第11話 美結

「――つまり、全校生徒の前で告白されたって事? のろけ話じゃん。聞いて損した」

「どう聞いたらその解釈になるんだよ」

「まったく。アイツもクソ女だったし、お兄ちゃんって昔から変な女に好かれるよね」


 呆れ混じりに溜め息を吐いた美結が、ミドルブラウン色の木製学習机の方へ顔を向けて、机の上に置いてある写真立てを睨んだ。


 俺と美結と幼馴染みの彼女、幼い頃の三人が写る写真。

 初めてサイドテールの髪型にして照れて微笑む美結を挟んで無邪気に笑う俺達が写る、懐かしい思い出。溢れんばかりの笑顔で、見ているだけで頬が緩んでしまうような、幸せを形にしたかのような、そんな一枚。


 それを美結は汚物でも見るかのような嫌悪感に満ちた眼で一瞥した。


「その写真まだ飾ってるの……? 気分悪いんだけど。もうアイツのことなんて忘れてよ」


 彼女の件で色々な事があった今では仕方のないことだと理解してはいるが……それでも、妹が昔は姉妹同然に仲良くして慕っていた彼女を「アイツ」呼ばわりして貶す度に、胸が強く締め付けられて苦しくなる。


「ともかく――。あの女は【可能性】で俺以外の全員を洗脳していた」

「でも、全生徒も教師も操られていたんでしょ? そんな凄い【可能性】ならもっと前に話題になってそうな気もするけど、聞いたこともないよね」


 確かに神羅の【可能性】の影響力は恐ろしいものだし、今までも今日のような突飛な行動を繰り返していたのならメディアに取り上げられていそうなものだが、調べたところ彼女に関する記事は一つも見当たらなかった。


 インターネットで『万象神羅』と検索しても、不自然なくらいに検索結果は零。

 何かしらの方法で情報規制でもしているのだと思う。他人を意のままに操れる力ならばそれも不可能ではない。


 うーんと唸っていると、美結が冷めた目でジロリと睨んできた。


「薫先輩も同じクラスだったんでしょ? モテモテじゃん、お兄ちゃん」


 皮肉としか思えない口ぶりだ。

 美結は中学ではテニス部で、去年まで薫の後輩として溺愛されていたので薫にとても懐いている。俺に嫉妬しているのだろう。


「本当にモテたらいいんだけどな。そういう美結はどうなんだ?」

「え!? わ、私!?」


 予想外の切り返しだったのか、美結は慌てふためいていた。


「俺が消えて少しは変わったか? どちらにしろ近寄ってくる奴は許せないが」


 以前までは美結も『あの式神結人の妹』という厄介者のレッテル貼りをされ、異性に言い寄られる事などなかったようだが、今ではその弊害も薄まったことだろう。


「そ、そういうのは全部断ってるから」

「なら良いけど、兄としてはやっぱり不安だ」


 美結は決して弱々しさはないが華奢な体躯で胸も大きいわけではないから、身長差のある俺が上から見ると、開けた胸元から乳房と腹部が丸見えになっている。


「胸見えてるぞ。外では気をつけろよな」


 胸元を指さして指摘すると、美結は顔を真っ赤にしながら胸を隠して反対側へと飛び退いた。


「ど、どこ見てんのよ、信じらんない!!」

「意識せずとも見えちゃうこともあるから、外では注意しろって話をしているんだ」

「…………やっぱりお兄ちゃん、私のことそういう目で見てたんだ」

「見てねぇよ! ただ心配なんだ、兄として」

「でも小学一年生の頃、お医者さんごっこって言って検診のふりして何回もおっぱい揉んできたよね? しまいには「薬つけてあげる」とか言って舐め――」

「すみませんでした。好奇心だったんです。誰にも言わないでください」


 迷いなく土下座した。

 人生終了を避けるためなら誇りなんて安いものだが、純真無垢だった幼い頃の過ちを切り札にするなんて卑怯だ。


 顔を上げると、訝しむような曖昧な表情を見せていた美結が、やがてぽつりと呟いた。


「今でも……触りたい?」

「は!?」


 四つん這いになった美結が、羞恥心からか耳まで真っ赤にしてゆっくりと寄ってきた。

 谷間が丸見えになっていて、思わず目が留まる。


「お兄ちゃんがしたいなら……良いよ。でも、その代わり――」


 掌を俺の顎の方へと伸ばしてきた。そこで、


「小遣いはないぞ。金欠なんだ」


 意図を理解して先に拒否すると、美結がムっとした表情に変わって頬を膨らませた。気付けばその眼がルビーのように妖艶で鮮やかな赤色に変色している。


 美結は【甘得上手あまえじょうず:自分に好意を抱いている相手へ上目遣いを向けると最大限に甘やかしてもらえる】の判明者。


 幼い頃の美結は無意識のうちに【可能性】を使って爺ちゃん婆ちゃんに甘えまくり、お年玉ってレベルじゃねぇ額を貰おうとした。それを俺が叱って我に返らせて三千円に減額させ、美結に泣き喚かれて逆恨みされた。懐かしい記憶だよ。


 以来それを根に持った美結は、俺には【可能性】の影響はないと分かっていながら、時々こうして【甘得上手】で小遣いを要求してくる。


 きっぱりと断られた美結が、虹彩を元の茶色に戻して「パパに貰うからいいもん。お兄ちゃんのバーカ」と口を尖らせながら立ち上がった。

 そしてドアノブに手を掛けたところで――


「美結。その髪型、似合ってるぞ」


 不意に褒め言葉を投げたが、美結は驚くこともなく呆れたように微笑み、


「お兄ちゃんそればっか。ま、ありがと」


 と言い残して部屋を去った。

 

 美結は自分の髪型に強い想い入れがあるので、こうして褒めることでご機嫌を取れる。最初は照れていた美結も最近は特にリアクションをしてくれなくなったのが少し悲しいが、これで親父の小遣いは絞り取られずに済むだろう。


 ふぅと息を吐くと、なんだか一気に疲れた。


 散々な高校生活初日だった。

 謎の【可能性】を持つ美少女が入学式に乱入してくるし、教師と相談員には怒鳴られるし、美結にはからかわれるし、対処方法は思い浮かばなかったし。


 万象神羅のことを考えると頭と胸が痛んできたので、今日は考えることをやめた。


 パパッと風呂を済ませ、歯を磨き、自己紹介の練習を終え、ベッドへ倒れ込む。

 すると自分が思う以上に疲労が溜まっていたようで、瞬く間に意識が遠のいた。

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