2 花嫁代行計画
「あの……今、結婚って言いました?」
「そう聞こえませんでしたか?」
そう聞こえたから聞き返してるんだよ!
「いや、でも、そんな会ったばかりの人と結婚なんて、私……」
結婚という単語自体が自分とはあまりに無縁すぎて、いきなり言われても動揺するしかなかった。それなのに、焦る私を見てナナキはクスクス笑った。
「もしかして僕と結婚すると思いました? 違いますよ、ちょうど仕事の依頼がありましてね。依頼主はラグリス・レイオール伯爵。鉱山を抱える地方領主です。その彼がこのたび結婚する予定のアイシア・ワクマー嬢の身代わりになってもらいたいんですよ」
唐突に大量の情報を投げ与えられて、私は戸惑った。
「ちょっと待ってください。は、伯爵? というか、ここはどこなんですか!?」
そう、まずはそこからだ。
とにもかくにも、まずはこの世界がどういうところなのか把握しなければ始まらない。
結婚の話はひとまず置き、ナナキからざっとこの世界の概要を説明してもらうことにした。
今、私とナナキがいる場所は、三つの国家の国境に広がる「宵の森」と呼ばれる森の奥深くだそうだ。迷いやすく、足を踏み入れたら二度と出られなくなる「帰らずの森」とも呼ばれるほどの危険地帯で、他国の統治が及んでいない。そのためナナキはどの国とも自由に取引ができるのだという。
今回の依頼人は、隣接する三国の一つ、クレイス王国のレイオール伯爵という人物だそうだ。
クレイス王国は三国のうち最も広く海に面しており、整備された運河を多く持つ水運国家。大河のお陰で肥沃な大地は実りも多く、経済的に豊かな国であるーーはずなのだが、レイオール伯爵領は全く異なる。
彼の領地は内陸で、その土地も痩せているため、農水産業はほとんど期待できない。唯一の収入源は領内にある鉱山からの採掘であるという。
それでも何とか細々と領地経営をしていたのだが、鉱山の落盤事故が起こって以来、復旧の目処が立たず、収入も途絶えてしまっているのだそうだ。
坑道を復旧しなければ採掘はできない。しかしそのための蓄えも人足も足りない。そんな時、救いの手を差し伸べたのが、豪商のワクマー氏だったのだ。
「お金を出す代わりに娘を嫁にしろ、ってことですか」
生身の体ではなくても、私の顔はとても嫌そうな表情を浮かべていただろう。
「まあ、貴族の結婚ではよくあることですけどね」
それはそうだろう。王国だの伯爵だの領地だのという言葉の断片から想像するに、この世界は元の世界でいう中世の封建制度に近い仕組みなのだろうと思う。
貴族の家柄と富豪の財産をそれぞれ目的とした政略結婚は、どの世界でも珍しいものではないのだろう。
それでも、対価にされる娘にすればたまったものではないはずだ。私自身は結婚など全く無縁だったが、だからといって勝手に決められるのも受け入れがたい。いくらそういうことが当たり前の時代だとしても。
「それに、今回の依頼はお相手のワクマー嬢との共同名義で行われているんですよ」
「はい!?」
「ワクマー嬢はこの結婚を望んでおりません。一方でレイオール伯爵の方も金銭の援助のために仕方なく結婚するだけで、婚姻自体には消極的なんです。ですから、財政を建て直すまでは仮面夫婦を演じ、ワクマー氏の援助が不要になったら婚姻を解消しようということになったんです」
「ちょっと待ってください! そういう話し合いができているなら、私が身代わりになる必要なんてないじゃないですか!」
「ワクマー嬢は少々お転婆が過ぎるようでしてね。期間限定の仮面夫婦にしても婚家に縛られるのが嫌なのだそうです。いずれまた誰かと結婚させられるにしても、それまでの間、少しでも自由な時間が欲しいそうですよ」
気持ちはわからなくもないが、相手も期間限定の契約結婚に同意しているのに、この時代にしてはずいぶんと我が儘……というか奔放なお嬢様のようだ。
一通りの説明を終えると、ナナキは隣の部屋へ私を招いた。
レンガ造りのひんやりとした部屋の中央には、ベッドが置かれていた。その上には白木の人間大の人形が寝かされている。
「これが君の依り代です。しばらくはこの中に入って活動してもらいます」
ナナキはそう言うと、私の返答も待たずに何かを詠唱し始めた。すると、ナナキを中心として突如、眩しい光が辺りを包む。何色もの光が交差し、混じり合い、渦となって私を、人形を飲み込んでいく。
実体を持たないはずの私でも、その光の強さに思わず目をつぶった。
そして――
「もう、目を開けても大丈夫ですよ。ゆっくりと起き上がってください」
頭上から、甘くささやくような声が聞こえる。その言葉に誘われるように、私はゆっくり瞼を開いた。
「どうやら成功したようですね」
微笑を浮かべ、ナナキはその彫刻のように整った顔で私を覗き込んでくる。
――近すぎる。
男性自体に免疫のほぼない私が戸惑っていると、ナナキはさらに私の手を取り、もう片方の手で背中を支え、ベッドの上で半身を起こさせた。
「ほら、これが今の君の姿ですよ」
彼が指さした正面の壁には、大きな鏡が掛けられている。そこに映っていたのは、ベッドに腰かけた白磁のような肌のイケメンと、絹のような髪をたたえる可憐な美少女の姿。鏡の縁取りに豪華な細工がされていることも相まって、どこの美術館の展示品かと言いたくなるような画である。
さっきまでこの体は白木の人形だったはずだが、今は自分で体を触っても柔らかくみずみずしい弾力があり、温かな熱を感じられる。生身の人間と寸分違わない。これがナナキの言っていた「精霊を憑依させる」という術なのだろう。まあ、私の場合は精霊ではなく幽霊――もしくは生霊なわけだが。
そんなことを考えている間に、ナナキは一つ一つ確かめるように、私の体のあちこちを触り始めた。
「ほぼ問題なく再現できているようですが、どこか体に違和感はありませんか?」
ナナキの少し冷たい指先が、私の正気を取り戻させる。そう、私はとんでもないことに気がついたのだ。
「ま、待ってください! それ以上触らないで……っ!!」
叫んで、私はナナキの体を力いっぱい押しのけた。
そう、私の体は素っ裸だったのである。そもそもベッドに寝かされていた依り代の人形が裸だったのだから当然とも言えるのだが。しかも鏡の中の美少女がまるで神話の絵画のようで、全裸でも何の違和感も覚えなかったのだ。
しかし直接触られるとなると、たとえ本来の自分の体でなくても羞恥心が爆発しそうになる。ただでさえこちらは年季の入った喪女なのだ。男性に素肌をさらし、しかも触られるなど、心臓が耐えられない。いや、この体に心臓はないかもしれないけれど。
「定着具合を確かめていたんですけどね……まあ、その反応なら大丈夫でしょう」
苦笑いすら絵になりすぎるぞ、この男。それでも触るのは諦めたらしく、ナナキはベッドから降りると、私の目を覗き込んできた。
「君は今からアイシア・ワクマーです。僕の言う通り、結婚してくれますね?」
赤い瞳に囚われる。
妖しく輝くこの両眼に見つめられると、拒むことなどできなくなる。
それ以前に、そもそも私に選択肢など存在しないのだ。
私はただ、小さく頷くしかなかった。
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