其れを受け取って、着替える為に雨に濡れて気持ちが悪かったロングスカートのウエストのホックもどきに手をかける。けれど上手く外す事が出来なかった。トリエス製のホックは私には扱いが難しいのを思い出す。


「……そういえばユーリウス少年に着せて貰ったんだった。あの、」

「どうしたの? 僕は後ろを向いているから大丈夫だよ?」

「いえ、そうではなく。あの、えっと、あのですね、この留金、外して貰ってもいいですか? 私ってば自分で服が脱げません」

「……え?」

「自分で服が脱げないんです。簡単仕様なボタンだったら良かったんですけど、このブラウスのボタンみたいに飾りが入っちゃうものは難しくって。私ってば、ある人に着せて貰ったんですよね。思い返せば此処に来てから自分一人で服を着替えた事って殆ど無いかも。単純な作りのものならあったんですけど、でも、それであっても数回くらいかな? 練習すらしなかったんですよね、私ってば。なので、あの、申し訳ないんですけど、脱がせてくれませんか?」


 男の人が沈黙した。物凄く戸惑っている雰囲気が伝わってくる。

 まあそうだろうね、と思いつつも、だからといって自分で脱げないものは仕方ない。お願いするしかなかった。


「脱がせてもらえないと私ってば濡れた服を着続けるしかないですし、宜しくお願いします」

「……でも」

「あの、私的には何の問題も無いですから。服を着替えるだけだし。ね?」

「……君がそれでいいのなら」


 躊躇いがちに男の人は言って、くるりと私の方を向いた。

 そして囲炉裏もどきの前で座り込んでいる私の横に膝をつき、そろりとした手付きでロングスカートのウエストに触れる。


「本当にいいの?」

「はい。宜しくお願いします」


 私の腰にフッと解放感が齎された。私には難しいトリエスの留金も彼には何ら戸惑うものではなかったようで、スカートから手を離すと、ブラウスのボタンもサクサクと外していく。それらの作業が終わると彼は私から手を引いた。


「これで一人で着替えられる?」

「はい、大丈夫そう……痛っ」


 まずはロングスカートを脱ごうと少し腰を上げた私は、足に走る痛みに再びペタリとオシリを床につけた。


「捻挫した足が痛む? 待ってて。今、湿布になる薬草の準備をするから」

「あ、えっと、それもあるんですけど、足の後ろ側の全体に擦り傷が出来ていて、それが擦れると痛くて」

「擦り傷?」

「はい。山の斜面を落ちた時に盛大にやっちゃったみたいで。えっと、ごめんなさい。あの、スカートを下ろすのも手伝ってもらっていいですか? 生地と擦れると本当に痛い」


 男の人が小さく息を吐いた。


「分かった。やるけど、今後、こういう事は無闇に他人にお願いしちゃ駄目だよ? じゃあ、触るからね」

「はい、お願いします」


 彼は手早く私を着替えさせてくれた。服を完全に脱いだ辺りで、騎士団の大量の荷物の中にあったから身に着けていた『い・ち・ご』の下着を目にして、少し顔を赤くしてはいたけれど。ちなみに陛下に付けられた大きな宝石のついた首輪には意識が向かなかったようで、なんとなくホッとした。ユーリウス少年が目立つのは良くないと可愛いリボンでグルグル巻きにしたのが功を奏したようだ。

 トリエス版長袖Tシャツを頭から着せてくれた彼は、私の足の擦り傷を見て顔を顰めた。


「これは凄いね。痕が残るようなものではないと思うけれど、広範囲だ。消毒もしないと。俯せになって待ってて。今、色々と用意する」


 そう言いながら彼は私を俯せ寝の体勢にして、毛布を丸めたようなものを胸元付近に差し入れてくれた。立ち上がると移動して、またゴソゴソと引き出しの中を漁り出す。

 少しして目的の物が見つかったようで、それを取り出すと、すり鉢のようなものでゴリゴリと作業し出した。


「その草は薬草ですか?」

「そうだよ。この辺りはパピヨンだけでなく多種にわたる薬草が採れる事でも有名でね。知識があれば、ごく一般的な薬は自前で用意出来たりしちゃうんだ。まあでも、どうしても手に入らないものもあって、そうなると高額な薬代が必要になる。それで苦労している村民が居るよ。王都に出稼ぎに行ってる」

「そうなんですね。えっと、貴方は」

「ミヒェルと」

「ミヒェルさん?」

「ミヒェルでいいよ。気になっていたけど、僕に丁寧な言葉使いも要らない。ただの村人だしね」

「じゃあ、そうしま、じゃなくて、そうする」

「君の名前は?」

「私の名前?」

「そう。なんて言うの?」

「……えっと、あの」


 ―――君が教えてくれた本当の名前は、此処では君と私だけの秘密に。普段は前に教えたフェリシアと呼ぶね。


 ふとクラウディウスさんの言葉が頭の中に蘇った。

 私は毛布の端をギュッと握る。

 クラウディウスさんの事は未だに割り切れていなかった。

 大丈夫なのか心配で、何かの拍子に思い出しては暫く頭から離れない。


「……フェリシア」

「フェリシア?」

「うん、フェリシアっていうの」

「そう、素敵な名前だね。じゃあ、フェリシア、傷薬は出来たから、まずは消毒からするね。結構滲みるとけど、そこは我慢して」


 そう言って、ミヒェルは黙々と私の傷の手当をしてくれた。何かの滲みる液体を少しずつ傷口にかけて消毒をして、ゴリゴリしていた薬草を丁寧に塗っていってくれる。それが終わると、包帯を巻くよと言って、私の両足に器用に巻き付けてくれた。


