第7話 異常現象

「むう……これは一体どうしたことだ」

 司令室で西園寺嶽人所長が唸る。司令室には瑪瑙、炎児、雷光が集まっていた。

 西園寺所長が見ているのは瑪瑙が持ってきた偵察報告書だった。大気質研究所の隣に現れた謎の建物。それだけではない。破壊された水質分析センターの隣にも同じようにそっくりな建物が現れていたのだ。寸分たがわぬ姿で、破壊されたはずの建物が建っていた。

「棘皮獣の仕業なのか? それにしたって何の意味が?」

 炎児も資料を見ながら首をかしげる。

「映像で見る限りでは二つの建物は本物よ。偵察機の情報では内部構造や設備も同じ。無人であることを除けば破壊される前の施設とまったく一緒だったわ」

 瑪瑙が拡大したカメラ画像を出す。

「見て、これを。これは外壁に雨水が垂れて緑の苔が生えた跡。ご丁寧にこんな汚れまで再現している。手が込んでるどころじゃないわ」

「親切な人が寄付してくれたんじゃないか? 匿名でさ」

「小さな装置とかならともかく建物一棟だぞ。金銭的にはともかく、誰かがポンと置いて出来るもんじゃないだろ」

「そうか。だったら何なんだ? 双子の建物だったのか?」

 誰も雷光に突っ込みを入れなかった。それどころではないのだ。

「原因は不明。目的も不明。まったくお手上げじゃわい」

 そう言い、西園寺所長は書類を机に放った。

「やはり直接行って確認すべきよ、父さん」

「瑪瑙。しかしお前はまだ怪我が治っていない。何が起きるかわからんのに危険すぎる」

「そうですよ瑪瑙さん。行くのなら俺たちが行きます」

「何を言ってるのよ炎児君。あなた達はいざという時ににギャザーロボで出動しなくちゃいけないんだから、研究所で待機してなきゃ」

「そりゃそうですが……」

「怪我なら大丈夫よ。あなた達だって骨折したまま戦ったことがあったじゃない」

「俺たちはいいんです。しかし瑪瑙さんにまで……」

「あら、男女差別? くだらない言い合いはおしまいよ。一刻も早く確認しなくちゃいけないんだから。所長、私がギャザーコマンドで様子を見てきます」

「ううむ……仕方あるまい。頼んだぞ、瑪瑙」

「はい。行ってきます!」

 瑪瑙は部屋を出ていく。すると入れ違いに俊魔が司令室に来た。

「あら俊魔君、ちょうどいいところへ。今奇妙なことが起きてるのよ。私はギャザーコマンドで出撃して様子を見てくるわ」

「その怪我で……? いや、覚悟の上か。お気をつけて」

「ええ。ありがとう」

 瑪瑙は小走りで格納庫へ向かった。俊魔は司令室に入り、皆が資料を広げている机の所に来た。

「何があったんです? 瑪瑙さんがあの体で出撃なんて」

「うむ。これじゃよ。破壊された研究施設の隣に、寸分違わぬ壊れる前の建物が出来ておる」

「壊れる前の建物が……? 本当だ。何だこれは。一体いつ?」

「確認したのはついさっきじゃ。無人偵察機のパトロールで発見した」

「あり得ないものが……現れた……」

 俊魔は先ほど見た瑪瑙の墓を思い出した。存在するはずのない墓。そして存在するはずのない建物。

「妙なことを言うようだが、聞いてほしい。俺はさっき……瑪瑙さんの墓を見たんだ」

「何? 墓だって?」

「ああ。墓だ。炎児、あの丘を覚えているか? 研究所を見渡せるあの場所だ。俺はさっきあの場所に行ったんだ。そしたらそこに……瑪瑙さんの墓があった。没年は今年だった」

「どういうことだ? 誰かのいたずら……?」

「あの場所を知っているのはごく限られた人だけだろう。瑪瑙さんがあそこで景色を見ているのを誰かが見かけて、嫌がらせで墓を作った。あるいは同姓同名の別人の墓か? どっちもそんな訳はないだろう」

「それは確かに瑪瑙さんの墓だったのか? 人違いじゃないのか」

「俺も自分の目を疑った。だから写真だって撮ったさ。間違いないよ」

 俊魔は携帯端末を取り出し写真を表示した。墓碑銘を拡大する。西園寺瑪瑙。誰が見ても間違いなかった。

「建物、墓……これは関係があるのか?」

「さあな。しかしもう一つ奇妙なことがあるぜ。俺はこの墓を見た時に、たまらなく胸が苦しくなったんだ。まるで本当に瑪瑙さんが死んだかのように……」

「おい、縁起でもないこと言うなよ、俊魔! 瑪瑙さんが死んだなんて!」

「雷光。しかしな、自分で言うのもなんだが、俺は悲しいとかそんな感情とは無縁の男だ。誰が死のうと泣いたりしないよ。しかし俺はこの墓の前で……泣いたんだ。いや、涙が出た。俺は悲しくないのに、何故か悲しいと感じて、それで勝手に涙が出た。まるでもう一人の自分がもう一人の瑪瑙さんを失ったかのように。実に奇妙だ」

