第23話 良い世界

 授業を妨害してくる神羅だが、相変わらず手持ち無沙汰で退屈そうにしていたので、どうせ断られるだろうなと思いつつも尋ねてみた。


「一緒に見るか?」

「え?」

「教科書だよ。学校には教科書を忘れた奴には隣の奴が見せてやるっていう暗黙の了解があるんだ。勉強する気があるなら一緒に見てもいいぞ」


 説明する俺自身、そんな学生らしい行為はした事がなかったので少し憧れてもいた。


 対する神羅は初めて知ったのか、ぽかんとした顔で俺を見つめてきた。

 一度チラリと天使を見た後、柔らかく頷く。


「そ、そうね。その方が愛が感じられるわね」


 教科書を机の接合部に寄せると、神羅が椅子を俺の方へ動かして体を寄せてきた。


 肩と腕が軽く触れる。

 一瞬だったのに、そのしなやかさが伝わってきた。


 初めて間近で神羅を見る。


 端麗な顔をしているとは思ったが、改めて完璧な造形をしているのが分かった。貴族を思わせる、誰よりもドレスが似合うであろう洋風美人。

 艶のある髪、煌びやかな瞳、透き通った肌、鮮やかな唇――改めてその美しさを明示され、自然と目が惹かれてしまう。


 神羅は神の名に相応しく、誰もから愛されて然るべき神聖な存在だと、そんな尊さまで感じさせられた。


 おまけに誰とも違う甘くて落ち着く香りがする。もし神羅の【可能性】が無ければ、匂いフェチの薫に飛びつかれていたことだろう。


 無意識のうちに俺の視線は神羅へ釘付けにされていた。


 こうして神羅が傍に居るだけで、愛させる作戦は効果を発揮しているから恐ろしい。

 もしかすると、俺が教科書を見せることは天使の策略の内だったのかも。


「どうしたの?」


 一瞬だけ神羅に見蕩れて呆けていたが、その声で現実に戻された。


「いや……ノートは余ってないぞ」

「天使、えんぴつとノートは持ってきた?」


 天使が頷き、鞄から筆記用具とノートを取り出した。こいつ、やっぱり本当はそこに教科書も入っているんだろ。持ってないふりをしてやがるな。


 疑心暗鬼になりながらも神羅と一緒に教科書を見る。


 吉田先生が古代からの日本の歴史を簡単におさらいしつつページを進めて行くが、神羅は眉を顰めて難しい顔で教科書を睨んでいた。


「どうした? 具合でも悪いのか?」

「いえ……進むの早くない……?」

「ここは中学校でも習う範囲だから。そうか、神羅は行ってないんだったな」


 少しからかってやることにしよう。


「でも歴史は国民として当然の知識だし、神羅様だって多少は知ってるだろ?」

「ま、まぁね! 当然でしょ!」

「だよな。じゃあ大化の改新って何年だったか分かるか?」

「た、たい……なんて……?」

「大化の改新。あの有名な語呂のやつだよ。流石にあれくらい知ってるだろ?」


 焦りを露わに思考を巡らせた神羅が、ハッと閃いた。


「あ、あ~、あれね! 良い国作ろうってやつ! だから1192年ね。間違いないわ」

「六世紀くらいずれてるな……。そもそも何が起きたか分かってないだろ」

「だから……良い国ができたのよ」


 一応間違ってはいない気がしないでもないけども。アバウト過ぎて卑怯だ。


「じゃあ鎖国した年なら分かるか?」

「さこくって何?」


 無邪気に首を傾げられた。本当に可愛い少女だ。髪を撫でて愛でてあげたくなる。


 だがこいつ、ここまでくると日本語は流暢だが日本人じゃない気がしてきたぞ。


「話は変わるけど、神羅って日本人なのか? そのブロンドは地毛か?」

「日本とドイツのハーフよ。母親がドイツ人」

「貴族とかの特別な血筋だったとか……?」

「気にしたことないわ。両親ともずっと昔からお金持ちだったみたいだけどね」

「へぇ。何の仕事してるんだ?」

「さぁ……知らない。今は二人とも海外にいるし、興味も無いから」


 神羅の顔が露骨に暗くなり、やけに棘のある言い方をされた。

 両親を嫌いなのか?

 地雷のような気がしたので、この話題には触れないでおくのが良さそうだ。


「じゃあ神羅はドイツ育ちなんだな」

「いいえ、ずっと日本育ちよ」


 日本育ちでした。ただのアホの子でした。


 いや待て。

 【私乃世界】が先天性ということは神羅は産まれてこの方ずっとこの調子で、小学校での授業もまともに受けていないのだろうし、日本語を話せているだけマシだと思うか。


「問題に戻ろう。もっと近代、第二次世界大戦ならいつか分かるか?」

「…………良い国作ろう、世界大戦」

「それしか知らないんじゃねぇか! 全部良い国で乗り切ろうとすんな!」

「なによ悪い!? 良い国作るって良い事でしょ!!」


 神羅がぐっと端整な顔を寄せて逆ギレしてきた。柘榴のように瑞々しく輝く瞳が俺を見据え、不覚にもその綺麗さに押されて肩を竦めてしまった。


 しかし、ここまで常識がないとは。


 俺は本当にとんでもない奴に粘着されることになったらしい。

 どうすればこの少女に愛を実感させ、自由の身にしてもらえるのだろうか。


「ふん。自分の国でも作って、こんな愛のない世界は壊してやろうかしら。私が愛に満ちた本当に良い世界を作ってやるわ」

「絶対良くない独裁世界になるな。ヒトラーもびっくりだろうよ」

「誰それ?」

「日本とどこのハーフだっけ?」

「ドイツよ?」


 この子はもうダメみたいだ。


 結局その後は、授業の受け方という自分でもよく分からない概念の解説を神羅にしながら、ひたすらに彼女へ学校と勉強に関する常識を教えつつ授業を受けた。

 

 そして迎えた初の昼休み。


 俺は神羅の呪縛から逃れるべく早足でその場を離れ、薫を誘って二人で学食へ行った。可愛い女子と二人で仲良く食堂で昼食なんて、まさに憧れていた高校生活そのもので嬉しくなる。

 そう、俺はこういう輝かしい青春っぽさを求めていたんだよ。


 明るい性格を活かして既に女子達と仲良くなっていた薫と「シコリンが困る」なんて苦笑しながらクラスメート談義をすることになったので、俺はそれとなく神羅の話題を振って【私乃世界】の効力を確かめてみた。


 だが、薫は神羅を愛すべきクラスメートとして理解しているだけで、自ら関心を示そうとはしなかった。

 薫の性格なら、あんなトンデモ女が居たら「神羅ちゃんの匂い嗅がせて!!」とか言って抱きつきに行くはずなのだが。これも神羅に命じられた非干渉の効果によるものなのだろう。


 違和感はそれだけだったので、神羅が事前に言っていた企みが無いという言葉は真意と見てよさそうだ。

 今は本当に、俺に愛を抱かせる目的で動いているのだろう。


 午後の授業はどうなるのかと思ったが、教室に戻ると神羅と天使のコンビは居なかった。結局帰りのホームルームも姿を見せなかったところで俺は漸く、彼女達が昼休みにそのまま帰宅したのだと察した。


 きっと神羅は授業という新たな概念を刻み込まれて心身共に疲れていたのだろう。

 居ると煩いかまってちゃんだったが、空席だとそれはそれで寂しく感じられた。


 俺は自然と神羅の存在を意識していた。

 神羅とかつての幼馴染みの姿を、重ねていた。

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