第122話




「……痛いっ」


 クラウディウスさんが頭を冷やすと山小屋から出て、私の体内時計で三十分が過ぎた頃、押し寄せる酷い腹痛にジワジワと脂汗を滲ませて、私は寝台の上で体を丸めて一人で耐えていた。

 前回の時には嘔吐だけだったのに、今回は腹痛が酷い。

 トイレに行きたいとか、下す感じは全くしないのだけれど、とにかくオナカがキリキリと痛くて重くて仕方なかった。

 体温も何だか上がってきた気がするのに、手足の先は酷く冷えていて震える程に寒い。

 先程クラウディウスさんが体に巻き付けてくれた外套のようなものを痛むオナカに重点的に巻いて、私は苦しくて荒くなる呼吸をただ繰り返した。

 そんな時、私の呼吸音しか聞こえないはずの静かな室内に、トンとかドンとかいう音が床下から聞こえてくる。

 そこに掠れていく視線を向けると、何度か音を鳴らした木の床材の一枚がガタリと横に動いた。


『―――潜伏、隠密行為、強行軍で国を跨いでの移動、そして土まみれだ。王なのに。幾ら在位が間もないといってもウチの者らの俺への扱いが酷すぎないか? ……まあ、出来るのが俺だけのものも多いから仕方ないのは分かってはいるが』


 ブツブツと文句を言うような口調で独り言を口にしながら床下から現れたのは、陛下の誕生日の時に少しだけお話した事のあるダルスアーダ王のサイードさんだった。

 前回に会った時と違って、ターバンのようなものにも、纏う服にも腕にも指にも、宝石などの装飾品は一切身につけていない。

 彼は床下から室内に這い出ると、その場で土を払うように軽く叩き、シンジュツの淡い光に照らされる室内を一度だけ見渡した。

 そして最後に私を目に留め、迷う素振りを少しも見せずに此方へと近づいてくる。


「よし、とりあえず生きているな? 元気そうには見えないがな」


 ターバンから見える漆黒の髪を揺らし、シンジュツによる明かりに瞳を黄金へと変えている彼は、尊大な態度で遠慮の欠片も無く私が蹲っている寝台に座った。


「陛下違いだが、俺が来た。この事はまだトリエス王は知らない」


 言いながら、滲む脂汗ごと私の前髪をグシャグシャとサイードさんは掻き混ぜる。


「随分と苦しそうだが……」


 サイードさんはそこで一度口を閉じた。視線は私から小テーブルへと移動している。

 クラウディウスさんが置きっぱなしにしていた小テーブルの上の小瓶を彼は手に取り、中の黒い粒を揺らして、黄金の瞳に思考の色を浮かべた。


「―――成程な。原因は此れか」


 そう言って小瓶を元の位置に戻した彼は、腕を組んで「うーん」と唸りながら眉間に皺を寄せる。


「こういった場合、少しの残滓も許さないガルダトイアの王太子。きっと此処ぞとばかりに利用し尽くすであろうトリエス王。寛大に諸々の全てを受け入れて心穏やかに過ごさせてやるダルスアーダ王である俺。どう考えても俺が一番いい男だと思わないか?」


 なのに国力差のせいで、内輪揉めを繰り返し続けた阿呆共のせいでと、やさぐれたように続けながら、サイードさんは懐から二つの小瓶を取り出した。小瓶のサイズはクラウディウスさんが所持していたものよりも幾分大きい。


「ひとつは最高品質の栄養剤。もうひとつはダルスアーダ王族のみに伝わる秘薬だ」


 サイードさんは小瓶を私によく見えるように目の前で揺らした。


「其方に此れを今から飲ませる。素直に飲んでおけ。悪いようには決してしない」


 小瓶のひとつを一先ずといった様子で寝台に放り、手に残した小瓶の蓋をポンと弾くように彼は開けた。

 そして私の首後ろに腕を差し込み、少しだけ私の頭を彼は起こす。

 私の口元に小瓶の縁が当てられた。


「飲め。ただの栄養剤だから安心していい」


 小瓶からドロリとしたあまり喉越しの良くない液体が私の口の中に入ってきた。

 味は美味しくは無い。少しの苦味と青臭さがある感じだ。

 続く腹痛と霞む視界、熱が出てきたようなのに冷える末端症状に、私は抵抗する気力が少しも起きなくて、流し込まれるままに少しずつ其れを喉に流していく。

 そんな私の様子を黄金の瞳に映しながら、サイードさんが再び口を開いた。


「飲みながら聞け。本来なら此処から其方を連れ出し、トリエス王の許に無事に届けて特大の恩を売りたいところだが、悪いが其れは叶わない。強力なものではないが、クラウディウスがこの小屋全体に膜を、結界のようなものを張っていてな。俺の持つ微々たる神力では、クラウディウスに気づかれないように出入り出来るのは俺自身だけになる。其方も、俺の臣たちも、ましてやトリエスの者達は、クラウディウスに気づかれずに事を起こす事は不可能だ。トリエスの者ならば力業を繰り出しての救出も叶うのだろうが、我々ダルスアーダに其れは出来ない。トリエスがどう動くかの確証が無い以上、ガルダトイアを敵にまわせないからだ」


