第5話 万象神羅
「全員、私を愛しなさい!!」
その言葉を合図に、辺り一面から轟音が響いた。
「「「神羅様あああああああああああああああああああああぁ!!!!」」」
耳が劈かれて、俺は思わず身を縮めて両耳を塞いだ。
全員が立ち上がり、絶叫していた。
新入生と在校生を含めた全生徒だけじゃない。
教員も、スタッフも、今この場にいる人間全員が――千を超える人々が狂喜乱舞で叫び声を上げている。
視線を左へ向けると、俺の隣にいる薫も正気を失ったかのようにステージ上の少女へ愛を叫んでいた。常日頃からテンションの高い薫だが、これは常軌を逸している。
「アイドル……か……?」
神羅様とやらへ視線を戻す。
ステージ上で歓声を浴びる彼女は、確かにそこらの芸能人と比較しても遜色の無い美少女だ。俺達と同学年のモデルなり俳優なりが実は入学していたというサプライズの線はある。
だが、万象神羅なんて名前は一度も聞いたことがないし、見たこともない。
それに、もしアイドルだったとしても普通ここまでなるか?
「…………異常だ」
声が振動になって身を貫き、気を抜いたら意識が飛びそうになる。
そう思うと同時、万象神羅はどこか嘆き呆れるような表情で「静かにしなさい」と告げた。瞬間、ミュートボタンを押したかのようにピタリと声が止んだ。
立ち上がっていた生徒達が何事も無かったかのように腰を下ろし、体育館内が急激に静寂に包まれるが、俺はまだ耳鳴りがキンキンと響いていた。
当の神羅様はアリーナの俺達を見下ろして何かを確認しているようだ。
俺は頭痛に顔を歪めながら、薫に問いかけてみた。
「な、なんだったんだよ、今の」
すると薫は、普段と変わらない何食わぬ明るい表情で応えた。
「今のって?」
「だから、なんであんな大声を出したんだよ」
「だって神羅様が見られたから、つい」
「神羅様って……あいつ、そんなに有名人なのか? 初めて見たぞ」
「私も初めて見たよ。すっごく綺麗だよね」
「は!? 何言ってるんだお前」
「結人こそ、何言ってるの?」
「だから、あいつは誰なんだよ!!」
「神羅様だよ?」
「…………」
マジで意味が分からない。
支離滅裂で会話が成り立つ気がしないが、薫は決してふざけているわけではないようだし、真面目な話をする時とネタに走る時の分別くらいつけられる人間だ。
眉を顰めて訝しんでいると、肩を叩かれた。
「ほら、神羅様が何か説明してくれるみたいだよ」
前を向くよう促されて顔を上げる。
ステージ上で神羅がパチンと指を鳴らした。
それを合図に全ての高窓のカーテンが閉まり照明が落ちて、真紅のスポットライトが彼女を照らす。巨大なスクリーンが上から降ろされ、スライドが表示された。
赤が基調のスライドには柔らかいフォントでデカデカと『神羅様との愛に関するお約束』とタイトルが書かれており、右下には彼女自身をデフォルメ化した二頭身の可愛いイラストがぴょこぴょこ動いていた。
ご丁寧に『神羅様ちゃん』なんて名前の補足付きだ。様なのかちゃんなのかはっきりしろ。
呆気に取られていると、設置されていたマイクを手にした神羅が真剣な表情で告げた。
「注目! 今後私と接する際の注意事項よ。たまに空気を読めない変な奴がいるから、詳細なルールを説明しておくわ。これから言う事は絶対に守りなさい!」
スライドが入れ替わる。
「一つ目、私の全ての言動を受け入れなさい! 私が居る場所では私がルールよ。二つ目、私に干渉するのはやめなさい! 付いてきたり、挨拶してきたり、褒めてきたり、私の話をしたり――鬱陶しいのよ。三つ目、私を性の対象にするのはやめなさい! 私のことをエッチな目で見るのは禁止!! 絶っっっ対に禁止だから!! 小学生の時なんか、目が合った男子がいきなり目の前でズボンを脱ぎだして……うっ、思い出したら吐き気が……。と、ともかく変なことは全部禁止! 四つ目は――」
解説にあわせて、アニメーション付のデフォルメイラストと共に無駄に凝ったスライドへ文章と補足事項が次々と表示されていく。
俺はお約束の三つ目までしか頭に入ってこなかった。そこで思考が途切れた。
いや、ある考えが浮かび上がってきた。それも殆ど確信だ。
こんなにも無茶苦茶な状況だというのに、誰一人としてあの少女に異議を唱える者がいない。それどころか、誰もが無言で当然の如く彼女の言葉を受け入れている。
異常だ。普通じゃない。あり得ない。
そうだ。
これはさっきバス内で懸念していた事象、【可能性】による洗脳行為だ。
それを理解した途端、激しく拍動するのを感じた。みるみる心臓の鼓動が早くなっていく。
ただそこに居るだけで千を超える人間に影響を及ぼして精神を支配できる【可能性】なんて今まで聞いたこともないが……しかし、彼女が判明者であることは間違いない。
きっと万象神羅は、他人へ命令を下せる類いの【可能性】なのだろう。
先程から「愛」というワードを頻繁に使用しているから、その単語を聞かせることが条件の発動型かもしれない。
困惑した俺は、薫に視線を移した。
薫は食い入るように神羅のスライドを凝視し、彼女の言葉に耳を傾けている。
「薫……?」
「…………」
声を掛けても一切俺に反応を示さなかったので、両肩を思い切り揺さぶった。
「おい、しっかりしろ薫!!」
それでも薫はこちらを見向きもしない。
目に光は宿っているし呼吸や瞬きもしているが、意識を釘付けにされたようにスライドに見入っている。
最初に神羅が言った「注目」という言葉に従っているのだろう。
精神が錯乱しているのは明らかだった。
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