中編

 後日。

 深夜二時半。

 学校の裏手にある勝手口は施錠が甘く、強く柵を揺らすことで簡単に外れる。

 だが、それを悪用するのはごく一部の生徒だけで、しかも決まって旧校舎へと向かうため、見回りに来る職員の目にはまず入らない。

 優子わたしを含めた五人の女子たちは、そんな勝手口から旧校舎の昇降口より侵入し、足音を殺しながら三階の女子トイレへと向かった。

 パタパタと音がするのを怖がって何も履かずに歩くリノリウムの冷たさに早い冬を感じながら、一同はトイレに到着する。

 さすがにこの先も靴下のままでは、と持ってきていた簡易スリッパをそれぞれが履き、まずは智美(早織の友達)が花子さん呼び出しに名乗りを上げた。

 一番手前の個室の前に立ち、こんこんこん、と三回ノックしたあとで、

「花子さん、いますか」

 答えは無い。続いて一つ奥の前に立ち、同じようにノックする。

「花子さん、いますか」

 もちろん答えは無い。次で最後の個室だ。さすがに全員が緊張する。

 先ほどよりも少し間をあけて、智美はゆっくりとノックする。

「……花子さん、いますか」

 微妙な沈黙。

 やはり、ガセだったのかと全員が疑い始めたその時。

『はい』

 と、小さいながらもトイレ全体から響いたような声が鼓膜を揺さぶる。

 一瞬で緊張が走る。ここで質問が途切れると、噂では行方不明になると言われている。「はやく!」「質問!」と観衆がはやし立てる中、智美はとっさの事で思いつく質問がなかったのか、

「あ、えと、同じクラスの山本君に好きな人はいますか!?」

 という突然の恋愛トークを怪談相手に振ってしまった。

 他のみんなも「いくら唐突に話題を振られたからって、それ?」っていう顔をしているが、いったん智美にこれと言った変化が見られなかったので本人はとしている。

『特にいないみたい』

 安心したのも束の間、なんと答えが返ってきた。

「あ! ああ、ありがとうございます!」

 まさかなやり取りができると思っていなかった智美は、突然の返信に驚きながらも礼を言って一同の最後列まで下がる。

「マジで…… 私もやってみる!」

 触発された真由香(彼女も早織の友達)も、静かになるまで待ったあとで入口付近の個室をノックしていく儀式を始めた。三つめの扉をノックした後ほどなくして再び花子さんが呼びかけに答える。

「えと、次の数学のテストに自信がなくて、どの辺が出るとかわかりますか?」

『……鈴原は図形問題を出そうと考えてるみたい。ヤマを張るならグラフを勉強した方がいいかも』

 鈴原と言うのは、私たちを担当している数学教師だ。

 質問した当事者は「なるほど」と感心していたが、その他の人間は背筋がうすら寒くなるのを感じていた。

「ねえ、なんで花子さんが鈴原のことを知ってるわけ?」

 智美の声にようやく真由香も事の異常に気が付いた。

「え、あ、確かに…… なに、これ本当にヤバいやつ?」

 さすがに疑いようのない異常な怪異との遭遇を自覚した一同は、一人を除いてもう醒めたムードになっていた。

 その一人は、静まり返ったトイレの入り口から再び儀式を開始した。

 こんこんこん「花子さんはいますか」

 こんこんこん「花子さんはいますか」

 こんこんこん「花子さんはいますか」

 流れるような作業を終えて、奥の個室から『はい』と声がした。

「ストーカー被害で困ってるんです。解決方法はありますか」

 数秒の沈黙。ストーカーが分からないのか、解決方法がないのか。しかし、沈黙を破ったのは花子さんの声ではなかった。

 閉まっていたはずの個室の扉が、油の切れた軋みをあげて開いたのだ。

『詳しく聞きたくなったわ。入って』

 そう言って、尋ね人…… 私は、花子さんのいる個室へと引きずり込まれた。


 中は和式の便器があるだけの小さな個室だが、一番外側の個室であったので窓があり、外の月明かりが個室の中を青白く照らしていた。

 洋式便器ならタンクがあるはずのスペースには、真っ黒のセーラー服を身につけた年のころが同じくらいの女子が角の方に立っていた。艶のあるまっすぐな長い髪はへその近くまであり、前髪はきれいに整えられている。しかしその表情はちょうど月を背にしているせいか、顔立ちまではうかがい知ることができなかった。

『すとーかー、ということは誰かに後を付けられたり襲われそうになったりしてるの?』

 囁くような甘い声が耳元で響く。

「え、ええ。部室の物がなくなったり、視線を感じたり……」

 私はそのとき、もっと彼女を観察するべきだった。だが、深夜の緊張と妙な解放感、何より花子さんからあふれる不思議なプレッシャーを受けて、それ以上の疑問を持つことができなかった。

『へぇ…… ふうん。なるほどね』

 花子さんはこちらを見ているのか見ていないのか、顔はこちらを見ているがその瞳には私が映っていないらしく、虚空を覗き込んでは不思議と頷いている。

『あなただけ、別の日に来てみて。その時に力になれるかも』

「わ…… わかったわ。ありがと――」

 外に出られる、そう安心した瞬間、私の意識は突然途絶えた。


 次に気が付いたときは、自分の部屋のベッドの上だった。

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