3 輿入れ

「奥様、ご気分がすぐれませんか?」

 終始無言の私を気遣って、彼女は心配げな顔で尋ねてきた。

「いえ、大丈夫よ。ご心配なく」

 一応主人らしく答えたつもりだが、笑顔は引きつっていたかもしれない。

 ガラガラと馬車に揺られながら、私は今、レイオール伯爵邸に向かっている。向かいの席に同乗しているのは、侍女のソーシャである。

(――奥様、ねぇ……)

 私に付いて嫁ぎ先へ同行する侍女は、以前にナナキが見せたあの「精霊を憑依させた人形」である。私自身も似たようなものなので、レイオール伯爵家には人外が二人入り込むわけだ。

 とはいえ、伯爵自身もやってくる嫁が代理だということは知っていても、それが人外だとまでは知らないらしい。

「――精霊を憑依させる術は稀少でしてね。めったに他人に見せられるものではないんです。ですから、君のことはアイシア・ワクマー嬢に姿を変える術を施した人間だということにしてあります」

 とは、ナナキの言葉。姿を変える術はそこまで稀少ではないのだろうか。この辺りの匙加減はいまいちよくわからない。


 今回の花嫁代行計画は、レイオール伯爵と侍従の一部、そしてアイシアとその侍女だけしか知らないらしい。つまりアイシアは親に内緒でひっそり家出をしているわけだ。

 アイシアは貴族ではないが豪商の娘で侍女に世話されて生きてきたため、いきなりの一人暮らしは難しい。そのため、家出には側仕えの侍女が一人同行している。そしてレイオール伯爵家にはその本物の侍女の代わりに、このソーシャが入ることになったのだ。

「ねえ、ソーシャ。本物のアイシアには危険はないのかしら」

 どうやらお転婆の我儘娘ではあるようだが、箱入り娘がいくら侍女付きとはいえ家出生活が無事にできるのだろうか。期間限定と言っても、レイオール伯爵家の財政を立て直すまでという期間なら、最低でも数か月はかかるだろうに。

「ご心配には及びません。ナナキ様の方ですべて手配されております」

 それなら大丈夫だろうか。

 ナナキは息を飲むほどの美形だが、その笑顔にはどうも裏がありそうな気がしてならない。肌も髪も白いくせに、腹の中は漆黒かもしれない。もちろん、私の独断と偏見だけれども。

 まあ、たとえナナキに裏がなかったとしても、アイシアもなかなか豪胆な娘のようなので、あまり心配はいらないのかもしれない。

 何しろこのお嬢様、結婚式すらバックレたのだ。

 私の霊体がこの体に憑依させられてすぐ、結婚式が行われた。それがあの冒頭の宣誓である。

 両家の家族や親戚縁者が一堂に会する結婚式に偽物を派遣するなど、普通では考えられない。もし失敗したら、その後の計画もすべて台無しになるというのに。

 だが、それも仕方ないのかもしれない――と、私はソーシャをちらりと見やる。

 貧乏貴族相手とはいえ、豪商の娘が嫁ぐのに侍女一人というのはさすがに少ないのではないだろうか。嫁入り道具などはすでに運び込んではいるようだが。

 アイシアは箱入りではあっても一人娘ではなく、腹違いの兄弟姉妹が大勢いるようだ。なので、今回の婚姻もただの駒扱い。離婚して出戻っても、またどこか別の貴族へでも嫁ぐことになるのだろう。

「……失敗できないわね」

 まだ直接会ったことはないが、多分に同情できるお嬢様のために一肌脱ごうと決意したところで、馬車が停まった。私の新しい「職場」となるレイオール伯爵邸に着いたのである。



 貴族のお屋敷というからには、西洋のお城をどうしても想像してしまう。具体的には、シンデレラ城のモデルになったノイシュバンシュタイン城のような。何しろ想像力も海外旅行経験も貧困なので、その程度しか思いつかないのだ。

 だが、目の前のレイオール伯爵邸は、そんなお城らしい外観とは程遠かった。

 屋敷の母屋は堅固なレンガ造りだが、想像よりだいぶ小ぢんまりとしており、日本でも田舎の小金持ちなら建てられそうな規模である。そして正面玄関を過ぎると、庭のあちこちの木々に手入れが行き届かず、荒れているのが見て取れた。

「……庭師はいないのかしら」

「何かおっしゃいましたか?」

「は、いえ、何も!?」

 思わず口に出ていた言葉に突っ込まれ、私は大きく動揺した。今、目の前にいるのはレイオール伯爵家の執事で、名をユーリスという。私たちを邸内に迎え入れるのが彼の仕事なのだ。

 すらりと伸びた背筋に、優雅な歩き方。そして銀縁の眼鏡の向こうの涼やかな目元は、いかにも有能な執事らしさを感じさせる。レイオール伯爵家は屋敷も財政も傾いているようだが、この執事が何とか支えているのかもしれない。そんな想像をめぐらしていると、

「一つ、忠告いたしますが」

 ユーリスは声をひそめて私に耳打ちする。

「あなたが代理の花嫁だということは、この邸内ではごく一部の者しか知らされておりません。どうか、言動にはお気を付けくださいますよう」

 険のある口調で、ユーリスは冷ややかにそう告げた。

「わかってますよ!」

 このクソ糸目眼鏡が!!

