第14話


「面倒な連中だ」


 ヴァルクは魔法を準備しつつ、地上に展開する騎士団を見下ろす。


 白と赤の鎧を身に着けた集団が次々と魔法を放っている。無駄と分かっているだろうに、ひたすら攻撃を仕掛けるさまは健気を通り越して哀れだ。


 人類の強みは統率の取れた組織を構成し、活用できる点に尽きる。世界トップクラスの強者を集めて上手く立ち回れば、ヴァルクを倒せる可能性はなくもない。


 それはあくまで、ヴァルクに邪神の加護がなかったらの話。


 無限の魔力は確固たる力の差として機能する。勇者のない戦力などいくら集めても有象無象にしかならない。


 だからこそ彼らは勇者を回収しに来たのだろうが。


「思いのほか早かったが、少し遅かったな」


 ユーキィ村は滅んだ。村にいた人間は死滅した。


 邪神の宝珠が勇者の存命を示しているとのことだが、ヴァルクはそれを信じていない。大神官エヴィフが権威欲しさにデタラメを言ったと考えている。


 事実この辺りを調べても人影はなかった。多少推測が外れていても、空高くから見渡せる距離は相当なものだ。


 その上で見つからなかったのだから、勇者はすでに亡くなっていると考えるのが妥当だろう。


 なんにせよ、これで終わる。


 人類の最大戦力が大敗を喫したとなれば、いよいよ人類軍の士気が危うい。降伏勧告も通りやすくなる。


 仮に勇者が生きているなら、ここで何かしらの邪魔をしてくるはずだ。聖波動が邪神の加護にどれだけの悪影響をもたらすのか、文献をかき集めても正確な情報は得られなかった。


 だとしてもヴァルクは魔族の頂点だ。自分の血にも自信がある。ちょっとやそっとの傷で死にはしない。腕や脚が吹き飛んでも再生できる。


 多少のダメージと引き換えに勇者をあぶりだせるなら、むしろお得ではないか。


「さあ出てこい。生きているならな」


 体の前で両手を固定した。村を蒸発させた時のように大魔法の発動に踏み切る。


 ドクンと、体の中で何かが鼓動した。


 感じる。本能が忌避するような、浄化を想起させる忌々しい波動がどこかで発せられている。


 初めての感覚に意識を引っ張られた刹那せつな、収束する黒が激しく波打った。制御下にあった力の奔流がヴァルクの手を離れて暴れ出す。


「な、なんだ⁉ 一体なにが……っ!」


 とっさに魔力の暴走を抑えようと試みる。


 ヴァルクは自他ともに認める魔法の天才だ。魔法のことなら世界で一番詳しい自負がある。魔力が乱れただけなら修正は容易だ。


 今回は話が違った。


 魔法だけじゃない。体内でも莫大な力が暴れている。第三者から授けられた恩寵が意思を持ったかのごとく、誰かへ向けた敵意と憎悪を発露させている。強すぎる圧力がライアの体を突き破らんとしている。


