14 地底の光
男たちを追いかけていたはずなのに、突如彼らの姿が視界から消えてしまった。目の前は行き止まりで、人の影も形もない。
驚いて辺りを見回していると、ナナキが落ち着いた声で告げた。
「――消えたわけではありませんよ」
そう言うと、彼は懐から取り出したガラス瓶に人差し指をかざしてみせた。
直後、何もなかったはずの瓶の中に小さな赤い炎が燃える。
「ここは火の精霊の力で照らしましょう」
これも精霊術の一環なのだろう。もはや驚きもしない。ナナキがよほどのチート術士なのは充分に理解した。
そしてナナキがその明かりを掲げると、岩肌だと思っていたところが急に消失する。前を塞いでいた壁はなくなり、暗闇の奥にはさらに道が続いていた。
しかもそこは自然洞窟ではなく、壁も天井も木組みで補強されており、明らかに人工的に掘り進められた坑道だったのである。
「初歩的な目くらましの術ですよ。言ってみれば、鏡で道を隠していたようなものです。その鏡は水光石の光にしか反射しないので、こうして別の明かりを使えば道が現れるようになっているんです。洞窟内では水光石を使うのが当たり前になっているので、それを逆手に取ったんでしょう」
なるほど、と私はナナキの説明に納得した。
確かに、あの男たちは普通のランタンを使っていた。だから目くらましの壁を抜けることができたのだ。一方、ユーリスはソーシャが火を使うのを制止してまで水光石を使ったのだが、それがあだになったのだろう。
私たちは坑道をさらに奥へと進んだ。
男たちの姿はもう見えないが、ナナキの足取りに迷いはなかった。
「気をつけてください。この辺りはあちこちだいぶ崩れているようです」
ナナキの言う通り、ここまで来ると道はひどいありさまになっていた。
薄明かりでもわかるほど、崩落した岩肌があちこちに見える。足元には岩盤や坑道の支柱の破片が転がっている。
念のため貧しい服装に着替えたおかげで、野良作業に使いそうな丈夫な靴なのがせめてもの救いである。伯爵夫人の華奢な靴ではすぐに転んで怪我をするところだ。
不安定な足元にふらついていると、ナナキは自然に手を握ってくる。
だが今は恥ずかしがっている場合ではないので、素直にその手を握り返した。
そうしてついに、私たちはそこへたどり着いた。
この洞窟の奥にあるとは予想もつかなかった、その場所へ。
「これは――……」
それ以上言葉を出すことができず、私はただ見とれた。
ここではもはや明かりの必要がない。ナナキは照明代わりの小瓶を懐にしまった。
瓶の小さな炎など掻き消すほどの光。
お互いの顔を照らし出す、青く輝く水面が目の前に広がっている。
「驚きましたね、こんなところに地底湖があったとは」
そう、それはまさに地底湖。
真っ暗な洞窟の奥に突如現れたのは、海よりも深い青色をたたえた湖面だったのだ。
「湖底の岩がすべて水光石の塊なんでしょうね。湖水に反応して光っています」
水光石は水に溶けると光を放つ。その特性のため、今洞窟内はまばゆいほどの光に包まれている。さらに洞窟の天井には一部穴が空いており、そこから陽光が差し込んでいる。
水の精霊の力と日の光が混じり合い、ここが地中であることを忘れさせる。
今までに見たことのない景色――これが異界なのだ。
「これは僕の予想ですが……恐らく地震で洞窟の崩落が起き、あの穴が空いたのだと思います。そして地震直後の大雪が、洞窟内に降り積もった。雪はやがて溶けて水になり、地面の水光石を溶かしてゆき、湖のようになったのでしょう。そして外に流れる川と合流し、青く輝く地底湖となった――」
ナナキが地底湖の成り立ちの推測を口にすると、言い終わらないうちに突如、背後から声が上がった。
「――へえ、なかなかいい勘してるじゃねえか」
あざけるような声音。決して友好的ではない台詞に、私は身をこわばらせた。
「姿を消しても無駄だぜ。そこにいるのはわかってるんだ。おとなしく出てこい」
声の主は続けてそう告げる。だが、そう言われて素直に出ていく間抜けはいない。
ナナキは落ち着き払った口調で言葉を返した。
「おとなしく出ていったところで、せいぜいが半殺しというところでしょう?」