 サイードさんが一旦、私の口元から栄養剤の入っているらしき小瓶を離した。

 続けて飲み続けられなくて、口の端から伝い零れてしまったのが分かったからだろう。

 ほんの少しだけ休憩をくれて、彼は再び私に栄養剤を流し込み始めた。


「神力についての話を少しする。この大陸の各王族の血脈には、古より受け継がれた神力というものがある。その力については、クラウディウスが使ったのを見ただろう? あれだ」


 彼の問い掛けにコクリと首を僅かに動かした私に、サイードさんはまた少しの休憩を取ってくれた。

 小瓶の中身はあと少し。それを互いに視界に入れて、私は栄養剤を飲むのを再開させられた。


「神力というものは確かにある。各王族らは其れを重視し、誇りを持ち、しかし其の存在は極一部の王族のみぞ知る秘されたものとして脈々と受け継がれてきた。だが、長い年月の中で各国の王族らは徐々に力を失っていった」


 栄養剤の入った小瓶が空になった。サイードさんは私の口元から其れを離すと、飲み終えた小瓶を懐にしまって布を取り出す。


「口を拭くぞ? ―――話を続けるが、そうだな、分かりやすい例を出すのなら、俺と其方が初めて会った日に、レネヴィアとラガリネの王らが居ただろう? あそこの血脈は既に神力を完全に失っている。王族の誰一人として神術を使えず、今後も発現は難しいだろう。俺の国も例外ではない。長きに渡る身内争いで有用な直系の血を失い続けた。結果、昔なら歯牙にもかけられない程に微弱な神力しか持たぬ俺が王となれる」


 口元をゴシゴシと拭かれていた布が外された。サイードさんは其れも懐に押し込むと、先程、寝台の上に放ったもう一つの小瓶に手を伸ばした。


「レネヴィアとラガリネの王らを見て分かるように、たとえ力を失っていても誇りだけは残っている。故に、古の神力の血脈とは無縁な新興のトリエス王族は王族とは認められない。格下として見下され続けるという訳だ。非常に馬鹿馬鹿しい事だが、高すぎる矜持が当然のように其れを成す。トリエス側は国を興してから疑問の連続だった事だろう。周囲の国を凌駕する程に国力を上げても態度の変わらない他国の王族に。そういう意味では、今のトリエス王はよくやっている。優秀が過ぎると言っても過言ではない。じわじわと染みが広がるように、真綿で首を絞めるように力を削いで、そして突如、鋭く強靭な牙を見せて喉笛に噛みつき、強大な力で捻じ伏せる。つまり、折れる事を知らなかった高すぎる矜持を維持し続ける事が出来ない程に脅威だという事だ、彼は」


 サイードさんが手にしている中身の入っている小瓶を上下に振り出した。沈殿したもの均等にしているのかもしれない。

 数回振って、彼は蓋を指で弾くように外した。


「俺はずっと不思議に思っていた事がある。長い年月を経て、各国の王族らの大半が力を失っていく中で、何故、ガルダトイア神王国だけはある一定の神力を維持し続ける事が出来るのかと。ガルダトイアは最古の歴史を誇る国だ。その長い歴史の中で、最初に力を失っても全くおかしくは無いのに」


 クラウディウスさんによって作られた淡い光に、サイードさんの黄金の瞳の煌めきが増す。

 その獅子を連想させる黄金の瞳が、私を強く見続けていた。


「絡繰りの一端が分かった。其方だ。其方のような存在が、恐らく、ある一定の期間をおいて現れるのだろう。そして混ぜられているんだ。ガルダトイア王族の血脈に」


 そこまで言ってサイードさんは息をついた。

 そして私の口元に、もうひとつの小瓶を当てる。


「其方に今話した事の全てと、其方の状況、他にも付け加えてトリエス王に親書を送る。優秀過ぎる彼の事だ、俺が分かった以上の事を理解し動くだろう。俺が出来る事は残念ながら此処までだが、其方はトリエス王を信じろ」


 口の中に、ゆっくりと液体が流し込まれ始めた。

 先程のよりも格段に飲みやすくて、ただの水に近い。喉が渇いていた私には、とても嬉しい飲み物だった。


「其方は当分の間、意識を混濁させてしまえ。あれば其方には辛く、周囲には面倒しか生まないだろうからな。……まあ、此処までやっても万が一にもトリエス王との仲が拗れるようなら、俺の国に逃げて来い。衣食住の保証はしてやる。望むのであれば俺のハレムに入ってもいい。其方の食べっぷりは見ていて気持ちがいいから、美味いものを一緒に食べて過ごすのも悪くない。我がダルスアーダのハレムは、トリエスの先代がウチを真似て急拵えに作ったような紛い物でないはないぞ?」


 私がサイードさんの言葉を理解できたのは其処までだった。



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