5 百聞は一見に如かず
「ご気分がすぐれませんか?」
朝一番、相変わらず表情は変わらないものの、心配げにソーシャが尋ねてきた。
「大丈夫よ、心配しないで」
結局、昨夜は一睡もできなかった。人ならぬ身なので眠らなくても死にはしないが、精神的な疲労が凄まじい。
あの後、レイオール伯は私に指一本触れることなく、早朝に寝室を出ていった。相当仕事が忙しいらしい。私は寝たふりをしたままその背中を無言で見送った。下手に起きていることに気づかれたら、何もしていないのに気恥ずかしくて何と声をかけたらいいのかわからない。
朝食も一人で終えると、私は一つの提案を口にした。
「ねえソーシャ、伯爵の所有する鉱山ってどこにあるのかしら。私、そこに行ってみたいんだけど」
「鉱山、ですか? 何のために……」
どうやら私は表情の乏しいこの侍女を困惑させることに成功したらしい。
「伯爵が困窮しているのは、落盤事故で坑道が塞がって鉱山が使えなくなったからなんでしょう? ワクマー家が復旧のためにお金の援助をすると言っても、実際どれだけ時間と労力がかかるかわからないじゃない。だからそれを漠然とでも知るために、直接現場を見てみたいのよ」
「しかし、危険ではありませんか」
「もちろん坑道の奥まで行くわけじゃないわよ」
私が元の世界で鉱業やら建設業やらの専門職であれば、現代知識を生かしてパパッと問題解決できるかもしれないが、残念ながらただのしがない営業事務職である。専門知識は皆無だが、それでも事故の規模を見れば「これは何年もかかるだろう」ぐらいの見当はつくのではないかと思うのだ。
しかもこの世界の文明水準では、復旧作業に必要な重機類など存在しないだろうし。ただ、その代わりにナナキの使っていたような魔法的な技術が代わりに使えるのかもしれないが。
「ずいぶんと楽しそうな計画を立てていらっしゃるようですね」
急に背後から冷たい声が降ってきた。振り返ると、声よりさらに冷たい視線が刺さってくる。
「伯爵家の奥方ともあろうお方が、そのような場所に気軽に行かれるのは感心いたしませんね」
声の主はクソ糸目眼鏡こと執事のユーリスである。
「あら、どうして? その鉱山は自領の重要な収入源なのでしょう? その事故現場を領主の妻が検分することに何の問題があるのかしら」
「事故現場は今も時折崩落が起こっており、危険なので誰も中に入れない状況だそうです。もし巻き込まれでもしたらどうするおつもりですか」
ふーっとわざとらしく溜息をつくと、ユーリスは私のそばに近づき耳打ちした。
「たとえ偽物であろうと、あなたにここで死なれでもしたら、ワクマー家からの援助が打ち切られてしまいます。財政を立て直すまでは死なないようにしていただきませんと」
つまり金がもらえたら死んでもいいってことかよ。面と向かって言うか、普通。
頬の筋肉を引きつらせながら、私は嫌味で応戦した。
「私の身を案じてくださってありがとう、ユーリス。でも今の話しぶりだと、あなた自身も直接現場を見ていないんじゃないの?」
「鉱山の管理は私の管轄ではありませんし、落盤事故は私がこの屋敷に入るより前のことですので」
「あら、あなた、結構新顔だったの!?」
「落盤事故は昨年の三月に起きました。私がこちらにお仕えし始めたのは、その三か月後のことです」
この態度の大きさからして長年勤める古株かと思っていたが、実はまだ転職二年目の中途入社だったらしい。何でこんなに偉そうなんだ? 他に執事はいないのか、この家は。
「まあでもそれならちょうどいいわ。あなたも一緒にいらっしゃい。それなら私が危ないことをしないか、監視もできてちょうどいいでしょう? あなただってこの家の執事として、重要拠点の現状視察くらいするべきだと思うわよ」
「私にも本日の予定というものがございますが」
「あらそう。その予定を優先させて、大事な金づるの奥方様が死んでも構わないわけね」
「……脅迫するおつもりですか?」
「そう聞こえるのは後ろ暗いことがあるからじゃないかしら? ねえ、ソーシャ」
