6 洞窟探検隊

 洞窟探検というのはなかなか心が踊るものである。

 冒険ものでもミステリーでもホラーでもファンタジーでも定番の舞台の一つではないか。

「ソーシャ、明かりはある?」

「はい、こちらに」

 坑道に入るつもりだったので、ソーシャには明かりを用意してもらってあった。

 ソーシャがランタンを取り出し、火を入れようとすると、ユーリスが制止した。

「いえ、代わりにこれを」

 ユーリスが荷物から出したのは、ランタンではなく持ち手のついたガラス瓶。その中には水が入っている。そこへ彼は親指ほどの大きさの石を一つ投じた。

「わ、光った!」

 小石は青白い光を放ちながら、水中にゆっくりと沈んでいく。

「これは水光石と言って、水に反応して光る鉱石です。次第に水に溶けていきますので、これ一つでだいたい一時間ほどはもつでしょう。坑道内でむやみに火を使うと爆発することがあるため、こちらの明かりを使うのです」

「へえ、便利なものがあるのね」

 今が中世あたりの文明ならガスの存在は発見されていないのかもしれないが、坑道内でのガス爆発については経験則から理解されているのだろう。実際、世界史上でも洞窟、坑道、井戸などにおけるガス中毒や爆発事故の事例は数多くあるのだ。

「ご存じなかったのですか? というより、そのご様子ですと、ここで採掘されているのが主にこの水光石だということもご存じなさそうですが」

「そうだったの?」

「……何が採れるかも知らずに鉱山に来ようとしていたのですか」

 ユーリスはわざとらしいほど大きく溜息を吐き出した。本当に嫌味な奴だ。

「とにかく、早く中に入ってみましょう!」

 これ以上余計なことを言われる前に、私は洞窟の奥へとずんずん進んだ。


 しばらく歩くと、道が三つに分かれていた。

「あら、分かれ道ね。どれにしようかしら」

「――お待ちください。まさか勘で選ぶおつもりですか!?」

 それまで終始無言だったユーリスが、急に切羽詰まったような声を上げた。

「だって落盤事故が起きてから、誰も中に入っていないんでしょう? それならとりあえず現場を探してみるしかないんじゃないの」

「それにしても当てずっぽうで歩き回るなど正気の沙汰ではありませんよ……せめて地図で見当をつけてからにしていただきませんと」

「あなた、地図なんて持ってたの? だったら先に言ってよ」

「………………」

 ユーリスは何かを言うのを諦め、無言で私に地図を突き出してきた。つくづく感じの悪い執事である。

 そうして糸目執事からもぎ取った地図に水光石の明かりを近づけて覗き込み、私は愕然とした。

 それはまさに迷路のように複雑に入り組んでいたのである。正直、坑道がここまで枝分かれしているとは思ってもいなかった。もとが自然洞窟と混じっているからこそ、ここまで迷宮化してしまったのだろう。

 なんとなく嫌な予感がしつつも、今さら引っ込みがつかず、とりあえず一番短そうなルートを選んで進むことにした。



 ……その後すぐ、自分の直感は大事にするべきだということを私はつくづく思い知らされた。


 つまり、迷ったのである。



「………………」

 暗がりなのに、無言のユーリスの表情が手に取るようにわかるのはなぜだろう。わかりたくもないけれど。

 自分の名誉のために言っておくが、地図が読めないわけでは決してない。地図と実際の道が異なっていたのである。

「奥様、先程の分かれ道に戻りましょうか?」

「そうね、さっきのところで地図よりも一本道が増えていたものね」

「……だったらなぜ先に進んだんですか」

 眼鏡がソーシャとの会話に割り込んでくる。うっとうしい奴め。

「まあでも迷路で迷ったら、ひたすらずっと片側の壁に手をついて歩いていけば必ず出口に出られるからね。そんなに心配しなくても大丈夫よ」

「よくそういうことをご存じですね」

 地図も読めないくせに、と糸目の顔に書いてあるような気がしたが、見なかったことにする。

 迷路の脱出法は以前に本で読んだ豆知識である。だが、それを実行するにはこの洞窟は広すぎるかもしれない。ろくな装備もなく入ってしまったので、長時間の探索は避けるべきだろう。ここが元の世界であっても、浅慮と言うほかない失態である。