 前言撤回、私は心の中で嫌味執事を罵倒した。



 新郎であるはずのラグリス・レイオール伯爵は花嫁を迎える当日でも仕事で忙しいらしく、帰りが遅くなるという。まあ、もともと契約結婚で、しかもその妻も偽物だとわかっている以上、家族サービスをする必要もないわけだ。

 この婚姻が金策のための政略結婚だということは、花嫁が代理とまでは知らずとも、この屋敷のすべての人間が理解しているのだろう。嫁いできた伯爵夫人に対し、召使いたちはよそよそしく、ソーシャ以外誰も私に近寄ろうとはしなかった。

 もちろん、こちらとしては好都合である。おかげでボロが出なくて済むのだから。

「こちらの世界の生活事情なんて知らないから、何かの拍子にバレるかもしれないもんね。路傍の石のような扱いでかえって助かったわ」

 ソーシャがそばに控えるだけの寂しい夕食を終え、私は寝室の広いベッドに体を投げ出した。

「奥様の依り代には人形のほかに、擬態元のアイシア様の体の一部を使っております。ですから、持ち主であるアイシア様の記憶も受け継いでおられるはずです」

「体の一部!?」

「はい、髪や少量の血液などです。ですから、記憶すべてを引き出すことはできませんが、必要な際には一部の記憶を参照できるかと思います」

 何だかとんでもないことをさらっと言ったな。というか、ナナキから聞いていないぞ。

 確かに結婚式に身代わりで出ても、身内が騙されるほどそっくりに化けているのだから、クローンを作成するためのDNA情報のようなものが必要になるのは当然かもしれない。いつの間にそんなものを用意したのか知らないが、アイシア本人も依頼人だというからには、その話し合いの際に採取しておいたのだろう。恐らく、姿を変える術とやらに必要だとでも言って。

(――これは、絶対アイシア本人には言えないわね)

 一部であろうと、自分の記憶が他人に読まれるのは耐えられないだろう。私だって中学時代に妄想を書き連ねた黒歴史ノートを他人に読まれたら死にたくなる。幸い、引っ越す際にすべて実家で処分してきているが。


「そういえば私の体、ソーシャもだけど、元は人形じゃない? 食事や睡眠は取れるのかしら? さっき一応夕飯は食べてきたけど」

「奥様の場合、人間であるアイシア様とご本人の霊体の記憶が残っておりますので、人間の体だと意識すれば同じようにふるまうことができるそうです」

 つまり、食べたり眠ったりしなくても死なないが、やろうと思えばできるらしい。何とも便利な体になったものだ。

 アイシアは16歳。私の元の体より一回り近く若い。しかもとびきりの美少女で、貧相な体つきの私と違ってスタイルも申し分ない。その柔らかな肌は人間らしい熱を帯び、鼓動や脈打つ音すら感じられる。本当に人間としか見えないのだ。

「ソーシャには人間の記憶がないの?」

 寝室でしとやかに佇む侍女に、私は尋ねる。

「はい。私はナナキ様に召喚された精霊ですので、この体に憑依してからの記憶しかございません。精霊には生前の記憶というものがなく、この依り代にも人間の肉体が使われておりませんので」

「じゃあ、ご飯も食べられないんだ……」

「周囲に疑われない程度にはふるまえますので、ご心配なさらずに」

 ソーシャがまじめな顔できっぱり答えるので、私はそれ以上何も言えなかった。

 これはあくまで私の想像だが、人前で食事をしなければならない状況であれば食事はする。だがそれは見た目上の摂取に過ぎず、消化ができないので後でこっそり吐き出す、といったところだろうか。その食事だって人間の記憶がなければ味覚もないだろうし、食事を楽しむことはできないのだろう。


 私は、今の状況に感謝すべきなのだろうか?

 見知らぬ人間に刺されて死にかけ、知らない世界に魂が飛ばされるなど、決して喜んで経験したいことではない。それでも、その状況下ではかなりマシな部類なのだろうと思う。

 精霊は、あの世界で死んだ魂がこちらへたどり着いた姿だという。それなら、このソーシャにも元となった人間が存在したはずだ。だが、その記憶をなくし、ただ呼び出した召喚主の命令を聞いて動くだけの駒となってしまっている。

 ソーシャの見た目は人間そっくりだが、表情が無機質で、やはりどこか作り物めいているように感じられる。この世界では精霊を使役することが普通なのかもしれないが、元が私と同じ世界の人間かと思うと、彼女の温もりのない瞳と向き合うたびに、どこかいたたまれなさを感じてしまう。

「――奥様、私はこれで」

「え、急にどうしたの?」

 突如、一礼して部屋を退出しようとするソーシャを呼び止めると、彼女は静かにこう告げた。

「レイオール伯爵がこちらにお渡りになるようです」

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