9 調査活動

 伯爵の休暇は結局その日だけで、翌日からはまた多忙な生活が始まった。

 私とはすれ違いがほとんどで、会話をする機会も滅多になかった。

 邸内の使用人は相変わらず政略結婚の花嫁によそよそしく、私に構う者はいなかったが、そのお陰で書庫の資料の調査に好きなだけ時間を費やすことができた。

 書類に書かれた文字は見たこともないものだが、アイシアの記憶と融合させ、解析することで問題なく読める。実に便利な翻訳機能である。

 この何日かで読み解いた情報を一度整理しよう。


 まず、鉱山から採掘される鉱石はほとんどが水光石である。

 この原石を加工する工場は鉱山麓の村にいくつかあるが、領内での加工はわずかで、大半は国内の他領地に出荷されているようだ。

 土地が痩せていて農産物からの税収が少ないため、水光石の採掘がストップしてから領内の収入は一気に減ってしまっている。


 次に、落盤の原因となった地震以降の出来事を時系列にまとめると、以下のようになる。


 昨年3月2日未明 鉱山付近で地震発生。

 3月5日 調査隊を派遣、被害状況の確認。坑道内の落盤が報告される。

 3月7日から10日にかけ、大雪。鉱山麓の村が孤立。

 3月12日 救援要請が伯爵家に届き、兵を派遣。

 3月15日 地震被害と積雪のため鉱山の閉鎖を決定。作業員も一斉解雇とする。


 ……何とも呪われた山ではないか。地震で落盤が起きただけではなく、その後すぐに大雪まで降って復旧がますます遅れていたとは。

 その後、雪解けを待ってから再び現地を調査したが、とても復旧できる状況ではないという報告が上がっている。

 本来、復旧作業をするなら鉱山で働く坑夫たちをそのまま当たらせるところだが、大雪で坑夫の居留する村が孤立し、その後も雪が解けるまでは待機しかできないため、一時金を渡して解散させたようだ。

 坑夫の多くは日雇いで、常時50人ほどが詰めていた。それだけの人数分の給料を、採掘のできない間に払い続けることは不可能である。そのため一時的に解雇したのだが、雪解け後に復旧作業をするために改めて人足を召集してもほとんど集まらなかったようである。

 領内に常備兵はいるが、彼らを長期間通常業務から外すわけにもいかないため、鉱山が放置されているという状況であるようだ。


 現代社会であれば、災害復旧は地方自治体だけでなく国の仕事でもあるのだが、封建制度の世界ではそうもいかないだろう。領地経営に失敗したと見なされれば、家ごとお取り潰しになることもあるかもしれない。ワクマー家の資金提供がどの程度なのかはまだ不明だが、早く人足を集めて復旧作業をしなければ財政破綻は目の前である。


 資料を読むのを中断し、私は大きく息をついた。

 何か力になれればと始めたことだったが、自分一人の手ではどうにもできない状況らしいと改めて思い知らされたのである。

 いったいいつまでこの偽嫁生活を続ければよいのだろう……そんなことを考えていると、ソーシャが来客を告げてきた。

 私を訪ねてくる人間などいただろうかと首をひねりながら応接室に入り、客人を見て私は目をみはった。

「その後、調子はいかがですか?」

 ゆるやかに微笑む肖像画のような顔。長い白銀の髪と赤い瞳に彩られたその人物は、一度見たら絶対に忘れられない相手だった。

「ナナキ、さん……? どうしてここに……?」

 そこにいたのは、私をこの世界に召喚し、さらにはこの伯爵家へ派遣した張本人だったのである。

「今日はワクマー家ゆかりの行商人としてこちらに伺いました。君の仕事ぶりが気になりましてね」

「仕事ぶりって……」

 つまりはヒアリングと個人面談というところか。雇用主自らアフターフォローにやって来るとは。

「輿入れ早々、ずいぶん働いているらしいですね。わざわざ鉱山まで探索に行ったり、関係書類を調査したり」

 よく知っているものだと思ったが、恐らくソーシャから報告を受けていたのだろう。本来、ソーシャの主人はナナキなのだから当然である。

「ええまあ……現状を把握しようと思いまして。何しろ契約期間も不明な仕事ですからね」

 引き受けたのは自分自身だが、まさかここまで先行き不透明な仕事になるとは思っていなかった。少なからず恨みがましい目で見返したが、ナナキは涼しい顔で受け流す。

「それで、何か打開策は見つかりましたか?」

「今のところは、ワクマー家から提供された資金で人を雇って復旧作業をする以外に方法はなさそうですね」

「そうですねぇ……でも、それもどうやら難しそうですが」

 ……何だって?

