15 花嫁交代

 私たちはその日のうちにレイオール伯爵邸に戻ることにした。今回、アイシアとの交代を町ではなく邸内で行うことにしたのは、伯爵夫人をそう頻繁に外出させるわけにもいかないからである。

 帰宅する前に、まずは一時的に私の姿を変えることになった。さすがにアイシアの姿のまま伯爵邸には戻れないので、この程度の小細工は必要になる。

 相変わらずナナキが簡単な動作をしただけで、姿を変える術は発動した。この人にとって高等技術という言葉は存在しないのかもしれない。

 そして鏡を見ると――見慣れた自分の顔があった。

「えっ、戻ってる!?」

 27年間毎日見ていた自分の顔である。自然すぎてあやうくスルーしそうになったが、完璧に再現されていた。

「アイシア嬢に擬態する術の力を一時的に抑えています。その間は元の姿になるんですよ」

 描画ソフトで言うところの、一番上のレイヤーを一時的に透明化させたような感じだろうか。アイシアに扮する術自体が解けたわけではないようだ。

 それにしても、16歳の美少女から一気に27歳のくたびれた地味顔に戻ると、残酷な現実を思い知らされる。なまじここしばらく美少女を演じていたせいで、その落差がひどい。

 とはいえ今はそんなことを残念がっている場合ではない。気を取り直して私は伯爵邸へ向かった。



 先にソーシャに連絡を取ってあったらしく、屋敷を訪ねると応接室でアイシアが待ち構えていた。

 室内にはアイシアと彼女の侍女、ソーシャ、ナナキ、そして私の五人だけが集まった。

「レイオール伯爵はおられないんですね」

「え? ええ、そうね、そう、伯爵は外出中だわ……」

 ナナキの問いかけに、なぜかアイシアは目に見えて動揺した。急にそわそわして落ち着かない様子である。

「伯爵と何かありましたか?」

 気になって尋ねると、アイシアはさらに動揺を強めた。

「な、何かって何よ! 別に何もないわ! ていうか、あんた誰よ!?」

 あんた誰って――と思いかけて、気づいた。そうか、今の私は元の顔に戻っているのだ。アイシアにしてみれば初対面の見知らぬ人間だろう。

「あなたの身代わりを務めている者ですよ、レイオール伯爵夫人」

 私の代わりにナナキが答えると、アイシアはもともと大きな目をさらに見開いた。

「ええっ、嘘! あんた、本当はそんな地味な顔だったの!? それがよく化けられるわね。凄い技術だわ」

 ナナキの腕をほめているつもりなのだろうが、ちっとも嬉しくない。地味顔なのは自分でもよくわかっているのだ。

「本当は伯爵本人にお伝えしたかったのですが、残念です。重要なお話ですしね」

「あら、だったらユーリスを呼びましょうか? ユーリスなら私たちの入れ替わりのことも知っているんですし」

 ナナキの言葉にアイシアはそう答える。彼女にとっては自然な考えだろう。だが。

「――それはやめた方が」

 私はつい、二人の会話に割って入った。疑惑が消えるまで、できれば情報を知る者は極力減らしたい。

「どういうこと?」

 不審がるアイシアに対し、私に代わってナナキが鉱山で見てきたことを一通り説明した。


「そんな楽しそうなこと、私に内緒でしてたなんてひどいわ!」

 それが説明に対するアイシアの第一声だった。

 どうしてそういう反応になるのだ、このお嬢様は。

「お嬢様がそのような危険なことをされては困ります」

 黙って控えていた側仕えの侍女も、たまりかねてか苦言を呈した。だが、彼女は全く気にする様子がない。

「まあでも、ユーリスが疑わしいのは確かかもね。あいつ、いちいち小言ばっかりで感じ悪いし」

 ユーリスの人物評については私も同意見である。本物のアイシアに対しても同じ態度だったのか、あいつは。まあ、私たちが一時交代していたことは知らないので、偽物の夫人に対するつもりだったとは思うが。

「それで、どうするの?」

「まずは伯爵本人にのみ直接お話しする必要があります。その執事はあくまで疑わしいだけですし、内通者が一人とは限りません。できるだけぎりぎりまで盗賊たちに気取られないようにしなければ」

 ナナキはそう答えた。

 伯爵が洞窟内の事情を知ったことを、できる限り内通者に気づかれないようにしなければならない。彼らは伯爵の動きを見張らせると言っていたので、かなり近いところに内通者はいるはずなのだ。


「とはいえ、いつ伯爵が戻られるかわからないのに、僕があまり長居するわけにもいきません。まずは伯爵夫人と着ている服を交換して、君から伯爵に伝えてください」

 ナナキは私にそう指示した。本当はナナキから説明した方が良いとは思うが、仕方がない。それに、私なら屋敷の者に怪しまれず二人きりで話すことができるだろう。

 私が承諾していると、アイシアがずいぶん驚いた表情をしていた。

「え……私、戻るの?」

「はい、予定通りに。それともここに残られますか?」

 ナナキに問われ、アイシアは激しく首を左右に振った。

「あ、いえ、いいのよ、別に。そうね、わかったわ。ここで着替えるからあなたは部屋の外に出てちょうだい」

 明らかに様子がおかしい。だが、その理由を訊ける雰囲気でもなかったので、私は何も言わないことにした。


 その後、私とアイシアが服を交換し、ナナキの術で私とアイシアの姿もまた交換した。一時的とはいえアイシアは私の地味顔に変えられたのがお気に召さないようだった。無理もないが、はっきり不満そうにされると、こちらも面白くない。

 こうして再度入れ替わる手はずを終え、アイシアはナナキと一緒に屋敷を出て行った。側仕えの侍女は怪しまれないよう後で合流するため、まずは来た時同様、二人だけで出るのである。

 その際、アイシアは何度も振り返り、いかにも名残惜しそうだった。

「……アイシアさん、どうかしたの?」

 あまりにも様子がおかしいので、私は数日彼女のそばにいたはずのソーシャに尋ねてみた。だが、

「私にはわかりかねます」

 返ってきたのは、そっけない一言。そういえばソーシャは人ではない。私のように人だった時の記憶の残らない精霊なのだ。それでは人間の心の機微までは理解できないのかもしれない。

 ずいぶん落ち着かなげなアイシアに不安を覚えつつも、私は見送るしかできなかった。

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