7 光の差す方へ

「お姉さんたち、迷子?」

 人影から発せられた声音は、予想よりも幼かった。

「……あなたは誰?」

「おいらはここに住んでるんだよ」

 明かりに映し出されたのは、見たところ十歳前後の少年だった。彼の言葉に、ユーリスが眉をひそめる。

「この鉱山はレイオール伯爵家の所有地ですよ。勝手に住み着くとは感心しませんね」

「しょうがないだろ、この前の地震で住むところがなくなっちまったんだから。それで、地震でこの鉱山も閉鎖されてるから寝床にちょうどいいと思ってさ」

 暗がりでも、その少年がやせ細り、みすぼらしい身なりをしていることはすぐにわかった。こんな洞窟で寝起きしている子供が、まともな衣食にありつけるはずもないだろう。

 だが、気力だけは失っていないのか、痩せた体からは元気な声が発せられる。

「地震であちこち崩れてるから、地図は役に立たないぜ。おいら、出口を知ってるから案内してやるよ」

「お願いできるの?」

「まあね。その代わり、何か食い物くれよ」

 年の割に、ずいぶんとちゃっかりしている。そうでなければこんな環境で生き延びられるはずもないだろうが。

 うなずいて、私は少年の申し出を受けることにした。



「落盤は地震によるものだったのね」

 少年に道案内をされながら、私はつぶやいた。

 そういえば落盤の原因は聞いていなかったのだが、今の話で地震だと判明したのである。

「そうだよ。結構でかかったのに、お姉さん知らなかったの?」

「……私は最近こちらに来たばかりだから」

 実際、アイシアの記憶を探ってもその情報は見つからない。災害情報がアイシアの住む地域にまでは伝わっていなかったのだろう。

「落盤に巻き込まれた人はいなかったの?」

「地震は夜中に起きましたので、当時作業員は誰もいなかったようです。揺れたのはこの近辺のため、住宅地にはほとんど被害がなかったとは聞いておりましたが……」

 報告するユーリス本人も、地震のあった時にはまだレイオール伯爵家にはいなかったので詳しくは知らないのだろう。

 黙って先導する少年に、私は何と声をかけてよいのかわからなかった。

 この子の住んでいた場所の状況は、「ほぼ被害なし」とされて誰も気にも留めなかったのだろう。

 彼が失ったのは住まいだけではないかもしれない。この幼い年で一人きりなら、家族もその地震で亡くしている可能性だってある。だが、その情報は誰にも知られていないのだ。

 元いた世界でさえ、地方に行くほど災害の被害状況は伝わりにくくなる。前近代の世界ではなおさらだろう。それでも、本来ならば領民の安全を守るべき側の者としては胸が痛む。――私は、ただの偽者に過ぎないけれど。


「ほら、あっちが出口だ。もう迷うんじゃねえよ」

「ありがとう、助かったわ」

 ユーリスが何か余計なことを言う前に、私は少年にお礼を言った。放っておくと嫌味眼鏡はまた所有地がどうこうなどと説教しそうだったからである。すでに食料はユーリスの荷物から出させて渡してある。もう用は済んだとばかりに、少年はあっという間に洞窟の闇の中へ消えていった。

 彼はまたこの洞窟で夜を明かすのだろう。何もできない自分を歯がゆく思いながらも、私は前に向き直る。

 入り組んだ洞窟の中、いくつもの分かれ道を曲がると、冷たい夜風が頬を撫でた。外気の入り込む先には、赤い光が見える。

 光の差す方へと向かい、洞穴から抜け出たところで私は呆然と立ち尽くした。



 赤い光は松明の炎だった。

 燃え盛る炎の赤にいっそう映える、青ざめた顔の持ち主は――

「――アイシア!」

 かすかに震える声で、彼はその名を呼んだ。

「……は、伯爵?」

 思わず言いよどんだのは、彼の切羽詰まったような表情に気おされたのと、何と呼んでいいのか一瞬迷ったからである。

 そういえば私はまだ、彼の名を一度も呼んでいない。

 アイシアの夫、ラグリス・レイオールの名を。

「良かった、無事で……急にいなくなったと聞いて心配したんですよ」

 その言葉と安堵の溜息を、私は自分の頭上で聞いた。

 ――なぜ、声が上から降ってくるのだろう?

 その理由に気づいた時には、私の体は伯爵の腕の中にあった。

(――――――――――!?)

 何度も言うが、私はこの年まで異性に抱きしめられた経験など皆無である。そんな人間に、いきなりの抱擁は刺激が強すぎた。

「あ、あの……伯爵様……っ!」

 焦って腕から抜け出そうとすると、伯爵はゆっくりと腕を解いた。しかし向けてくる瞳は相変わらず微笑を浮かべていて、どうにもこそばゆさを感じてしまう。

 少し落ち着こうと息をつき、空を仰ぐと、辺りはとっぷり暮れている。もう夜中と言っていい時間帯だろう。こんなに遅くまで新妻が帰ってこなければ心配するのも当然である。


「……私がついていながらこのような失態、大変申し訳ございませんでした」

「いや、ユーリスがいてくれたから無事に済んだんだよ。でも今度からは気を付けてくれるかい。せめて供の者はもう少し増やしてほしい」

「承知いたしました」

 平身低頭するユーリスに、レイオール伯は鷹揚に応じる。本来なら叱責どころでは済まない失態なのに、怒るどころかいたわるとは。思っていた以上にこの伯爵は度量の大きい人間なのかもしれない。

「アイシア。新婚だというのに仕事にかまけて、あなたに寂しい思いをさせてすみませんでした。明日は休みを取りましたので、ゆっくり過ごしましょう。まだ私たちはろくに話もしていませんからね」

 松明の炎に照らし出された伯爵の顔には、やさしげな笑みが浮かんでいた。思わずほだされそうになるが、私は今の台詞を反芻して我に返る。


 ちょっと待て。――私の行動は寂しさゆえの暴走だと思われていたのか!?

 そもそも私がアイシア本人ではないことは、伯爵も知っているではないか。というより、身代わりを依頼してきた当事者だろう。それなのに、どうしてそんな斜め上の発想になるのだ!

 私は一瞬恐慌状態に陥りかけたが、改めて辺りを見回し、少し落ち着きを取り戻した。

 確かにここには裏事情を知る伯爵、偽妻、執事、侍女の四名が揃っているが、他にも伯爵が連れてきたらしいわずかな従者や御者も居合わせている。彼らの前で新妻を心配する演技をしているのだろうか。だとしたらなかなかの役者である。


「旦那様、もしや馬で来られたのですか?」

「居ても立っても居られなくてね。自分で駆けてきてしまったんだよ」

 ユーリスの問いかけに、伯爵はそう答えた。見れば、彼の後ろには疲れた様子の馬があった。従者が鬣を撫でながら水を与えている。

 気が急くあまり、馬車ではなく自ら馬に乗って駆けつけてきたのか、この人は。伯爵家の当主で、新郎で、本人も連日激務で疲れているはずなのに。

「本当に……申し訳ございませんでした」

 それは私の本心だった。私の浅はかな思い付きのせいで、ひどく迷惑をかけてしまった。まさか偽物の花嫁にすらここまで誠実な人だとは思いもよらなかったのだが、認識を改めなければならないだろう。

「あなたが気にすることはないよ。さあ、私たちの家へ帰ろう」

 穏やかな笑みとともに差し伸べられた手を、私は少しの逡巡の後、ゆっくりと取った。

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