第12章 陛下と私のエピローグ
第152話
「は? 珍獣様が居ない?」
私の護衛を各団長が推薦する他の人に任せて別の作業をしていたディルクさんが、この時、信じ難いといった声を出した。
そしてディルクさんの頭上でまったり寛いでいたウオちゃんも「(結構たくさんの騎士達と一緒に行動してたよね? ボク、今は制約の縛りを受けている最中だから、あの娘の居場所は探れないよ? どうするの?)」と、きゅんぴきゅんぴ言っていたなんて、勿論私は知る由も無い。
「あれ? 皆は?」
何故なら私は絶賛迷子中な事に気づいたばかりだったからだ。
クラウディウスさんの国の領土に設営していたトリエス軍の野営地を出発して、治安が頗る悪くなっているという旧サデヴァの領地を素早く通過して。
そのサデヴァとトリエスの旧国境付近にあるというパピヨン名産の村に、私は軍の皆に連れて来てもらっていた。
陛下の王城に一緒に帰る事になった騎士団は、ヴィルフリートさんのところの第一、ラードルフさんのところの第三、ホルガーさんのところの第五十一、それとディルクさんと何故か姿は見せないという仲間達だ。
クラウディウスさんのお城でお世話になったレネヴィア貴族のエインズワースさんも其処に加わっていて、パピヨン名産の村に向かっている道中、ちょいちょいお話もした。
なんでもエインズワースさんも生パピヨンを食べた事が無いらしく、ちょっと楽しみにしているのだとか。
そんな感じで楽しく安全にパピヨン名産の村に到着して、村に滞在するのに皆はバタバタと忙しそうだったけれど、その間、当然何もする事の無い私は、各団長推薦のよく知らない騎士さん達と一緒に村の果樹園に一足先に向かったのだ。
パピヨン名産の村の人の居住エリアはそう大きくは無かった。けれど、お店と宿の数はそれなりあって、なんでもパピヨンの加工品を仕入れに商人がよく立ち寄るらしい。とは言え、今回の軍の大人数が泊まれるのかというと勿論そんな事はなくて、大半の騎士さん達は村の外れに野営の準備をしなければならないとの事だった。
パピヨンの果樹園はとても広大だった。村の周囲の小山の幾つもがパピヨンの木々に占められているのだと女性の村長さんが誇らしげに語っていた。パピヨンの最盛期は少々過ぎてしまったけれど、まだまだ生っているので、お好きなだけ収穫してお召し上がりくださいと付け加えて言ってくれたのが村長さんの優しそうな旦那さん。なので、それならばと早速私は騎士さん達と一緒に入山したのだ。
私が「美味しそうなの、いっぱい採っていこうね、食べ頃の生パピヨンの収穫競争ね!」と言って、騎士さん達と各々手に籠を持って頑張っていたのだけれど。
収穫しだして少しして、ちょっと小山の端から足を滑らせて落ちて、一瞬だけ気を失っているうちに、目が覚めたら誰も居なかった、というのが今の状況だった。
「えー…私ってば、これ、どうすればいいの?」
暫し呆然として、でもだからといって何か現状が変わる訳でもないので、私は落ちた時に手放して転がった籠を四つん這いになって拾おうとした。
「痛っ!」
けれど姿勢を変えた瞬間に足に痛みが走る。
痛みが走ったのは左足首。そして両足の後ろ側が全体的に。
足首は落ちた時に捻っちゃったんだろうなぁと思われる捻挫の痛みで、足の後ろは盛大で広範囲な擦り傷だった。
私はスカートをお尻付近まで捲り上げて擦り傷をチラリと見てみる。
溜息しか出なかった。
「これさぁ、陛下の服だったら出来なかった傷だと思わない? やっぱりさ、山は長ズボン必須だよね」
そんな愚痴を溢したくなる私の現在の服装は、トリエス王国の村人系庶民服女子版で、トップスは綿だろうと思われるシンプルなブラウス、下は脹脛まである丈の長いスカートだ。
陛下の御下がりとは言わないまでも男物の服を希望した私に、皆が皆、男装をする必要は無いだの、逆に目立つから止めてくれだのと言われて渡されたのが此れだった。
髪型も主に村人系女子がよくやるという二本の三つ編みをユーリウス少年が綺麗に編んでくれて、結び目に可愛らしいリボンも付けてくれていた。
見ているだけで痛くなってくる盛大な足の擦り傷を隠す為にスカートを下ろし、私は転がっている籠を拾った。
そして周囲に散乱している収穫した生パピヨンも全て拾って籠に入れる。
拾い終わって一息つくと、低木の枝に私が穿いているロングスカートの生地の一部が破れて引っかかっているのを発見した。
走る痛みを我慢しつつ、私は四つん這いの姿勢のまま手を伸ばし、破れた布を低木から回収する。
そして其れで慢性アレルギー性鼻炎でムズムズし出した鼻をコシコシと拭いた。
本当に何に反応しているのか、異世界に来ても慢性アレルギー性鼻炎が治る気配は一向に無い。
鼻を拭いた布は、とりあえず収穫した生パピヨンが入っている籠にポイッと入れておく事にした。
それは勿論ポイ捨ては現代日本人にとって決してやってはいけない行為だからだ。
