第8話 死との親密度

 私が僧侶になって一番驚いたことは、家族の死を悲しまない人の多さであります。




 一周忌にお呼ばれされ出席すると、子どもたちが淡々と厳かに食事をしている傍らで、大人は故人の愚痴を言い合い、相続について不平を延々との給う光景は珍しくありません。


 はじめの頃は、彼らを憐れんでいた私ですが、最近になって考えることは、故人を偲び尊ぶことの方が実は特別なことなのではないかと。

 

 ある地域では、子どもは単なる労働力であるとみなされ、仮に亡くなっても日本の様な風習はないそうだ。それは、きっと「死」いうものが普段の生活にあるのだと、彼の人は言っておりました。


 私も、仕事柄「死」というものには慣れてはおりますが、私は自分の家族が亡くなった時には、純粋に悲しみ、泣こうと思うのです。

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