13 隠密行動

 翌日、馬は宿に預けておいて、私たちは徒歩で目的の村へ向かった。治安の悪い場所では、馬から降りて調査している間に盗まれる可能性があるからである。

「人目に付かないように術をかけますが、音までは隠せないので気を付けてくださいね」

 そう言うと、ナナキはおもむろに懐から小瓶を取り出した。蓋を開けると、中から白い光が飛び出して私たちを包み、ほどなく消えた。

「……何をしたんですか?」

「光の精霊の力を解放して、僕たちの周りにまとわせました。光を拡散させることで、周囲の人間の目に僕たちの姿が映らなくなるんですよ」

 すなわちステルス機能というわけだ。すでに潜入用に貧しそうな服装に着替えてあるというのに、ずいぶんと念入りなことだ。

 しかし、術をかけたというわりには、私もナナキもさっきと変わらないように見える。本当にステルスが発動しているのか疑問ではある。私の場合、むしろ霊体の時の方が透けていた。それでもナナキが自信たっぷりに言っているのだから間違いはないと思うが。

 私は落ち着き払った様子のナナキを横目で見やる。

 昨夜のことが嘘のように、彼は拍子抜けするほど今まで通りの態度だった。

 もしかしてあれは夢だったのかもしれない――いや、そうに違いない。

 そう思うことにして、私も努めて平静を装うことにした。



 村の外れに廃屋があったので、ナナキは屋根に上って周囲を見回した。

「どうやらこの付近に人は住んでいないようです。もう少し中まで進んでみましょう」

 たとえ姿を隠しても、音や気配までは消せない。念のため周りに人影がいないことを確認しながら、私たちは村の中心部に向かってゆっくり歩いた。

 村内に住宅の数はあまり多くなく、荒れた農地の中に小さな集落が点在している。しかも家屋はあちこち崩れたまま打ち捨てられている。壊れた木戸から中を覗くと、割れた食器や古びた道具類などが残されているのが見える。恐らく地震で倒壊した家から住人が離れてしまったのだろう。

 写真や映像などで見たことのある、まさに廃墟。

 いかにも幽霊の出そうな景色に戦慄したが、よく考えれば今の自分こそがほぼ幽霊なのだった。

 苦笑しながら回れ右しようとした時、足元の瓦礫につまづいて体勢を崩してしまった。転倒を回避しようと壁に手をつくと、その場の瓦礫が音を立てて崩れる。

「あちこち崩れやすくなっているので気を付けてくださいね」

 ナナキはそう言って、よろけた私に手を差しのべてくる。その瞬間、私は急に昨夜のことを思い出して顔が熱くなった。

 ――平静に! 平静に!

「どうかしましたか?」

「い、いえ、別に!」

 いったいナナキはどういうつもりなのだろう。

 伯爵がやたら距離が近いのは夫婦らしく演じるためもあるだろうが、ナナキにその理由は関係ない。単純にスキンシップが過剰なだけなのだろうか――

 混乱する頭と激しくなる動悸を何とか落ち着かせようとしていると、不意に背後から複数の声が上がった。


「――おい、そっちはどうだ!?」

「いや、誰もいねえぞ」

「おかしいな、さっき誰かいたような気がしたんだが……」

 半壊した家屋の陰から、いかつい男たちが数人現れた。私たちを探しているのは間違いないだろう。姿を消してはいるが、気配で感づかれるかもしれない。早く身を隠さねば――

 人気のない場所を探して周囲を見回していると、不意にナナキが天に向かって手をかざした。

 ――次の瞬間、突風が吹き抜けた。

 彼らが砂ぼこりから目をかばっている隙に、ナナキは私の手を取って裏道の方へ駆け出した。


 ひとまず誰もいないところまで来て、ナナキは足を止めた。

「今のあれは……」

 私が言いかけると、唇を人差し指で塞がれた。口を開くなという合図だ。

 そしてナナキは私の耳元に、吐息の熱を感じるほど唇を近づけて語りかける。

「風で僕たちの足跡を消したんですよ。追ってこられたら厄介ですからね」

 ――だから、いちいち近いんだってば!