まあ後日、この事を陛下に聞かれて話した時に「追われている訳ではない。発見されなければならない状況で、お前は何故痕跡を残さない? どうしてその場で動かずに大声を上げて助けを求めないんだ? 馬鹿なのか? 何も考えてはいないのか? 態とではないよな? そうだよな?」と、私は両蟀谷を指の関節でグリグリとされた訳だけれど。
「うーん、この場所から上に戻りたいのは山々だけど、どう考えたって登れないよねぇ」
四つん這いの姿勢のまま上を見上げると、結構な高さの斜面を落ちたのが分かる。
斜面には低木や雑草が結構な密度で覆っているので、皆が居る上からでは此方は見えないだろう事も見て取れた。
「この高さから落ちたにしては、捻挫と擦り傷で済んで御の字ってところなんだろうなぁ。よいしょっと」
捻挫したっぽい左足首を庇うようにして私は立ち上がった。
勿論、生パピヨンが入っている籠も腕に通して持つ事も忘れない。
足の捻挫も擦り傷もなかなか痛かったけれど、私は片足を引きずりながら歩く事にした。
「登って上に戻れないんならさ、回って戻るしかないよね? 山だし、ぐるっと回り道すれば其の内に登る道が絶対に出現するはず。ていうか、もうさぁ、あんなにたくさんの騎士さん達と一緒に生パピヨンを収穫しに来たのに、なんで誰も私が落ちたのを見ていないんだろう? だって落ちたのを見ていたら普通、『おーい、大丈夫か?』とか上から声をかけてくるもんね?」
そんな事をブツブツと言いながら片足を引きずって山を歩く私は知らなかった。
私の行方不明を知ったディルクさんも眉間に深い皺を寄せ、額に青筋を浮かべながら同じような事を口にしていたなんて。
兎にも角にも私は皆の所に戻る為に山を歩いたのだった。
晴天だった空がゴロゴロとし出した事にも気づかずに。
捻挫した足を庇いながらも私は結構な距離を歩いたと思う。
山の風景も特に代り映えはしない。でも、だからこそ完全に迷子になったとも言えた。
「拙いよねぇ。もう何処を歩いているのか全く分からないんだけど」
落ちた斜面に沿って歩いて登りの道を探していたはずなのに。今頃は皆のもとに戻って村に帰っていたはずなのに。
「オナカ空いた。足が痛い。ちょっと肌寒くなってきたし、なんかさ、小雨も降ってきたよね。……辛い」
オナカは空いたけれど、生パピヨンの食べ方が分からなかった。皮は薄そうなのだけれど、見た目がちょっと毒々しいのだ。誰かに聞かないと齧る勇気が出ない。
痛む捻挫した足首に体重をかけないようにして一旦立ち止まり、私は周囲を眺めた。
辺りは薄暗くなってきていた。陽が落ちてきているのもあるけれど、空を暗い雲が覆ったのが一番の原因だろう。
「山の天気は変わりやすいって言うしねぇ。土砂降りになったら、本当にどうしよう」
小雨で湿ってきたブラウスに肌寒さが増強されて、私はフルリと震える。
両掌で腕を擦ってみたけれど効果は当然殆ど無い。
こういった場合どうしたら良いのか本気で分からなくて、私は草が生い茂る地面にペタリと座り込んだ。
足の痛さが限界に近かった。
「異世界転移モノの有りがち展開でさ、転移した先が森の中で、第一異世界人とも遭遇できずにサバイバル生活に突入とかさ、彷徨っている間に魔獣に遭遇とかあるけどさ、嫌だよ、私ってば。此処まできて、その展開は流石にちょっと心が折れちゃう。だったら最初から其の展開にしてって感じだよね。陛下の部屋の快適さを知っちゃってるだけに、今更、無理だなぁ」
魔獣には会いたくないなぁ、こんなに足が痛いのに逃げられないよ、あれでもこの世界って魔獣って居るのかなぁ、陛下に聞いた事ってあったっけ? と独り言を言いながら、私は籠の中の生パピヨンを無意味に触って転がしてみる。
足が痛くて此れ以上は歩けない。降っている小雨も少しずつ強くなってきている気がする。
痛い。寒い。オナカが空いた。
でもどうしていいのか分からない。
皆はきっと探してくれているだろう。けれど、少なくともまだ暫くは発見されない気もする。
一晩、雨に打たれながら此処で地面に座って待っていればいいのか、空腹や痛みはともかく、果たして寒さには勝てるのか。
そんな事をツラツラと考えていると、カサリと葉の擦れる音がした。
それに私はビクリと体を震わせる。
勿論、魔獣だったら恐怖でしかないからだ。
音がした方へと恐る恐る目を向けた。
そして私の視界が捉えたのは魔獣ではなく―――。
「こんな所に座り込んで一体どうしたの? もう直ぐ完全に陽が落ちるし、雨も酷くなってくると思うけど」
そう言いながら不思議そうに首を傾げて私に近づいてきたのは、ディルクさんの髪色に似た亜麻色の髪を後ろでひとつに縛った青い色の瞳を持つ若い男の人だった。
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