 だが、ここまで歩いてきて不思議なことがある。

 一つ。

 魔法のような力がある世界において、さらには定番の洞窟内で、一度も魔物や野生動物と遭遇していないということだ。たとえ元の世界でも、コウモリくらいは住んでいるだろうに、一匹も見かけていないのは奇妙と言うよりない。

 そしてもう一つ。

 ここまで進んでいるのに、まだ坑道が見つからないことである。地図では自然洞窟部が青、人工的に掘削した坑道が赤で表示されていた。私たちが歩いているところはとっくに赤い道のはずなのに、人工的に掘られた形跡がない。


「あの……もしかして先ほどから同じ道を繰り返し歩いていませんか?」

「やっぱり……ソーシャもそう思う?」

 そんな予感はしていたのだが、ずっと口に出せずにいた。だが、ついに口数の少ないソーシャすらそう言い出した。

 水光石一つ消費するのにおよそ一時間。今は瓶に四個目が投入されているので、すでに三時間以上は経過していることになる。途中で休んだりはしているが、それでも景色に全く変化がない道をぐるぐるするのは、まるで「狸に化かされた」かのようである。

「屋敷の者には行き先を伝えてありますので、帰りが遅ければ探しに来るはずですが」

 すでに諦観の表情を浮かべ、ユーリスはそう告げた。

「嫁入り早々遭難して救助されるのかぁ……」

「嫁入り早々鉱山なんぞにわざわざやって来たのはどなたですか」

 そう言われると返す言葉がない。

「それにしてもお二人ともずいぶんと健脚ですね。普通のご婦人であれば、とうに歩けなくなっているでしょうに」

「え? あ、そうかしら……?」

 指摘されるまで気づかなかったが、そういえばこれだけ歩いているのに疲労感はどこにもない。ゴツゴツした洞窟内を、ウォーキングに不向きな婦人用の華奢な靴でさまよっているにも関わらず。そして、それは涼しい顔をして佇むソーシャも同様だろう。

 忘れがちだが、私たちは生身の体ではない。だから靴ずれもなければ空腹とも疲労とも無縁なのだ。そのため、ユーリスの疲れた顔がいっそう際立って見える。

「ユーリス、大丈夫? だいぶ疲れてるみたいだけど」

「心配していただくくらいなら、今後の行動を自重してください」

 やっぱりこいつを心配するのはやめよう。


 それでも本格的に動けなくなっても困るので、とりあえず私たちはここで小休止することにした。それに、明かりの燃料である水光石を追加するタイミングでもあったのだ。

 ガラス瓶の中の小石が気泡を弾かせながら、最後の光を放つ。消滅する直前は、これまでの淡い光とは異なり、思わず目をつぶってしまうほどの強烈な青白い輝きを見せる。これが水光石の特徴なのだろう。

 石が完全に溶けきると、辺りは深い闇に包まれる。

 そしてすぐに投下された水光石から、また淡い光が放たれる。

「……あら?」

「どうかされましたか」

「今、一瞬遠くに何か光が見えたような気がしたんだけど……」

 正直、あまり自信はない。だが、水光石を追加するわずかな合間の暗闇に、何かが光ったように感じたのだ。

「特に何もないようですが……」

 ユーリスが新しい水光石の入った瓶を、私が指した方に向けてかざす。しかしそこには相変わらず岩壁が行く手を塞いでいるだけだった。

「先ほどの強い光を直視して、残像が見えただけではありませんか」

 カメラのフラッシュを見た後にしばらく目の中に光が残るのと同じ現象か。その可能性も充分あるだろう。

「水光石もそれほどたくさん持ってきているわけではありませんので、これを使いきっても出られなければ今日は動くのをやめましょう」

 ううむ、やはり遭難救助コースか。みっともないが、背に腹は変えられない。

 溜息をついたその時、背後からジャリ……と石を踏む足音が聞こえた。

 ――背後?

 ユーリスとソーシャは私の前にいるのに?

 驚いて振り返ったのは三人とも同時。

「――何者だ!?」

 ユーリスが鋭い誰何の声を上げ、音のした方向へ明かりをかざすと、一つの人影が岩壁に浮かび上がった。

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