後編

「先に帰るとか、ひどくない?」

 昨夜の自身の記憶の照会をするべく早朝早速早織を捕まえて問いただしたところ、私が個室に引きずり込まれたのを目撃した瞬間に、全員蜘蛛の子を散らしたようにその場から立ち去ったということらしい。

 その状況から推理するに、私は自分の足で家まで帰り、ベッドに入って眠ったということになる。少なくとも彼女たちには一緒に旧校舎へ行った記憶があるので花子さんとのやり取りが夢や妄想でないことは間違いないようだった。

「ごめんって。でも何もなくてよかった。今度何か奢るから」

 そんな女子高生らしい会話をしているとホームルームが始まるチャイムが鳴り、生徒が席に着き始める。早織も自分の席へと戻っていった。

(妄想でも夢でもないなら、また後日会いに行かなきゃいけないわけで)

 流石に即日会いに行く元気もなかったので、次に夜中の旧校舎へと訪れたのは三日後になっていた。


『今日はそのままでいいわ』

 トイレに到着するや否や、そんな声が響いた。どこから見ているんだろうか。

『今日は一人なのね』

「この間、私が個室に引き込まれたのを見て、誰も来ようと思わなくなったみたい」

『へえ。別のグループはまた来たよ。何人かはけど』

(……流した?)

 行方不明にした、の言い換えなのかやさしそうな声色の裏側を感じた瞬間だが、それは一歩間違えれば自分でもあり得ることに気が付き、フレンドリーな彼女にかけるには似つかわしくない機械的な返事をする。

「そう、で、私を別の日に呼び出した理由は?」

 若干の感覚を置いて、花子さんは話し始めた。

『確かに、あなたをつけまわしている男はいる』

 私は、再度突きつけられた『認めたくない事実』に背筋が伸びる。だが、次に思ったのは別の事だった。

「私は、どうしたらいいの?」

 直接的な解決は諦めている。何故なら犯罪を完全に防ぐことができないと何度か聞いたことがあるから。

 自分ができる事をする。そうすることが幼い頃からの処世術でもあった。

『あなたができることはない。残念だけど、相手はあなたの想像を超えてる』

「……え?」

『そうね、私を信じてくれるなら』

 風がガタガタと窓を揺らす。スキマ風に扉も音を立てる。

『今は帰らない方がいいかも』

――もしかして、今もけられていた?

「いるの? 外に?」

『そうじゃないけど、そうなるかもしれないから』

 意味が分からない。

「なんなの? 分かるように言って!」

 私は、つい声を荒げる。

 どうして不安をあおるような言い方しかしないのか。

 彼女は、私が狼狽する姿を見たいのか。

 顔が見えない。声から感情が分からない。

 分からない。

 分からない。

 何で自分がこんな目に合っているのか。

 何で自分だけが苦労しているのか。

 何で……

『……いっちゃった』

 私は、思わず走り出していた。


 学校から家へは少し距離がある。

 いったん校舎の外に出たときには強い風に煽られ、知らずに流れていた汗によって体を一気に冷やす。思わず足が止まったが、瞬間的に冷静になった。

「……何よ、どうせ誰もいない」

 宿直の職員さんもこの時間は見回りに来ない。それでも校舎の明かりを遠目で見つつ裏の勝手口へ向かい、敷地の外へ出る。

 そのまま表通りに出ると未成年の深夜徘徊に見つかるので、慎重に道を選ぶ。ただ、こんな真夜中に人気の有る道などあるはずもなく、ただ一人の足音がいつもの道に木霊していた。

「さすがに、いくらなんでもこんな時間には尾けてこないでしょう」

 街灯が照らす足もとの光がこれほどまでに頼もしいと感じたことはないだろう。

 一歩、一歩と自宅へ近づく。

 あと四件、三件……

 と、最後の曲がり角に差し掛かった瞬間、右の方から唐突に視線を感じた。

 私は「まさか」と思いながらも、顔の角度は変えずに視線をそちらへ向ける。

 おかしい。

 暗闇なのに。

 見えないのに。

 いるのが分かる。

 誰かがこちらを見ている。

 背筋に水を浴びたように冷たくなり、曲がるはずの角をそのまま速足で直進した。

 だが、同じ速度でないにしてもその影もこちらに近づいてきた。

(嘘でしょう!)

 私はつい足早にその辻から立ち去ろうと足を速める。

 と、その動きは唐突に停止させられた。

「きゃっ!」

 何か大きなものにぶつかった。思わず尻餅をつきそうになったがそれを衝突したによって阻止された。

「大丈夫です…… って優子ちゃん?」

「園田さん?」

 ぶつかった大きなもの…… 園田さんは、倒れそうになった私の手を取って転倒を防いてくれた。

「こんな時間になにを」

「追われているんです! 助けてください!」

 つい口にしてしまった。が、今はそれよりここから離れたいという一心で知り合いを利用してしまった。

「っ! こっちだ!」

 掴んだ手をそのままに園田さんは走り出した。私もそれに合わせて駆けだす。いったん自宅から離れるがそれも仕方ない。方向的には学校に若干近づくが、街灯の多い公園の近くまで一気に走った。

「どこか、やり過ごす場所がいいが…… あそこなら」

 園田さんは少しあたりを見回してから、まだ明るい公衆トイレを見つけてそのまま私と一緒に多目的トイレに駆け込んだ。

「ふう。ここなら」

「ありがとうございます、園田さん」

園田さんは鍵を閉めて、暑そうに上着を脱いだ。

「まったくダメじゃないか。こないだも似たような時間に家にいなかったし」

「ああ、あれは……」

――え?

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