「そりゃ男だったらな。女はちゃんと可愛がってやるから心配するな――ぐはっ!」
返事をした盗賊の言葉は途中でうめき声に変わった。
「何てめえが仕切ってんだよ。貴様らが尾行(つけ)られてたんだぞ、このクソ間抜けどもが」
「す、すいやせん、お頭!」
どうやらお頭なる人物が手下を殴ったようである。推測しかできないのは、光る湖面を背後にしているせいで、坑道奥にいる盗賊たちの姿は暗がりで見えないからだ。
「ずいぶんと部下を乱暴に扱うんですね。そんなことではいつ造反されるかわかりませんよ」
「わざわざ忠告ありがとうよ。だが、おまえの方こそ自分の将来を心配した方がよさそうだぞ」
ナナキの忠告を鼻で笑うと、お頭と呼ばれる人物は指を鳴らした。その合図とともに、前と左右の三方から盗賊たちがぞろぞろと現れる。背後には地底湖。まさに背水の陣だ。
たとえ姿が見えなくても、大勢で包囲網を狭めていけばいずれ捕まってしまう。
「――ミツキ」
不意にナナキが私の耳元にささやきかける。
「舌を噛まないように気をつけてくださいね」
そう告げると、彼は大きめの岩を二つ、湖水に投げ入れた。
水しぶきと水音が二つ、続けて上がる。と同時に、私は踏んでいたはずの地面を消失した。
ナナキは私の体を抱え上げ――いわゆるお姫様抱っこで持ち上げると、大きくジャンプしたのだ。
とても人間業とは思えない跳躍力。垂直跳びで棒高跳びの世界記録を更新したようなものである。たった一跳びで、ナナキは洞窟の天井に空いた穴を飛び越えてしまった。
もう驚かないと決めたはずだが、まだまだ驚かされることは多そうだ。
深呼吸して息を整え、地面に視線を落とす。そこに空いた穴からは、洞窟の内部が見下ろせる。覗き込むと、急に私たちを見失った盗賊たちが騒ぎ立てていた。
「湖に飛び込んだぞ!」
「出口に回れ! 外の川も抑えておけ!」
ナナキが岩を湖に投げ入れたため、盗賊は私たちが飛び込んだと思ったようである。まあ、普通はあの高さをジャンプして天井穴から逃げるとは予想しないだろうな。
「どうやらこのまま追っ手をまけそうですね」
ナナキは涼しい顔に微笑を浮かべた。ここに来る前、ナナキは「僕がいるので大丈夫ですよ」と言っていたが、自信過剰でも何でもなく事実だったわけだ。
今のうちにここから離れようと立ち上がった時、洞窟の中で罵声が上がった。
「――馬鹿野郎! 何してやがる!」
強い怒声とともに、激しい衝撃音が響く。再び覗き込むと、岩壁に盗賊の一人が叩きつけられていた。
「まったく、使えねえ奴らだ。おい、早く領主の屋敷に使いを出せ」
不機嫌そうに言い放つのは盗賊の頭領だろう。相変わらず姿は見えない。
「使い……ですか?」
「ああ。今のが万が一、領主の放った鼠だったら面倒なことになるからな。あの間抜け領主にそこまでの知恵があるとは思えねえが、念のためだ。領主の動きを見張らせておけ」
「了解っす」
頭領の命令を受け、盗賊たちは散っていった。頭領自身もその場を離れたらしく、ほどなくして地底湖の付近は静かになった。
「だいぶきな臭くなってきました。レイオール伯爵の身辺にも注意した方がよさそうですね」
ナナキは真剣な面持ちでそう口にした。確かに伯爵にも気を配るべきだろう。だが今、私の頭は別のことにとらわれていた。
盗賊の頭領の言葉が気になっていたのである。
――屋敷に使いを出せ?
屋敷を見張れというのならわかる。だが、屋敷に「使いを送る」とは、内部に関係者がいることにはならないだろうか?
つまり――内通者がいる?
私は背中に冷たいものが落ちるのを感じた。
内通者――そう、一人だけ、思い当たる人物がいる。
ランタンを使わせず、水光石の明かりで洞窟のからくりが見破れなかったのは偶然だろうか?
持っていた地図が役に立たず、迷うばかりで出られなくなったのも?
そもそも盗賊がうろついていることを知っていながら、護衛もつけずに連れてきたのは?
「――ユーリス……」
その人の名を、私は小さくつぶやいていた。
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