第31話 約束

「色々なお店が揃っているのね」

「この高校は少し特殊だからな。何にする?」

「そうね……さっき話していた美味しいハンバーグ定食とやらが気になるわ」


 そう言う神羅の希望に応え、メニュー豊富な定食屋のハンバーグに決定。

 俺が二人に先導して券売機の列に向かおうとした、その時のことだった。


「にしても……鬱陶しいわね……」

「え?」

「全員、消えなさい!!」


 神羅が命じた。

 直後、その言葉を聞いた周囲の生徒達が列に並ぶのをやめて食堂の出入り口へと踵を返した。そんな生徒の姿を見て何事かと振り返った人達も、神羅の存在を認識した瞬間、同様に何も言わずに食堂から出て行く。


 その流れは瞬く間に食堂全体に波及し、談笑しながらテーブルで昼食を楽しんでいた生徒達も当然の義務として食事をやめて食器を返却し、その場から去って行く。川を流れる水が岩を避けるように、俺達の横を通って。


 ものの三十秒程度で、活気に満ちていた食堂は無人になった。余りにもあっという間の出来事に、俺は無言で立ち尽くしていることしかできなかった。


 喧噪が消えた静寂の中、各店舗でスタッフが調理をする微かな音だけが耳へ届く。

 そんな閑散とした食堂を見た神羅は、満足げな表情で俺を促した。


「これでいいわ! さ、座ってましょ。天使、そのハンバーグ定食をお願いね!」

「かしこまりました」


 神羅が俺の手を取って席の方へ、天使が無人の受け取り口の方へと歩んでいく。

 そこで俺は漸く我に返り、神羅の手首を掴ん引き止めた。


「ま、待て、お前ら!!」


 二人が立ち止まり、純粋に疑問に感じたのであろう神羅が不思議そうに首を傾げる。


「なに? 天使が私達の分は直ぐに持ってきてくれるわよ?」

「はい。お二人の分を運ぶくらい朝飯前です」

「自分の分は自分で運ぶっての……。てか、お二人の分てことは天使は食べないのか?」


 毛先を揺らしてコクリと頷く天使。細かい仕草が可愛い少女だ。


「メイドが仕事なのは分かるが、同級生の友達でもあるんだから気を遣わずに一緒に食べればいいだろ……って、俺が言いたいのはそうじゃなくてだな」


 本題に入ろうと思った矢先、想定外の切り口で突っ込まれた。


「何故私に優しくするんですか? もしかして結人さんは、私にも気があるのでしょうか……?」

「は!? なんでそうなるんだよ!」


 それに「も」を強調するな。おかしいだろ。さも俺が、神羅が本命であわよくば天使との二股を狙っている屑野郎みたいに聞こえる言い方じゃないか。


「第一に、私は神羅様のメイドであり、友達ではありません」

「…………」


 きっぱりと言い切った天使の言葉に、神羅は気まずげに目を伏せた。


「そして神羅様のお食事を用意するのは私の役目です。それくらい朝飯前ですので、優しくされたところで結人さんには惚れません。勘違いしないでください」

「そんな勘違いしてねぇよ……。ともかく、俺はこの環境を作ったことを指摘してんだよ。おい神羅、他人へ命令を下すのはやめろって言っただろうが!!」


 また同じ注意をされたからか、神羅は苛立ち混じりの顔で口を尖らせた。


「しょうがないでしょ、私は他人が嫌いなのよ。それに結人、ここ意外にも食べる場所があるって言ってたじゃない。なら移動するだけだし、別にこれくらい――」

「そういう問題じゃねぇ!! 他人の心を狂わせている事実が許せないって言ってんだよ!!」


 見当違いのことを言う神羅へ、俺は思わず怒声を上げた。


 元々目つきが悪いのに怒りを露わにしたせいで俺は酷い形相になっていたのだろう。

 神羅は驚きと怯えの入り交じった表情で身を縮め、目を逸らして小さく呟いた。


「…………痛い」


 普段の強気な態度からは想像もつかない弱々しい声で言われ、俺は神羅の手首を強く掴んでいたことに気がつき焦って手を離した。


「ご、ごめん……」


 そうだった。神羅に対して感情的になってはいけないんだ。


 特殊な【可能性】と共に生きてきた神羅の倫理観が一般人と乖離しているのは当然。それを理解し、優しく接して少しずつ真人間に変えてあげるのが【絶対拒否】を持つ俺の務めだろうが。


 心の中で猛省した俺は、できれば思い出したくなかった過去の断片を記憶から掘り返して、できるだけ穏やかな声色で語った。


「俺は小中学生の頃、幼馴染みの女の子と仲が良くてな……。でも、その子が持つ【可能性】は神羅の【私乃世界】みたいに他人を操るもので……その力のせいで俺は凄く嫌な思いをしたんだ。だから、周りの人達が正気を失った姿を見ると昔を思い出して辛いんだよ」


 正義感からの行動というのは偽善だ。俺が神羅を攻める本当の理由は、俺自身が過去を思い出して辛いから。ただそれだけにすぎなかった。


 切実な思いで告白すると、神羅は引け目を感じるように腕を抱えた。

 そして逡巡した後、拗ねたように顔を逸らして言った。


「わ、わかったわよ……。今後は気をつけるって約束するから、私を愛しなさい」


 俺は誰も愛する気はないと、そう言ったはず。

 でも今は何も言い返すつもりになれなかった。


 ――その後。

 俺は神羅にお金の大切さを語り、今後は貰い物ではなく買い物をするという約束をさせ、本来の注文と会計の方法を教えてあげた。


 券売機にて、神羅が財布を持っている天使に支払いを頼むと、見たこともないダーククリムゾンに煌くカードを取り出した。どんな種類のクレジットカードなんだ……?


 しかし券売機は当然現金しか取り扱っていないわけで。俺は超高級そうなディープレッド色のクロコダイルの長財布を受け取り、日本の通貨について解説しながら神羅と一緒に食券を購入した。

 財布の中にある万札の束を見た時は思わず気絶しそうになった。結婚したい。


 まともに計算できず売買の仕方すら知らない神羅でも、流石に紙幣や硬貨の概念は理解できているようで安心したよ。


 そして、俺達だけの貸し切りとなった広い食堂で、テーブル席についた。

 やはり大人気メニューだったようで神羅の分でハンバーグは売り切れてしまったので、俺は生姜焼き定食で我慢。


 昨日来た時は殆どの席が埋まっていた食堂に、今日は三人のみ。

 自分達の声だけが反響して聞こえてくる不思議な空間だが、正面で幸せそうにハンバーグを頬張る神羅とその隣でバウムクーヘンを囓る天使を見た俺は、こんな特別な時間も青春の一つと言えるかもしれないと、そう思い込むことにした。


 食事の途中、神羅と天使が再びゴニョゴニョと内緒話をした後に「あ、あーんしてあげるから、私を愛しなさい!!」と言ってきて、強制的にハンバーグを口に押し込まれた。

 神羅は顔を真っ赤にしてしていたが、間接キス程度なんかで愛を抱くわけないだろ。


 薫の先輩が言っていた通り、ハンバーグは確かに特別美味しかった。でもそれは神羅に食べさせてもらったからではないはずだ。

 きっと、そのそのはずだ。


 そして昼食を終えて席を立った直後、神羅がこう言った。


「これからは毎日、一緒にお昼ご飯を食べなさい!! そして私を愛しなさい!!」


 今後は他人を立ち退けさせたりせず代金の支払いもすると、そう約束した神羅の提案に俺は不承不承ながらも頷くしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る