「傷の手当は終わったよ」

「ありがとう」

「どういたしまして。次は湿布薬を作るから、まだそのまま横になってて」

「うん」


 再びゴリゴリとミヒェルは薬草を擦り出した。

 山小屋内は其のゴリゴリ音と薪が燃える音、そして外の豪雨の音に支配されている。

 それを何となくただ聞いていると、作業をしながらミヒェルが私に話しかけてきた。


「お腹空いてるよね? これが終わったら簡単なものになるけど作るよ。今からだと、軽食程度しか用意出来ないけど」

「何からなにまでありがとう。私ってば、それで十分」

「―――出来た。冷たく感じると思うけど、じっとしてて」


 手拭いサイズの布にモッタリとしたゲル状のものを載せて、ミヒェルは私の捻挫した足首に当てた。

 瞬間、向こうの世界の湿布のようにひんやりとした感触が伝わって、痛めて熱を持った患部にはとても気持ちがいい。

 丸められた毛布に顔を埋め、あまりの気持ちよさに脱力していると、ミヒェルは湿布を固定する為に先程のように包帯を足首にも巻き始めた。


「ひんやりして凄く気持ちいい」

「そう? 良かった。君はそのまま休んでて。軽食を作るから」


 ミヒェルは薬を作った道具を手早く片付け、部屋の端に置いてあった甕の中の水で手を洗ってから直ぐさま何かの粉を練り出した。

 練って、ピザ生地のように伸ばして、それを囲炉裏もどきの炎で熱したフライパンみたいなもので焼いて。何枚か焼き上げると、その上に葉っぱやらチーズやら焼いたベーコンのようなものを載せた。


「フェリシアが持っていた籠に採ったばかりのパピヨンが入っていたよね? 使ってもいい?」

「いいよ。私ってば遭難中にオナカが空いて食べたかったんだけど、そのまま齧っていいのか分からなくて食べられなかったんだよね。なんか皮の見た目的に」

「皮は食べないなぁ。美味しくないし、舌触りも悪いから」


 私と話しながらも手は止めないミヒェルはナイフを手にすると、籠からパピヨンを取り出して皮を綺麗に剥き出した。次第に果実が露わになり、其れを一口サイズに切ると、焼いたピザ生地もどきに載せる。パリッと音を立てて生地を半分に折ると、ミヒェルは其れをお皿に載せた。


「出来たよ。座れる?」

「あ、うん、大丈夫」


 俯せ寝のままだった私は痛みが走らないようにゆっくり体勢を変える。足が包帯だらけな事もあって少々大変だったけれど、それでも無事に座る事が出来ると、ミヒェルは料理が載ったお皿を私に手渡してくれた。


「ありがとう。私ってばオナカがペコペコ。いただきます」

「どうぞ。口に合うといいけど」


 早速、私は頂いたミヒェルの手作り料理を一口齧った。なかなか美味しい。しかも向こうの世界にもある味で抵抗なく食べられる。暫しムシャムシャ食べて、同じく食事中の彼に私は話しかけた。


「これ美味しい。あとあと、私ってば生パピヨン、初めて食べた!」

「そうなんだ。どう? 感想の程は」

「とっても美味しい。瑞々しくて凄く甘いし、食感はライチだね」

「らいち?」

「あ、えっと、そういう果物があるの。それよりね、私ってばパピヨンの村に来て良かった! 生パピヨン、食べてみたかったんだよね! 村長さんの優しそうな旦那さんがね、好きに収穫して食べていいって言ってくれたの。それで皆で収穫競争をして、まあ結局遭難したんだけどね、多分私だけ」


 自分で言ってて凹んできたので、私は再びピザもどきを齧った。やっぱり美味しい。

 そんな私を食べる手を止めてミヒェルは見ていて、少し考えるような様子で口を開いた。


「少し気になっていたんだ。初めは君が無断で果樹園に入ったのかと思ったんだけど、父が許可を出していたんだね。随分と気前がいいな」

「父?」

「そう。村長は僕の母で、その夫が父だよ。僕は村長の息子」

「おおぅ、そうなんだ。あ、えっと、私達、収穫しちゃ駄目だった?」


 ちょっぴり心配になって聞くと、此方を安心させるような笑みを見せてミヒェルは首を振った。


「父が許可を出しているから大丈夫だよ。ただ、そうだな。ねえ、君と一緒に居た人達に、もしかして貴族が居た?」

「貴族?」

「うん」

「居るよ。全体で何人いるのかは分からないけど、もう見た目も貴族にしか見えない人達がチラホラと」


 ヴィルフリートさんなんて特にね? そう思いながらまたピザもどきを食べていると、ミヒェルが納得したような表情を見せた。


「だからか。―――さて、食べたら今夜はもう寝ようか。フェリシアも遭難したり怪我をしたりで疲れたと思うし」


 そう言って早いペースでピザもどきを胃に収めた彼は、床に毛布を何枚も敷き始めた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る