花嫁代行サービス始めました
北峰
1 運命の日
「――汝、アイシア・レイオール、夫ラグリス・レイオールを生涯愛することを誓いますか?」
「…………誓います」
宣誓の前に幾ばくかの空白があったのは、緊張や感慨のためではない。
いくら自分で引き受けたとはいえ、神前で堂々と嘘をつく後ろめたさと、この状況にいまだ納得できていないことによるものだ。
――どうして私がこんなことに!?
叫び出したい衝動に駆られながら、私は頭上で祝福の鐘が高らかに鳴り響くのを聞いていた。
私こと有沢美月は、平凡な地方都市で日々会社と自宅を往復するだけの凡庸な会社員だった。横文字のきらびやかな名前でもない純和風な顔立ちの日本人で、おまけに結婚どころか恋人すらいたことのないアラサー喪女である。
運命の日は、27歳のクリスマス・イヴ。
ド田舎から県内の都市部に就職して一人暮らしをしている私は、心まで冷たくなるような北風に吹かれながら、その日も自宅のアパートに帰り着いた。クリスマスだろうと誰とも約束もなければ寄り道をする場所もない。だから帰り着いたのはだいたい夜の6時半頃だったろうと思う。
待っている人もいないワンルームのアパートは、帰宅しても室内が冷え切っている。白い溜息を吐き出し、自室に入ろうとして私は凍りついた。
その部屋はいつも以上に冷えていた。なぜなら窓が全開で、冷たい風が吹きさらしていたからだ。
――なぜ窓が?
それは開けた人間がいるからだ。
鍵周りのガラスを割り、窓から侵入したらしいその人物は、帰宅した私を振り返った。
大きいマスクに眼鏡、目深にかぶった帽子で人相は全くわからない。そしてその手には鈍く光るナイフ――
声を上げる間もなかった。
その人物が近づく直前、我に返って逃げ出そうとした瞬間、私は背中に強い衝撃を感じた。
なぜ、こんなことになったのだろう。
27回目のクリスマス・イブ、ともに夜を過ごす恋人でもいれば回避できたのかもしれないのに。誰にも必要とされないまま、誰にも看取られずに死んでいくのか……
背中に一突き、それは恐らく致命傷。
痛みも恐怖も薄れゆく意識とともに遠ざかり、そして私の記憶はそこでぷつりと途絶えた。
「――おや、目が覚めましたか?」
意識を取り戻した私の前に、よくできた肖像画があった。
いや、違う。まるで二次元ではないかと思うほど整った顔が目の前にあった。
「は……? はあ……あの、あなたは……っていうか、ここは……?」
我ながらどうにも頭の悪そうな受け応えである。
しかしそれも仕方のないことなのだ。
ここは古びたレンガ造りの書斎のような一室。その中央のアンティーク調の肘掛椅子に、やたら整った顔立ちの青年が腰かけてこちらを眺めている。
見たこともない場所、見たとこもない人間、予想もできない状況。これで動揺するなという方が無理だ。
……とりあえず冷静に情報を整理しよう。
クリスマス・イヴに一人寂しく帰宅したら泥棒に遭遇して刺された――とまあ、なんとも情けない人生の幕切れだったはず。そして何とか生き延びたなら、ここは病院のベッドの上のはずなのだが……
「――は!? 何これ!? 透けてる!?」
冷静に、という単語を数秒で投げ捨て、私は叫んでいた。
鏡がないので顔は見えないが、自分の首から下の体がなぜか半透明になっている。しかも腰から下はほとんど消えているのだ。慌てて自分の足を触ろうとしても、手には何の感触もない。
「いやあ、僕もこういう事態は初めてでしてね。どうしたものか……」
目の前の青年は困ったように微笑んでくる。首の後ろで束ねた長い銀髪、長い睫毛の下には赤い瞳。一度見たら絶対忘れないようなこの人に、私が一度も会っていないのは間違いない。
「初めて、というのはどういう……?」
「精霊の召喚は慣れていますが、幽霊を呼び出したのは初めてでしてね」
「ゆ、幽霊……私が!?」
そうじゃないかとは思ったが、改めてそう言われると驚くよりほかない。
しかし、青年はこともなげに言った。
「そうですよ。気づいていませんでしたか?」
そうか、やっぱり私は聖なる夜に死んだのか。では、ここは死後の世界なのだろうか?
