第15話


 屈辱の宣戦布告がなされてから、ヴァルクは大反対を押しのけて人類領に潜り込んだ。


 全ては自らの手で勇者を始末するため。側近とともに人間に化けて、勇者が所属するであろう騎士団に身を置いた。内部で情報の収集に努めて、折を見て疑惑の人物に探りを入れた。


 何度か外した。逆に魔族と疑われたこともあった。


 それでも暴力には頼らなかった。同胞の前で誓いを立てたのだ。ユーキィ村の村人を鏖殺おうさつした身だが、王たる者が簡単に誓いを破るわけにはいかない。ヴァルクのプライドも許さない。


 何より無差別な暴力は、戦争を終わらせる際に不都合を生じる。


 怒りや憎悪は理性に勝る。無駄な死人を抑えて勝たなければ、負けた側は退くべき時に退けなくなる。

 

 だからヴァルクは奔走した。自らが立てた誓いと殺めてしまった命を無駄なものとしないために、配下に陰口を叩かれようとおのれの道を突き進んだ。


 それはいばらの道だ。


 暴力は理屈抜きに物事を蹴散らせる、この世で最も手っ取り早い解決手段の一つだ。これを放棄することは自らの手足を縛ったも同然。ヴァルクは勇者の特定に難航した。


 対して人類はためらわなかった。同胞を手に掛けることもいとわない。疑わしき者を罰する魔女狩りに加えて、勇者の特定を防ぐためにあの手この手を張り巡らせた。


 疑いの手はヴァルクにもかけられた。自らの潔癖を偽証して、一時的に周りの信頼を勝ち取った。


 それにも限界がある。ヴァルクは身の危険を感じて騎士団からの脱退を決めた。


 情報の集まる拠点を失った。


 その一方で得たものもあった。人に化けているとはいえヴァルクが積み重ねた実績は本物だ。その人となりに惹かれて集った人間も一人や二人じゃない。


 気がつけばドラキー以外にも仲間ができていた。騎士団を抜けた後も人類領でとどこおりなく生活できている。


 次に情報が集まる場所として魔物狩りキルドに足を運んだ。


 魔族との戦争では、魔族によって戦闘用に調整された生物が用いられる。その中には、後始末が行われず野放しになっている個体もある。


 強い個体ほど金になる。魔物狩りギルドには、腕に覚えのある者や人生の一発逆転を狙う輩が集まる。時には権力者が猛者を求めて訪れるらしい。次なる情報収集の場としては最適だった。


 騎士団と違って、生活資金を得るためには対象が住む地に足を運ぶ必要がある。勇者探しの効率は目に見えて落ちた。


 月日が経った今も、勇者の正体を突き止めることはできていない。


 ◇


「かんぱーい!」


 張り上げられた声に遅れてグラスが打ち鳴らされた。周りのテーブルで談笑する同業者をよそに、ヴァルクはグラスの縁に口をつける。


 仰ぐなりシュワッとした爽やかさが口内を満たした。人でごった返している熱い空間とは真逆の、キンキンに冷えた凍えるような刺激。ギュワッと噴き上がる快楽に口角が浮き上がる。


 ヴァルクは衝動のままにグラスの底を振り下ろした。


「美味い! やはり仕事終わりの一杯はこれに限る!」

「そこまで美味しそうに飲んでもらえたら作った人も嬉しいだろうね」


 くすっとした笑い声が騒がしさに溶ける。


 透き通るような白い肌、蒼穹のような瞳。頭から垂れる髪は黄金に見紛がうほどに輝いている。


 貴族の子女にふさわしい気品は、むさくるしい酒場に有ってもかすまない。むしろむくつけき男に満ちているからこそ、絶世にも劣らない美しさがより際立っている。


 初めて顔を合わせた時は不覚にも見惚れたものだが、今となっては慣れたものだ。


 ヴァルクは目を細める。


「なんだそれは、皮肉か?」

「素直な感想だよ」


 言葉に違わず、整った顔立ちに浮かぶ微笑は親愛に満ちている。


 ヴァルクも本気で皮肉とは思っていない。ユミアとは長い間仲間として活動してきたのだ。彼女がそういった言葉を吐くタイプじゃないことは知っている。


 ヴァルク決まりの悪さを覚えて顔を逸らす。


「ヴァルクはそれ好きだよね」

「清涼感があるからな。こう、ギュワッと」

「そのわりに野菜は食べないよね」

「野菜は関係ないだろう」

「食感が爽やかでしょ? ギュワッに似通ったものがあると思うけれど」

「全然違う。このギュワットは飲み物だ。野菜は葉っぱ。食べ物ではない」

「すごい偏見だね」

「美味い物を食べ物とするのは当然だ。事実生き物全てがそうやって生きている。つまり美味い物が正義だ」

「言葉だけは大層ですが、それただの炭酸飲料ですわよ?」


 緑の瞳をすぼめたのはもう一人の少女。くるくると丸みを帯びた毛先が特徴的で、ささやかな仕草が一般市民にない色気をまとっている。


 ポーリン・ルナ・ハイルリット。元は潜入先の騎士団に所属していた女騎士だ。ヴァルクに魔王疑惑が掛けられた際には、ユミアと一緒になって声を上げた。


 その件が原因となって二人は除名を受けた。脱退したヴァルクについていく形で騎士団を抜けて今に至る。


「炭酸飲料だったらなんだ?」

「そうだそうだ! いいじゃねえか酒じゃなくても。こいつが言うとイキるクソガキ感があって微笑ましいじゃねえか」


 少年が八重歯をのぞかせてグラスを仰ぐ。切れ長の目が快楽に細められ、中身で黄色に染まったグラスの底をテーブルの天板に叩きつける。


 ヴァルクは首を傾げて横目を振った。


「ドラキー、今なんて言った?」

「ん? そうだそうだいいじゃねえか酒じゃなくても」

「その後だ。イキるクソガキとは誰のことだ」

「お前」

 

 眉間がピクっとする。


 ヴァルクは意図して口角を上げた。


「ふん、これだから背丈があるだけの男は。無駄に図体がでかいと気まで大きくなるらしいな。相手を小さいと見るなりイキるその様、まさに獣のような浅ましさだ」

「あ?」


 荒れた声色が抗議を唱える。


 空気が引きしまったのは一瞬。表情に朗らかさが戻った。


「虫が鳴いたような声がしたが気のせいだったか。いやー焦った。耳の中に羽虫が入ったかと思っちまったぜ」

「何だ、その耳は飾りだったのか。それは気付けなくてすまなかった。その耳飾り邪魔だろうし、今度俺が直々に切り落としてやろう」

「あァ?」

「おッ?」


 互いに首を傾げて目を見開く。威嚇する視線が交差してテーブル上の空気を緊迫させる。


 ユミアとポーリンが食器に腕を伸ばした。二人から遠ざけるようにテーブルの隅に集めて食事を続ける。


 ドラキーが氷水の入ったグラスに腕を伸ばした。


「お前熱くなってんなァ? 仲間の耳切り落とそうなんてよ。これ浴びて頭冷やせやァッ!」


 腕が振るわれた。グラスから飛び出した氷が液体とともに宙を駆ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る