第9話 思い出話

 正面に座る薫が琥珀色の目をキラキラと輝かせ、ストロベリーソースのかかった生クリームを幸せそうにワッフルへ塗りたくりながら話題を振ってきた。


「明日の自己紹介、楽しみだね。皆と仲良くなれると良いなぁ」

「薫なら余裕だろ、誰とでも親しくなれる【可能性】なんだし。問題は俺だ」

「ふふふ。私の真の【可能性】に気がついていたとはね」


 判明者にとっての自己紹介という言葉には、名前や趣味や所属予定部活動など基本情報に加えて、自分の【可能性】について説明するという意味も込められている。周囲への影響や、それを抑制するための要望なども含めて語るのが常識だ。


 どんな【可能性】だろうと、【絶対拒否】の俺に影響は無いのだけれども。


「なんて挨拶しよっかなー。どうする? 結人の許嫁ですって言って驚かせちゃう?」


 ニヤついた薫に言われ、俺は手が止まった。

 口元へ運んでいたコーヒーカップをゆっくりと下ろす。


「…………吉田先生には冗談が通じなそうだし、今回は洒落にならないだろ」

「あはははは! 中学時代はアイツのせいで大変な目に遭ったもんね!」

「…………ああ、そうだな」


 三年前の記憶が蘇る。


 幼い頃から、俺はとある【可能性】を持つ幼馴染みの少女に死ぬほど偏愛されていた。


 中一の時、俺と同じクラスになった彼女は強制的に参加させられた自己紹介で『結人と私は愛し合ってて性行為も済ませてるから。私達二人に干渉してくる奴は本気で殺す』なんて、ぶっ飛んだ自己紹介をしてくれた。

 

 当然の如く俺は今でも童貞なわけだが。


 おかげで俺と彼女の噂は瞬く間に全校生徒へ伝播し、好奇の目で見られることになった。俺は教師陣に酷く説教されたし、誤解を解くことはできなかったし、同級生達との関係も好感度がマイナスに振り切れた状態からのスタートになった。


 そして結局その好感度がプラスの方へ傾くこともなく、嫌がらせをしてくる奴等と闘う日々になったわけだ。


 その点、この薫だけは最初から偏見なしで俺に優しく接してくれて、本当に救われた。


「アイツがいなければ中学の頃からもっと結人の匂いを嗅げたのにさ!」

「…………ナイフで脅されても俺に近寄ってきたのは薫だけだったな」

「話かけるのでさえ命がけだったんだからね!」


 薫は俺との接触の多さから幼馴染みの彼女に強く憎まれ、敵対して物理的な危害を加えられそうにもなった事も度々あったが、今でもこうして俺と仲良くしてくれている。


 一年前、その彼女が起こした事件で俺が精神的に参っていた時期も、薫は何度も励まして心の支えになってくれた。


 薫が今この話題を出したのも、俺に昔の事は忘れて高校生活を楽しんでほしいという気遣いからだろう。本当に優しい子だ。


「まったく、何度アイツを殺してやろうと思ったことか分からないよ」


 本当に、優しい子だ。


 左胸がズキズキと痛んできたので、疼痛と苦い思い出を打ち消すために甘いワッフルを口へ運び、沢山シュガーを投入してかき混ぜたコーヒーで勢いよく流し込む。


 薫はこんなにも美味しそうに食べているのに、俺は味を感じられなかった。


「それより、薫は高校でもやっぱりテニス部に入るのか?」

「勿論! 結人は? ここは女子テニス部と男子テニス部が合同で練習してるみたいだし、一緒にテニスやろうよ。お姉ちゃんが手取り足取り教えてあげるよ」


 手取り足取りか。いかがわしい妄想が捗るし、悩ましいな。


「そうだな。高校じゃ色々な事をしてみたかったし、取り敢えず仮入部はしてみるかな」

「言ったね! 約束だよ! 結人は運動神経良いしきっとモテるよ。私も惚れちゃうかもよ」

「よく言うよ。他の部も見てから決めたいしアルバイトも始めるつもりだから、正式に入部するかは分からないけどな」

「顔赤い、照れてるでしょ! 甘酸っぱいレモンの匂いがしてきてるんじゃないの!」


 腰を浮かせて椅子を動かしながら横に座ってきた。キスを求めるかのように瞼を閉じて顔を突き出してくるが、額を押して席へと戻す。


「お座り。俺からはレモンの匂いはしないだろうが」

「結人のケチ。私のこと愛犬って言ってたワン。もっと私を愛してほしいワン」


 そのワードを聞いて、今朝の光景がフラッシュバックした。絵本から現実に抜け出して来たのような金髪紅眼の美少女が「私を愛しなさい」と言い放った、あの光景を。

 周囲の人々は完全に我を失い、彼女を愛する虜となっていた。


 なんだか思い出すのが怖くて、認めるのが嫌で、俺は敢えてあの出来事に触れていなかった。それに入学式後は誰ひとり神羅の名前を口にしなかったから、どこか夢心地ですらあった。


 もう一度だけ、聞いてみるか。


「なぁ薫。今朝、神羅って新入生が居ただろ?」

「うん」


 そこは否定してほしかったが、やはりあれは現実か。


「彼女のこと、どう思ってる?」

「愛しているよ?」

「……そうか」


 俺の目を見据えて迷いなく答える薫を見て、無性に腹が立った。


 依然として神羅の【可能性】の効力は継続している。もしも常動型の【可能性】だったら、きっと神羅が死ぬまで――いや、死後もこの調子なのだろう。


「どうかしたの?」

「いや、なんでもない。そろそろ帰ろう」


 昼食を済ませ話も終えた俺達は帰宅することにした。

 ――のだが、帰っても暇だと言う薫の提案で最寄り駅前の商店街をブラブラすることになり、高校入学祝いとしてアイスクリームやたこ焼きを食べ歩いた。またまた何故か俺の奢りで。


 おかしいな、俺も祝ってもらう側の人間のはずなんだけどな。

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