「もう一人のお前が……もう一人……」

 俊魔の言葉で、炎児はあることを閃いた。

「もう一人の自分……もう一つの宇宙……」

 西園寺所長の目が鋭い光を放った。

「うむ! 平行宇宙か!」

「はい。理屈は分かりませんが……新しい収集装置を昨日から動かしてて、そして今日奇妙なことが起きた。これは何か関係があるんじゃないですか、所長?」

「平行宇宙の観測は人類にとって未知の領域。何が起きても不思議はないか……瑛美君なら何か分かるかもしれん」

「はい。実験室に行きましょう!」

 西園寺所長たちは実験室に移動した。


「現時点で観測できた平行宇宙は十二個。そのうちで最も戦績がいいと思われるのがこれ……」

 瑛美は資料に赤丸をつけた。ギャザーチームが勝ち続けている宇宙。我々の宇宙を含めて最強の宇宙だ。

 うひひひ。

 実に愉快だった。別の宇宙の存在はかねてより想定していたが、まさかこんな形で実在を確認できるとは。ギャザーチームの戦術云々はもはやおまけだ。別宇宙の観測を続け、その宇宙に存在する物理法則や時間の速度を確認してみたい。物理法則は宇宙ごとに違うのか、それとも平行宇宙にも共通なものなのか。違うにせよ同じにせよ、その理由を知りたい。何が要因なのかを解き明かしたい。その欲望がうひひひという言葉となって現れていた。

 しかし――。

 何か妙だった。別宇宙由来のギャザー粒子観測を始めてから、妙な胸騒ぎがする。試験結果への興奮や期待とは違う。もっとざわついた感覚だ。

 人間の勘や第六感は捨てたものではない。それは五感を通じて得た情報を無意識化で統合的に判断した結果である。説明できないがおかしいというのは、実際に何かがおかしい可能性が高い。問題なのは、そのおかしさを何に感じているかだ。場所か、物か、時間か、それ以外か。逆解析すれば分かるのかもしれないが、その方法を瑛美は持ち合わせていなかった。

 そう言えば……と、瑛美は机の引き出しを開けた。そこには一本のボールペンがある。芯を変えながら長年使っていたペンだ。特に愛着があるわけではないが、蓋についているポケットに引っ掛けるための突起が半ばで折れているのが特徴だった。

 このペンは確か、落っことして折れてしまったのだ。長年使っていたからプラスチックが劣化したのだろう。そう思って捨てて、新しいのに替えた。

 そのはずだが、なぜか机に入っていたのだ。紛失した物を誰かが見つけて置いてくれたのかと思ったが、しかし、あのペンは折れたのだ。見たところ接着剤を使ったようでもない。壊れる前の姿だ。

 考え違いだったろうか。しかし折れたという事を誤解することはないだろう。奇妙なことだった。しかし疲れているのかもしれない。瑛美はそう思い、データ整理を再開した。

 しばらくして西園寺所長が実験室にやってきた。ギャザーチームも一緒だ。

「何か御用ですか、所長」

 西園寺所長を横目に見ながら瑛美は聞いた。礼を失することになるが、今の瑛美にとっては礼儀よりもデータの確認の方が優先事項だった。それに西園寺所長も細かいことは言わない。よほど公式な場でもない限り、瑛美に自由にやらせている。