 身をよじってナナキから体を離しながら、私はさらに問いかける。

「……今のが盗賊ですか?」

「少なくともただの村人ではなさそうですね」

 遠目で見てもわかるほど、男たちの顔や腕などには大きな傷跡が目立っていた。鍛えた体つきからしても、普段から荒事に携わっているのは間違いないだろう。


 廃屋の陰から様子をうかがっていると、私たちを追っているらしい男たちが近づいてくる。こちらが見えてはいないようだが、場所を移した方がよさそうだ。

 踵を返そうとしたその時、今度は新たに年配の太い声が上がった。

「おまえら、何遊んでやがる! 交代の時間だぞ!」

「あぁ!? 誰が遊んでるって?」

「おい、やめろよ。お頭に『指導』されるぞ」

 その言葉を聞いた途端、その場にいた屈強な男どもが一瞬怯えた表情になった。

 ――「お頭」とはいったい誰だろう?

 その人物が彼らのリーダーなのだろうが、お頭という単語を聞いただけでそこまで怯えるとは、相当な恐怖政治を敷いているようだ。まあ、盗賊のボスなら当然のことかもしれないが。

 急にしおらしくなった男たちは私たちを探すのをやめ、そろって同じ方向に歩き始めた。

 私たちも距離をとって彼らの後をつけることにした。



 男たちはゴーストタウンと化した村を抜け、獣道のような山道を進んでいった。そうしてたどり着いた先には、人一人がようやく通れるほどの洞穴があった。

「どうやら鉱山につながっているようですね」

 彼らに聞こえないよう、ナナキは小声で私にささやく。

 確かにこの洞穴は鉱山に入るためのもののようだ。こちらは先日来た時の洞穴のちょうど反対側に当たるだろう。

 男たちはランタンに火を入れると、洞窟内を照らしながら中に入っていった。

 足音が響きやすいので、警戒してさらに距離を取りながら私たちもその後に続く。

 彼らは追跡者にはまったく気づいていない様子で、気楽に雑談をしながら歩いていた。


「そういや最近、領主がもらった若い嫁がこの辺まで来てたらしいな」

「はぁ? 何しにこんなとこまで来るんだよ」

「知るかよ。箱入りのお嬢って話だから、面白がって物見遊山にでも来たんじゃねえのか」

 その「若い嫁」とはもちろん私のことだ。物見遊山のつもりはなかったが、洞窟探検に多少心躍ったのも事実なので、否定しきれないところが何とも言えない。

「そいつを知ってりゃここで張ってたのによ。あーもったいねえ」

「さらって領主から身代金をふんだくるつもりか? かなり貧乏だって話だが、どれだけ絞り取れるかねえ」

「金がなくても楽しむぐらいはできんだろ。何しろその嫁はかなりの美人だって話だからな。たっぷりかわいがってやればいいさ」

 男たちの下卑た会話に、本当に危険だったのだと改めて気づき、私は戦慄した。もし先日、ここで盗賊たちに遭遇していれば、無事では済まなかったろう。

 いくら死なない仮初めの体だと言っても、荒くれ男たちに蹂躙されるのは恐怖でしかない。


「――帰りますか?」

 自分でも知らないうちに体が震えていたのかもしれない。心配そうにナナキが小声で尋ねてきた。

「いえ……大丈夫です。ここまで来たら、奴らの情報をちゃんと持ち帰らないと」

 ここが盗賊の根城になっているのはもはや疑いようがない。だとしたら、きちんと調査した上で伯爵に報告すべきだろう。領内の治安を守るのは、領主たる者の務めなのだから。

 決意を固め、私は引き続き男たちの後を追うことにした。

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