「ぐ、あ……ッ」


 抑えきれない。


 外側と内側。魔法の天才たるヴァルクをもってしても、同時に両方を抑え込むのは不可能だった。


「魔王‼」


 滅びの黒が暴発した。


 空がどす黒く染め上げられたのも数秒のこと。突風が吹き荒れて空が元の色を取り戻す。


 ヴァルクの配下たる魔族、エンドラント王国の騎士団。込められた心情は違えど、両者ともに目を見開く。


 無理もない。ヴァルク自身も驚いている。


 魔族の頂点たるライアが魔法の発動に失敗した。両腕はおろか、両脚までもが無残に吹き飛んでいる。


 これが無様でなくて何だと言うのか。


「……くくっ、くははははははっ!」


 高笑いに遅れて激痛が駆け巡る。


 傷は秒で治った。体全体が消し飛ばない限り、ヴァルクの体に流れる天魔の血は体の組織を再生させる。


 邪神の加護は強大だが、魔王の称号は加護を得る前に勝ち取った。


 魔王選定は実力主義。ヴァルク以外にも猛者はいる。腕や脚が吹っ飛んだくらいで戦闘不能になるなら、そもそも魔王になど成れていない。


「貴様ら、何だその目は。見くびるなよ」


 邪神から賜った力を使えないだけだ。保有する魔力の大半が爆発によって吹き飛んだが、まだ戦えるだけの力は残っている。


 ヴァルクは深く空気を吸い込む。


「勇者が近くにいるぞ! 殺せエエエエエエッ!」


 驚愕でも怒りでもない。


 追っていた存在がすぐ近くにいる。わき上がる歓喜のままに声を張り上げた。


 ヴァルクは右手に雷を渦巻かせて放出する。ドラキーや他の配下も騎士団目がけて魔法を放った。


 電撃の槍、巨大な火球、岩すら切断する高圧の風刃。人間も扱える魔法だが、どれも一線を画して強力な威力を秘めている。


 騎士団の一転して守りに入った。防御陣形をとって障壁を展開する。


 人間より戦闘方面に優れた魔族とはいえ、無限に魔法を連発できるわけではない。疲弊したところを叩く算段か。


 正面からの突破は困難。ヴァルクは判断して戦法を切り替えた。真正面からの集団殲滅をあきらめて、交信魔法で連携を取りつつ一点を切り崩すことに注力する。


 交戦するさなか、視界の隅に五つの背中が映った。中心にはフードをかぶった何者かが配置されている。


 向かってはこない。魔王がいるにもかかわらず敵意をむき出しにすることなく、まるでこの場から逃げるように離れていく。


 この状況で姿を隠し、逃げる。


 それが意味するところは一つだ。


「気付かれたぞ! 援護しろ!」


 騎士団が攻勢に転じた。数の力を活かして一斉に魔法を発動する。


 あくびしながら無力化できる攻撃だが、邪神の恩寵なき今は多少なりとも脅威になる。


 修練を積んだ騎士の攻撃は決して軽くない。重要人物を逃がすために後先考えず魔法を連発している。ノーガードで突っ込めばヴァルクとて痛い目を見る。


 人数差は歴然。やられはしないが押し通れもしない。


 距離を詰め切れない。勇者と思わしき人物の背中が見る見るうちに小さくなる。


「俺が、負ける?」


 頭の中がよく分からないもので満たされる。


 ヴァルクはいくさやゲームの類で負けたことがない。ドラキーとの喧嘩を除けば常に勝ってきた。


 戦術的には負けていない。勇者の存在はあぶり出せた。


 しかし勇者を逃がした。誤魔化しようのない戦略的敗北だ。プライドが傷つくのは避けられない。


「……くはっ!」


 変な笑いが口を突いた。


 喉が震える。どうしようもなく何かがこみ上げる。悔しいのか、腹立たしいのか、もはやそれすら分からない。


 ただ一つ、自分の中に執着が生まれたことだけは理解した。


 あらゆる事柄で勝利してきたヴァルクにとって、本来取るに足りないはずだった人間にしてやられるのは最大級の屈辱くつじょくだ。城内を裸で踊るよりも恥辱ちじょくにまみれている。


 ひときしり笑って、ヴァルクは口端を吊り上げた。


「いいだろう、今回は負けを認めてやる。だが忘れるな、貴様がどこに隠れようと、この魔王が必ず見つけ出す! そしてお前は必ず――」

 


 張り上げられる声はユミアの耳にも聞こえていた。フードで顔を隠しながら後方を振り返る。


 神に選ばれた日から、普通の暮らしとは程遠い日々を送ってきた。


 ユーキィ村にいい思い出はない。それでも友人ができた。経緯はいびつでも、同年代と仲を深めることができた。


 他愛もない友人が一人できたことで、少しは以前のような暮らしに戻れた。いずれは全てを元通りにできるかもしれない。そんな淡い希望を抱くことができた。


 その光明こうみょうを、目の前で落ち葉のごとく吹き散らされた。あの時胸に巣食った絶望を、ユミアは永遠に忘れないだろう。


「お前は、必ず……」


 いきどおりを込めて言葉を紡ぐ。


 人類をおびやかす超常生物、取り戻せたはずの日常を壊した犯人。


 ユミアは敵意をみなぎらせて、自身が討ち果たすべき標的を仰ぐ。


 この時、初めて両者の視線が重なった。


「俺が殺す!

 私が倒す!」


 同じタイミングで発せられた宣言が喧噪けんそうをかき乱す。


 魔族の頂点に立つ者は、異形の王らしく堂々と。


 逃げるしかない少女は逃げながら、しかし確かな決意を込めて。


 魔族と人類。種族の未来を左右する宣戦布告が、ここに成った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る