「瑛美君。異常事態だ。第二種粒子収集装置の影響かも知れん。こちらで何か奇妙な現象は起きていないか? あるはずのないものがあったり」

「あるはずのないもの?」

 瑛美は机のペンを思い浮かべた。引き出しを開け、ペンを取り出す。

「このペンは壊れて捨てたはずでした。しかし……机の中にある。奇妙といえば奇妙です」

「やはりか。瑛美君、至急装置を止めるんじゃ。恐らく装置の影響じゃ。平行宇宙の事象が我々の宇宙に影響を与えている可能性がある」

「装置を止めろとは……一体どういうことですか?」

 瑛美は椅子から立ち上がり、所長に向き直る。

「実はな――」

 所長は事の顛末を説明した。壊れた研究所の隣に新しい研究所があったこと。そして俊魔が見た墓の事。聞き終えると、瑛美は左手でこめかみの辺りを押さえて考え始めた。

「あり得ないものが存在している。壊れたはずのものがある……これは所長がおっしゃるように、別宇宙の可能性かも知れません」

「別宇宙の可能性? どういうことかね、瑛美君!」

「はい。原理は不明ですが、起きている現象から推察するに、所長がおっしゃるように別宇宙の事象が我々の宇宙に重なり合っているのだと思います。壊れていない研究所とは、つまり防衛に成功したという事です。このペンも私は落とさず壊れていない。瑪瑙さんのお墓は……いずれかの時点で瑪瑙さんが亡くなったという事です。現在戦績のいいと思われる宇宙の観測を継続していますが、その世界の事象、防衛に成功したなどの結果が、我々の世界に上書きされつつあるという可能性があります」

「ううむ! よく分からんが今すぐ装置を止めるんじゃ! このままでは取り返しのつかないことになるぞ!」

「仮に我々の宇宙の事象、被害状況が変わったとして、何の問題があるのですか?」

「な、何じゃと?!」

「今観測している別宇宙は我々より戦績がいい。つまり被害が少ないという事です。その宇宙と同じようになるのであれば、それはいいことなのでは?」

「し、しかし、瑪瑙は死んでしまうではないか?!」

「大気質研究センター……確か何人か亡くなっていたはずです。水質分析センターもそうですね。その他の被害を受けた複数の施設でも死傷者はいました。それがゼロになるのなら、そちらの方がいいのでは? それともご自分の娘さんの方が大切ですか?」

「そ、それは……しかし……」

 瑛美にそう言われ、所長は狼狽し言葉を失った。その所長の様子を見て、見かねて炎児が言った。

「おい瑛美さん! 事は瑪瑙さん云々の事じゃないんだ! 今現在不測の事態が起きている。このままじゃどうなるか分からないんだぞ? そんな都合よく被害が消えるかどうかも分からない。悪いことばっかり組み合されたらどうするんだ!」

「それこそ仮定の話でしょう。それに装置が原因と決まったわけでもない。棘皮星人の仕業という考えもあるのでは? 身内を疑うより、まず仇敵である棘皮星人の仕業であると考えるべきではないですか?」

「ちっ。おい、瑛美さんよ」

 俊魔が瑛美に詰め寄る。

「結局わからないことだらけなんだ。一つ一つつぶしていくしかあるまい。粒子収集装置の試験は明日でも明後日でもいいんだ。だったらさっさと止めて所長の言うとおりにしろよ」

 瑛美は俊魔の鋭い視線を受けて目を逸らした。

「……分かりました。装置を止めましょう。緊急停止準備! パワー、バイパスを用意!」

 瑛美の掛け声で装置は緊急停止された。部屋に響いていた微かな振動がやむ。

「第二種粒子収集装置、停止しました」

「よし。瑛美君、今現在収集装置による観測はどうなっていたのかね?」

「宇宙外から粒子を吸収して発電を行なっていました。装置に問題は起きていません。また並行して宇宙外の広域の粒子濃度観測を行なっていました。その結果少なくとも十二の宇宙が存在することが判明し、そのうちの一つについて重点的に観測を行なっていました。その宇宙が、いわゆる戦績の良いと思われる宇宙です」

「その戦績は具体的に確認できるのか?」

「現在解析用プログラムを作成中です。そのため詳細な内容は分かりませんが、おおよその行動、飛んだとかビームを撃った等の情報は、一部参照可能です」

「そのデータから施設の状況は分かるのかね? 大気質研究所がその宇宙でどうなっていたのか?」

「それは……恐らく分かりません。大気質研究所はギャザー粒子を扱っていませんから、ギャザー粒子濃度の変動に影響を及ぼしません。この研究所はギャザー粒子の収集や発電を行っているので分かりますが、他の施設のことは分かりません」

「ううむ……では状況は分からんのか」

「戦闘時のデータは最終的に簡易アニメーションとして表示できる予定です。それを見れば、間接的に様子が分かるかもしれません。どう戦ったのか、守ることができたのか」

「なるほど……そうか。ではデータの解析を進めてくれ」

 ふう、と西園寺所長は胸をなでおろした。装置は止めた。これでこれ以上の奇妙な現象は止まるだろう。仮に止まらなかったときは、その時は棘皮星人の何らかの攻撃の可能性がある。その時はその時で対応するまでだ。

 西園寺所長は瑪瑙のことを思った。今頃はギャザーコマンドで大気質研究所に向かっている頃だ。瑪瑙が死んだ宇宙……考えるだに恐ろしい。今すぐにでも呼び返したい気持ちに駆られたが、西園寺所長は空を見上げじっとこらえた。

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