その割には、妙なことを言っていたようだが……
「それで、あなたは誰なんですか?」
「ああ、申し遅れました。僕のことはナナキと呼んでください。君を呼び出した召喚主ですよ」
「あの……さっきも言っていましたけど、その『召喚』とかってどういうことです?」
「この世界は君たちの住んでいる世界と一部通じているんです。通れるのは魂だけですが」
そう言うと、ナナキは説明を始めた。
私の住んでいた世界とこの世界は、魂のみが行き来できるのだという。そして私たちの世界の「魂」は、こちらに来ると「精霊」と呼ばれる。一方、こちらの世界の「魂」は、私たちの世界では妖、鬼、妖精など様々な呼ばれ方をするスピリチュアルな存在になるそうだ。
「幽霊と精霊は違うんですか?」
「別のものですね。幽霊には生前の記憶や人格が残っていますが、精霊はもっと本質的なもの――幽霊から『核』となるものを抽出した存在とでも言いますか」
いまいちよくわからないが、とりあえず私がイレギュラーな存在であることは間違いないようだ。そしてここは死後の世界でもないらしい。
「その精霊を、なぜあなたは呼び出しているんですか?」
「僕は精霊使いという職業でしてね。呼び出した精霊を使っていろいろなことをしてもらっているんです。ほら、この子も精霊ですよ」
ナナキが指を鳴らすと、隣の部屋から女性が一人現れた。メイドのような恰好をした、栗色の髪をしたその人は、見るからに――
「人間、じゃないんですか?」
どこからどう見ても人間である。体が半透明になって足までなくなっている私とは大違いだ。
「僕の作った人形に、精霊を憑依させているんですよ。定着度が高まるほど人間に近づくんです」
「はぁ……」
現実が私のもとから全力疾走で離れて行っているのを改めて実感した。目が覚めたら寂しいおひとり様クリスマスの朝だったらいいのに。
「……まあ、それでも君の場合は完全に死んだ幽霊というわけでもなさそうですけどね」
ぽつりとこぼしたナナキの言葉に、私は目をみはった。
「え!? 私、死んでないんですか!?」
「本当に死んでいれば、精霊として現れるはずなんです。それなのに中途半端な霊体で現れたということは、本体はまだ完全に死に至ってはいないのではないかと思います」
そう言いながら、ナナキは私に手を伸ばしてきた。男性と触れ合う機会もない喪女らしく、反射的に身構えてしまったが、その手に触れられることはなかった。
ナナキの手は私の体をすり抜け、空を切ったのである。
「本来、精霊使いは精霊に触れることができます。でも、こうして君には触れられない。体も半分しかない。この状態では元の世界に送り返すこともできません」
――なんだって!?
「も、元に戻れるんですか!?」
もし触れるなら、ナナキに掴みかかっていただろう。思わず叫ぶと、ナナキはため息をついた。
「確実に生き返るという保証はありません。元の世界で体が死んでしまえばおしまいですからね。それでも、完全な霊体になれれば元の世界へ送ることはできると思います。まあ、召喚術を失敗した僕の責任でもありますから、それは約束しますよ」
急に希望が湧いてきた。
泥棒に刺されて死んだと思っていたが、体がまだ完全に死んでいないのなら、救急搬送されて一命をとりとめているのかもしれない。それなら今の私の霊体とやらが戻れば復活できるのではないだろうか。
毎日会社と自宅を行き来するだけで生きがいもろくになかったけれど、まだ27歳で手放すには命が惜しい。望みがあるならそこに賭けるしかないだろう。
「そのためには召喚主である僕の命令に従ってもらう必要があるんですが、いいですか?」
「はい、やります!」
間髪入れずに私は力いっぱい答えた。
他に手がないとはいえ、もう少し熟慮すべきだったのかもしれない。そんな考えがよぎる暇も与えず、ナナキはゆっくり微笑んでこう告げた。
「――では、君には結婚してもらいましょう」
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