第27話 殺意

 精神を支配する【可能性】への嫌悪感に顔を歪めながら、神羅に視線を移す。

 すると当の神羅自身、何が起きているのか分からないといった焦った表情になっていた。


 考えてみれば当然なのかもしれない。

 俺に出会うまでは、神羅の命令を妨害する人物など存在しなかった。殺意をもった武力行使をしてまで命令を遂行しようとするだなんて、彼女自身も予期していなかったのだろう。


「おい、やめさせろ神羅」

「……な、なんで? べ、別にいいでしょ? お金なら多めに払ってあげるわよ」


 引くに引けなくなったのか、神羅は引き攣った顔で無理に口角を上げていた。

 神羅の言う通り、結果だけ見れば商魂たくましい金城的には悪くない話かもしれない。だが、だとしても他人の意思を捻じ曲げていい理由にはならない。


 金城がベランダに出て、手摺りにロープを結び始める。

 そこで俺はプランを変え、怒るのではなく悲哀を宿した流し目で神羅へ訴えてみることにした。


「勝手にしろ。でも、こんな事する奴のことは一生愛せないけどな」

「う……!」


 痛いところを突かれたというように、眉間に皺を寄せて表情を曇らせる神羅。

 そして金城が手摺りにロープを固定して、いざベランダから飛び降りる直前。


「や、やっぱり、やらなくていいわ! 戻りなさい!」


 それを耳にした金城がこちらを振り向き、「そうか」と言って固く結んだ紐を解いて教室内へ戻ってくる。

 それを合図に全員が正気に返ったようで、何事もなかったかのように雑談へと戻った。俺とぶつかって乱れた机と椅子の持ち主達も元の配置へと片し始める。


 【私乃世界】の恐ろしさの片鱗を垣間見て今後を憂いながら自席へ戻った俺へ、神羅が恐る恐るときいてくる。


「ど、どう? やめさせたわよ? 愛する気になった?」

「…………」


 こいつは本当にそればかりだな。何故そこまで全人類に愛されているというステータスに拘るんだ? 俺なんか無視すればいいものを。


 過去を思い出した俺は酷く気分が悪かったが、金城の暴力に関しては意図していない展開だったろうし、冷静に咎めることにした。


「神羅……他人に命令するのはやめろって言っただろ。何が「お願い」だ。皆もお前と同じ人間で、心があるんだぞ。【私乃世界】とか言ってるが、この世界も他人もお前のものなんかじゃない。皆、嫌々お前への愛を強要させられているだけだって忘れるなよ」


 穏やかな口調で責めるように言うと、神羅が反応した。怒りを露わにした険しい表情に変わり、烈火のような眼光で睨んでくる。


「だって……仕方ないじゃない。私を愛する以上、他人はそういう接し方しかできないんだから……。私が居なかったら、どうせこいつらは他人を傷つけてばかりで愛したりなんてしない最低の奴等なのよ。だから、私への愛に満ちている方が本人達だって幸せなのよ……!」

「なんだと……」


 辛辣に吐き捨てる神羅の言葉には、どこか芯のような強い意思を感じられた。ぶつけどろこのない激しい怒りのような、神羅自身が他人を憎んでいるかのような、強い感情。


 何が神羅をこう思わせるのだろうか。


 そんな事はない。世界には憎しみばかりではなく愛が満ちている。

 ――なんて思ってもいない綺麗事は、とてもじゃないが俺には口にすることができなかった。


「なら、俺も自分の感情を消して神羅の言葉に全てはいはい言って従ってれば満足か? それが神羅の求める愛の形だって言うのなら、そうしてやってもいいが」

「そ、そういうわけじゃ……。私はただ……愛されないことが嫌なだけよ……」


 神羅が語気を弱めて目を伏せる。


 どうやら神羅は【私乃世界】の判明者ゆえに、愛の捉え方が酷く歪んでいるようだ。誰からも愛されて育ったせいで真の愛情を知らず、他人を従わせることに偽りの愛を実感しているのだろう。

 だからこそ、【可能性】の影響を受けずに自我を保つ俺からの本当の愛に飢えているのかもしれないが。


 だが、今の作戦は使えるな。

 どうしても神羅は俺に愛されたい願望があるようだし、愛してあげるから胸を揉ませてくれとか頼んでもオーケーしてくれるかもしれない。


 そんな不健全な妄想をしながら神羅の綺麗な横顔を見る。彼女はやむなしといった感じで不貞腐れたようにタブレットに視線を戻し、クラスメートを確認していた。


 その後。

 予鈴が鳴ってホームルームが終わったところで、【今何自慰】の力で誰も逆らえない女となったシコリンがそそくさと俺の元にやってきた。


 机の前に立ったシコリンがスマホを取り出し、長い前髪の隙間から俺を見下ろしてくる。近くで見たシコリンの瞳は、ストロベリークォーツのような透き通った苺色。


 その目には一体どんな風に世界が見えているのだろうか。本当に他人の頭上に数値が見えているのか? どんな悪魔と契約したらそんな目になるんだ?

 俺が彼女なら気が狂ってしまいそうだ。


 何の用かと思えば、シコリンは瑞々しく澄んだ声で言った。


「式上君。さっき金城君と話しているのを聞いたわ。私とも連絡先を交換して――」

「遠慮しておく。何か良くない事が起こる予感しかしない」


 食い気味に即答した。


 そりゃそうだ。

 自己紹介の時にシコリンが俺を陥れようとしてきたのは事実だし、そのせいで彼女に対するヘイトの一部を何故か俺が肩代わりしている状態だ。

 友達百人は遠ざかるが、シコリンは何か策略や裏がありそうだし関わらないに越したことはない。ただの邪推だが。


 と、思ったのだが。

 シコリンが髪を耳にかけながら俺の左耳に口を近づけ、性感帯を刺激するような声色で耳打ちしてきた。


「交換してくれたら、好きな子の回数を教えてあげるわよ?」

「…………か、考えておくよ」

「そうしてちょうだい。フフフ」


 シコリン……なんて恐ろしい女なんだ……。


 ふと視線を右に流すと、神羅と目が合った。

 途端、見て見ぬふりをするように動揺を隠せない様子で顔を逸らされる。


 滅茶苦茶怪しい。

 今の会話、聞こえていたんじゃないか?


 クラスメート全員の【可能性】を確認したということは、彼女もシコリンの持つ刃の切れ味は重々理解したことだろう。

 きっと神羅の回数をシコリンに聞いても愛を以て回答は控えられるのだろうが、逆に神羅はやろうと思えば全員の回数を自由に聞き出せるわけで。


「おい神羅、シコリンに変なこと訊いたりするなよ……?」

「は、はあああああぁ!? 訊かないわよ!! なんで訊かなきゃいけないわけ!? 訊くわけないでしょ!? バッカじゃないの!? 殺すわよ!?」

「ご、ごめん……」


 予想以上に凄い剣幕でブチギレられた。

 顔を合わせてくれない。


 そんなに怒らなくてもいいのに……。疑って悪かったよ。


 神羅の数字はどうなっているのだろうか。

 気にはなるものの流石に越えちゃいけないラインなので、やはりシコリンとの連絡先交換は踏みとどまっておくことにした。

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