第30話 昼休み

「結人! お昼ご飯食べに行こっ!!」


 昼休みにると、今日も今日とてエネルギッシュで笑顔の眩しい薫が俺の席へとやって来た。


 午前中はずっと神羅とのコミュニケーションで埋められていたので、こうして普段と変わらない薫の顔を見ただけで日常を感じて安堵できる。彼女の笑顔には昔から救われてばかりだ。


「テニス部の先輩が教えてくれたんだけどね、この高校のハンバーグ定食ちょっと高いけど凄く美味しいんだってさ! お腹ペコペコだし混む前に早く行こう! ね!」


 薫は昨日、早速部活動へ参加してきたらしい。バイタリティに溢れていて尊敬するよ。


 俺もテニス部に仮入部する約束をしていたが、取り敢えずは薫の感想を聞いてみてからにしようと思って昨日はそのまま帰宅した。


「じゃあ、それ食べながら部活の話でも聞かせてもらうかな」

「うん。情報代は先払いで匂いを嗅がせて」

「くっつくな! お前には羞恥心がないのか」

「ケチ。じゃあ代わりにお昼は結人の奢りね」


 俺と薫が中学時代からの仲で親しいということは既にクラス内では周知の事実のようで、皆に「またやってるよ」という呆れ半分嫉妬半分の目で見られながら、事ある毎に密着してくる薫と一緒に教室を出る。


 ――その直前だった。


「グエッ!!」


 廊下に一歩踏み込んだ瞬間、後ろからブレザーとワイシャツの襟を掴んで引っ張られて首が絞められた。

 喉仏を強く押し込まれた感触が伝わりゴホゴホと強い咳が漏れる。


 当然こんな事をする奴は一人しかいないわけで、俺は振り返りながら怒鳴りつけた。


「危ねぇだろ! いきなり何すんだよ!」


 しかし神羅は、申し訳なさなど微塵も感じていない平然とした様子だった。

 腕を組み、冷え切った紅色の眼で薫を睨み付けて神羅が言った。


「あんたはどこかへ消えてなさい」

「うん、わかった。じゃあ結人、また後でね」


 言われるがままに、薫は十秒前の会話など無かったかのように教室を出て行ってしまった。呼び止めたところで無駄なのはこれまでの経験から分かっているので、俺はその場から去る薫を無言で見送るしかなかった。


「お前……命令するなって言ってんだろ。今度はなんだ? 俺は腹が減ってるんだよ」


 空腹で怒る元気も湧かないので、軽い注意だけで本題に入ることにする。

 薫への態度を見るに不機嫌なのかと思ったが、神羅は普段と変わらぬ表情に戻っていた。


「高校ってどこでお昼を食べるものなの? 結人はどこで食べてるの?」


 相変わらず常識を問う質問だな……。


 俺は人それぞれ自由だということと、自分も利用している学食の存在について簡単に説明してあげた。


「へぇ……学食なんて場所があったのね。小学校は給食だったわよね、確か」

「ちなみに普通の公立は中学までは給食で、学食を使うのは高校からだな」

「なら中学校に行ってない私もギリギリセーフね!」


 上機嫌そうに納得した様子の神羅。

 義務教育的にはアウトだって理解してほしいんだが。


「そう言う神羅は昨日はどこで食べたんだ? 午後も来なかったし」

「昨日は高級お寿司屋さんを貸し切りで食べてきたわ。ど、どうする? 今日一緒に行きたいなら、連れて行ってあげてもいいわよ……?」

「行けるか。高級店なんて一介の男子高校生には無理に決まってるだろ」

「お金のことなら心配しなくていいわよ。私と一緒ならどんなお店でもタダだし」


 とんでもないことをサラッと言いやがった。


「もしかして神羅、買い物する時に金を払わないのか……?」

「勿論。欲しい物は全部貰えるんだもの。この前も新しい洋服が欲しかったから、気に入ったブランドをお店の権利ごと全部貰ったわ。仕方ないわよ、私が愛しすぎるんだから」

「今まで何人の人生を崩壊させてきたんだ……」


 どうやら俺は未だに神羅の力を甘く見ていたらしい。

 俺にも土地とマンションでもプレゼントしてくれないかな。


「金は払わないとダメだろうが。それに外食するのは良いけど、午後もちゃんと学校に来いよな」

「でも、ご飯はゆっくり食べたいじゃない。それにお腹一杯になると眠くなるし」

「……そうだな。眠くなるな」


 どこまで欲望に忠実なんだ。

 しかし、人間としては最低なはずなのに、自己中心を貫いているせいか輝いて見える。何をしても美貌で顔面論破してくるのがこの女の強みか。


「ま、そういうわけだから俺は学食へ行く。じゃあな」


 そう告げた俺は神羅に背を向けて廊下に向かった。


 薫は一体どこへ向かったのだろう。一人で学食へ行ったのかな。まだ今なら合流して一緒に昼食を食べられるかもしれない。

 取り敢えずコネクトで通話を――


「グエッ!!」


 再び後襟を勢いよく引っ張られて首が絞められた。

 涙目で酷く咳き込み、振り返って怒鳴りつける。


「なんなんだよ!! 危ねぇだろ!! 殺す気か!!」

「だ、だからっ……!! 一緒にお昼食べなさいよ!! そして私を愛しなさい!!」


 熱っぽく顔を赤く染める神羅。

 そんな風に照れ混じりの恋する乙女みたいな表情で言われても、全ては俺に愛させるための作戦なんだろうが。演技の上手い奴だ。


「いいけど、俺は学食に行くんだぞ。高級店なんて一つもないし寿司もないぞ」

「分かってるわよ。いいでしょ、学食とやらに興味があるの」


 神羅の斜め後ろから無言でじーっと俺を見つめてくる天使が「黙って早く案内しろ」と心の声で告げてきている。目が怖いので俺は天使にアイコンタクトしてから頷いた。


「なら混むと嫌だし早く行こうぜ」

 

 エレベーターで一階へ降り、キャンパス内で一番低地に位置する校舎を出て、フラワーガーデンのようにカラフルな花々で彩られた広場を抜け、高台に建つ学生食堂へ入る。この学食の横にあるテラスが、入学式の日に薫と一緒に休息した場所だ。


 食堂内は広く、有名チェーン店やファーストフード店が複数出店しているフードコート形式で、相変わらず大勢の生徒で繁盛していた。


 振り返ると、人混みの中に立つ神羅は物珍しそうにキョロキョロしている。


「フードコートとか行ったことないのか?」

「ないわ。人混み嫌いだもん」


 ヒヨコみたく首を振って周りを見渡す彼女を見て、俺は一つの事実に気がついた。


 食堂内は酷く混雑しているが、神羅と天使とおまけで俺の周囲は、半径一メートル以内に他人を近寄らせない結界でも張られているかのように、他の生徒が避けていた。


 これも愛の力なのだろう。敢えて具体的な命令を下さずとも、ただ【私乃世界】が効力を発揮しているだけで、愛を以て気遣いをしてもらえるわけだ。


 神羅の【可能性】は恐ろしい力で、便利な面もあるけれど同時に少し悲しくもあると、俺にはそう思えた。

 当の彼女自身は微塵も気にもしていない様子だが、どう感じているのだろうか。

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