第28話 不意打ち

 はっきり言って、神羅は馬鹿だ。

 どうしようもないくらいのお馬鹿だ。


 知能指数的にはなんとも言えないところだが、偏差値で示せば十もないんじゃないだろうかと思えるレベルだ。


 神羅は先天性の【私乃世界】持ちで産まれてからずっと全人類に愛されて育ってきたお嬢様らしいので世間知らずという面は仕方ないにしても、まさかここまで学力が低いとは思わなかった。


 中学校に不登校だった神羅の学力レベルは小学校低学年で停滞している。

 さっき「百かける百は?」と聞いたら、指を折りながら一度悩んだ後にドヤ顔で「十万ね」と答えられた。俺はかけ算の概念を知っていたので褒めておいた。


 そんなアホの子の神羅は、俺に愛させるためという名目で授業中に無駄にくっ付いて話しかけてくる。


 可愛い女子にボディタッチされたり甘い香りが漂ってくると、いくら女子への免疫があっても集中できないものはできない。普通に興奮する。


 でも無視すると騒ぐから雑談するしかなく、教師の話も頭に入ってこない。


 そんなわけで一時間目終了後の休み時間。


 俺は校舎一階の本屋で複数の教材を購入し、教室へ戻って神羅の机の上に叩きつけた。驚いた神羅が買ってきた教材の一冊を手に取り、目を細めてタイトルを読む。


「『小学校の算数を完全おさらい。猿でも分かる計算ドリル』……って、何これ?」

「神羅、はっきり言ってお前の学力はチンパンジー並みだ。理解できないから授業にも集中できないんだろ。授業中はこれで勉強して大人しくしていてくれ」

「なんで私がこんな物……。それに勉強したら話せないし、私を愛せないじゃない! なんのために学校に来てると思ってるのよ!」


 それはこっちの台詞すぎる……。


「いいか、俺は神羅と違って将来は不安だらけで学歴が必要なんだ。だから勉強を邪魔されたら誰かを愛してる余裕なんてないんだよ。愛されたいならお前も静かに勉強しててくれ。分からないところは教えてやるから」

「う……。じゃ、じゃあ勉強するから、私を愛しなさい!」


 ――というわけで、今は数学の授業中。

 俺は数式を解いていて、神羅は算数ドリルを解いていて、天使は一切微動だにせずに綺麗な姿勢で先生の板書を見つめている。


「見なさい結人、分数の足し算問題解けたわよ! 私って天才ね」

「あぁ。凄いな」

「でしょ!? 約分と通分についてなら何でも聞いてきていいわよ」

「あぁ。そうする」

「私を見直しなさい、そして私を愛しなさい!!」


 定期的にドヤ顔で正解を報告してくる神羅が嬉しそうでなによりだ。このまま俺の知らない何処かへ行って勝手に幸せになってくれと切に思う。


 俺は神羅の将来を思いやりながら黙々と問題を解いていたのだが、うっかり単純な計算ミスをしたことに気がついたので、消しゴムで数式を消していく。


 右手で消しゴムを前後に動かす前後運動の途中。

 ふと、背後に気配を感じた。


 手を止めて肩越しに振り返ると、真後ろの零距離に全身黒白のメイドが立っていた。


「天使、いつの間に」


 椅子を動かす音も足音も一切しなかった。


 まさか分身しているのではないかと神羅の右方を覗き込むが、しっかり空席だ。瞬間移動でも使ったのだろうか。万能メイドを自称しているものの、やってることは忍者みたいだ。


 と考えながら、幼げながら色気のある整った顔を見やる。


 紫色の光沢ある大きな目が俺をジッと見つめている。


 神羅とはタイプの異なる美人。秀美だが感情が薄くて体は小さくて色素は薄くて、まさにドール人形そのもの。天使と言うよりは、叡智を現すソフィーとかの名が似合う印象。


 そんな天使が、左腕で手刀を作った。


「何して――」


 ドゴッ!!


 問いかける寸前、天使は俺の右腕肘先端の関節部分――ファニーボーンへと全力でチョップを当ててきた。

 骨への打撃音が響き、一瞬にして燃えるような痛みが右腕を包み込む。


「ぐあああああああぁ!!」


 俺は授業中だということを忘れて大声を上げた。

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