「私は奥様の命令とあらばどこへでもお供いたします」
ソーシャは涼しい顔でそう告げた。表情がないことがデフォルトなのだが、この場合はユーリスにとって嫌味か煽りに映ったようだ。
「――わかりました。それでは私も不本意ながら同行いたします。大変不本意ですが」
不本意を連呼しつつも、ユーリスは渋々従った。
事故現場の鉱山は伯爵領の境界付近に位置し、屋敷から2頭立ての馬車でだいたい三時間ほどの距離にあるという。
かつて、日本では二頭立て馬車で江戸・横浜間を四時間ほどで運行していたそうなので、そこから考えると、レイオール伯爵領はあまり広くはなさそうだ。
多少の罪悪感に目をつぶって脳内のアイシアの記憶を探りつつ、移動の馬車内でユーリスから自領のことを教わったりして、私はひとまずこの世界における必要な情報を整理することにした。
この世界での時間や月日の数え方は、元の世界とほぼ変わらない。各月がすべて三十日間というくらいの差しかないようだ。季節も春夏秋冬、今は六月で初夏にあたる。日本でいう梅雨のような雨季はなく、今は過ごしやすい季節。来月の終わりごろから暑くなるようだ。
クレイス王国の海側は温暖な気候だが、レイオール伯爵領は内陸で標高も沿岸部より高いため、他領に比べて寒いという。冬にはそれなりに積雪もあるそうなので、その前に復旧作業を済ませなければ最低でも来年まで何もできなくなってしまう。
とはいえ落盤が昨年の三月に起きてから何の処置もされていないのだから、どのみちすぐに復旧できるとは思えないが……。
私は少し頭をリフレッシュさせるため、馬車の窓から外の景色を眺めた。舗装されない道は路面ががたつき、乗り心地は決して良くはないが、それでもゆっくり進むこの乗り物は優雅さを感じさせる。
嫁入りの移動時は外の景色を眺める余裕などなかったが、今改めて見ると、人の手の入らない自然らしさを直に感じられて気分が良かった。
私の実家は最寄りのコンビニまで車で一時間というド田舎で、とても現代人らしい暮らしなどできないからと県内の都市部に就職した。首都圏の大都市に比べたらちっぽけな街でも、故郷に比べれば充分に都会である。だから仕事帰りの夜道など、一人で歩いているとたまに田舎の風景が恋しくなることがあった。なので、今はこの眺めが心地よく感じられるのだ。
鉱山入口までの道は小高い丘がいくつも重なり、それぞれの丘の上に赤や白や紫など、色とりどりの花が咲き乱れている。
植生も元の世界と似ているのだろうか? ラベンダーやユリなど、見覚えのある花もかなり目に付く。
これが見られただけでも今日は出かけてよかったと私は思った。
悪路を越えてようやくたどり着いた鉱山は、当然のこと人の気配がなかった。
掘削に使用していたらしい道具類や、掘り出した土山などがそのまま放置されている。
「坑道って思ったより広いのね」
映像資料で見たことのある、かつての炭鉱内部の様子と比べると、鉱山の入り口は意外にもかなり大きく、ワンボックスカーでも簡単に入れそうなほどであった。
「ここはもともと自然洞窟で、その奥を掘り進めて採掘しているそうです」
なるほど、この大きな洞穴は人力で掘り広げたものではなく、自然にできたものだったのか。となると、落盤は自然洞窟部ではなく、人為的に掘削した奥の坑道である可能性が高いだろう。
「それじゃあ現場まで行ってみましょう」
「はぁ? 中に入るおつもりですか!」
周りの目がないのをいいことに、ユーリスは声を荒げた。だが、その程度のことで怯むものか。
「当たり前でしょう。入らなければ何も様子がわからないじゃない。それじゃあここに来た意味がないでしょ。百聞は一見に如かず、虎穴に入らずんば虎児を得ず、よ」
「……意味がわかりません」
ユーリスを無視し、私はソーシャを連れて探検、いや現場検証を開始した。
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