 今、とんでもないことを言わなかったか?


「――どういうことですか?」

「鉱山付近が危険なので、人が集まりにくいんですよ」

「危険って、まだ坑道の崩落が続いているんですか?」

「いえ、崩落が問題なのではありません。あの付近に魔物や盗賊が出るという噂がだいぶ広まっているようなんです」

「魔物なんているんですか? 洞窟内を歩き回っても一匹も見当たりませんでしたけど」

 魔物の存在自体、初耳である。魔法のような技術のある世界なら、魔物の類がいてもおかしくはないが。しかし、最も出そうな洞窟に全くいなかったのはなぜだろうか。それにそもそも魔物が出るなら、伯爵夫人に執事と侍女が同行しただけで、他に護衛もつけないのはだいぶおかしい。あるいはユーリスがよほど腕が立つのかもしれないが。

「まあ、あの鉱山の中には出ないでしょうね。水光石には魔除けの効果がありますから」

「そうだったんですか!?」

 まさか、あの石にそんな効果があったとは。ただのランタン代わりだと思っていたのに。


「水光石には光の精霊の力が閉じ込められています。それを水に投じることで力を解放できるんです。精霊術士でない者も手軽に精霊の力を使えるので、大変貴重な石なんですよ。あの鉱山には水光石が大量に眠っているので、魔物は基本的に入れません。出現するなら外の村でしょうね」

「そんな、じゃあ村が危ないでしょう!」

「ですので、住人の多くは出て行ってしまったようです。もともと地震で崩れた家もありましたし、魔物も出るようでは住めませんからね。恐らくそこに目を付けた盗賊が根城にしているのでしょう」

「……伯爵はそのことを知っているんでしょうか」

「さすがに報告は来ているでしょうね。そうした対応に追われているからこそ、やつれるほど毎日忙しいのだと思いますよ」

 確かに自領でそれだけのことが起きていれば、報告が届かないはずはないだろう。大雪で閉鎖された村に救援を向かわせるような領主である。盗賊や魔物など、さらに危険な状況があれば対応しないはずはない。

 出会ってまだ数日だが、レイオール伯爵が大変慈悲深い領主であるということは充分に理解できた。

 現代のように人命が尊重される時代でもないのに、自治体のトップが自ら指揮を執って領民の安全を守ろうとするのは、この世界では稀少なのではないだろうか。その分、お人好しが過ぎて騙されやすいという欠点もあるけれど。

 そんな不器用な領主を、何とか支える方法はないものだろうか――


「見てみますか?」

「え……?」

 ナナキに不意に問われ、私は戸惑った。しかも彼はいつの間にか私の真正面に立っており、整いすぎた顔が目の前にある。

 ――近い。近すぎる。

「麓の村を実際に見てみたいという顔をしていますよ」

 図星を指され、苦笑を漏らすよりない。

 そう、これは鉱山より先に解決しなければならない問題なのだ。そのためにはやはり現地を見てみる必要がある。そうは思うのだが、

「でも、また屋敷を出て危ないところへ行ったらさすがに怒られるかと……」

 鉱山からの帰りが遅かった時、伯爵は血相を変えて馬で駆けつけた。あれは付近の治安が悪いことを知っていたからこそではないだろうか。

 それならなおさら、その危険の中心地である村へ行くなど、絶対に認めてもらえないだろう。

「まあ、そうでしょうね。でもバレなければ問題ないでしょう」

 しれっと何てことを言うんだ、こいつは。

「……奥方様が外出したらさすがにバレるんじゃないですか」

 いくら使用人たちが私に無関心だからと言って、勝手に外出できるはずがない。たとえ外に出られても、単独行動はできないだろう。行き先が知られたら当然止められてしまう。

 しかし、ナナキはそれには答えず、笑ってこう言い残した。

「明日は街に市が立つ日です。ソーシャに指示を出しておきますので、そこでまた会いましょう。その程度の外出ならさすがに許可も下りるでしょうからね」

 相変わらず仕事内容を明確に告げない雇用主に嫌な予感を覚えつつも、私はその言葉に従うほかなかった。

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