第10話


「あーあ、昔から嫌な予感ばっかり当たるなぁ」


 ラセルは上り坂に靴裏を押しつける。


 昔からそうだった。


 ラセルの一族は剣術で成り上がった名家だ。ラセルも剣の道を歩み、勇者に選ばれた者と一緒に戦うことを夢見てきた。神の祝福が夜空を飾った時は、ついにその時が来たと歓喜を露わにしたものだ。


 人類は勇者を捜した。魔族に情報をもらさないように、慎重に勇者の所在を突き止めた。


 どんな屈強な戦士かと思いきや、神の加護を得たのは公爵家の令嬢だった。虫も殺せないような、お花畑で花を摘む姿がお似合いの可憐な少女だ。


 人の注目を集めるという意味では、神の目も確かなものだと納得した。


 十人がすれ違えば十人振り返るだろうと思えるほどに麗しく、笑った顔には目が離せなくなる魔性が秘められている。女性のラセルですらそうなった。男が目にすれば士気が一気に高まることは疑いようもない。カリスマ性という意味では十分なものを持っていた。


 戦力で言えば落第点もいいところだった。第一印象に違わず、勇者に選ばれた少女は剣もまともに振るえなかった。聞けば、少女は勇者に選ばれるまで病弱だったという。


 神よ、もっといい人材はなかったのか? ラセルは嘆き混じりに問いかけずにはいられなかった。


 肝心な勇者が弱いままでは、魔王討伐など夢のまた夢。まずは剣を教えるところから始めなければならなかった。


 育成途中で魔王軍に見つかればアウト。ラセルは毎日ひやひやしながら勇者の卵を鍛えた。


 意外にもユミアは筋がよかった。目を見張る成長速度には、才能以外にも神の恩寵が影響したのかもしれない。この時ラセルは初めてやりがいを感じた。


 この日を境に、ユミアから話しかけられることが増えた。日々の不満から近づきがたい雰囲気を発していたと知って、ラセルは苦笑すると同時に態度の改善を図った。


 すっかり仲良くなったある日。ユミアに夜通し泣きじゃくった日のことを打ち明けられた。


 衝撃だった。


 神に選ばれた。それは最高の誉れであり、人間ならば歓喜して当然だと思っていた。嘆いて涙に浸る者がいるとは想像もしなかった。


 その日からユミアの見方を変えた。神に選ばれた勇者ではなく、一人の少女として認識した。今では妹のように想っている。


 自ら育て上げた妹を、魔王なんかに奪わせはしない。


 守るためにラセルは坂を上り切った。


「やはりいたか」


 空が禍々しい。鮮やかなオレンジ色だった空は、夜闇よりも深くおぞましい色に染まっている。


 その中心に、見ただけで悪寒を感じさせる存在が浮いている。刃物を思わせるシャープなフォルムは金入り混じった黒に濡れ、人型に荘厳さと禍々しさを付加している。


 熾天使にも似た人型の両手からは、光沢のない黒があふれ出さんとうごめいている。


「なるほど、この村を消し飛ばすつもりか」


 抵抗は絶望的。ラセルとて魔法に携わる者の端くれだ。即座に詰んでいることを看破した。


 離れていても肌がピリピリするほどの魔力密度。あまりの圧力に空間が軋みを上げている。


 ラセルが知っている魔法とは比べ物にならない。


 世界を壊す奇跡。それはもう神の御業でしかあり得ない。


「くははははっ! それほどまでに勇者が怖いか。魔王!」


 邪神の加護をふんだんに使った徹底っぷりを見て、ラセルは嘲笑を禁じ得なかった。


 人が神から授かる聖波動は邪神の加護を乱す力だ。無限の魔力に対して神の加護がどこまで役に立つのか、それはユミアと魔王が対峙しなければ分からない。


 先代の勇者と魔王は相打ちになった。これまで何度も争いが行われてきたというのに、ろくに記録が残っていないし目の当たりにした者はいない。


 ゆえにラセルには推測するしかないが、魔族はおごりの化身じみた存在だ。人間相手に臆すことはプライドが許さない。そんな魔族のトップがここまで出張ってきたからには、言い伝えられる特効の話は本当のことなのだろう。


 ならばラセルはうれいなく旅立てる。


 魔族側が逃亡防止の結界を張ったように、人類にも防御に優れた魔法がある。


 発動の準備は終わっている。ラセル自身は守れなくともユミアは村から逃げおおせる。いずれ勇者としての潜在能力を開放し、天敵として魔王の前に立ちふさがるだろう。


 ラセルにはそのビジョンが見えた気がした。


「せいぜいユミアを捜しまわればいい。手遅れになる前にな」


 ラセルは魔法を発動した。


 体から生気が抜けて地面に膝をついた。嫌な汗が額に浮かび上がるのを感じながら、しかし顔を上げて不敵に笑う。


 命を魔力に変換して魔法を強化する手法。剣を主力とする騎士のラセルでも、命を賭して行使すればそれなりのものにはなる。


「さようならユミア。願わくば、貴方の未来に戦い無き幸福な日々があらんことを」


 師としての誇りを胸に、ラセルは永遠の眠りについた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る