第8話


「んん⁉ ん~~っ‼」


 口から言葉にならない声がもれた。焦燥と恐怖に声帯を乗っ取られて、くぐもった声がむなしく空間を伝播する。


「静かにして! まだあいつらがどこかにいるかもしれないからっ!」


 小さな人型が声を抑えて叱りつけた。


 ユミアよりもさらに小さい。頭部二つ分より少し高い程度だ。


 背中には丸みを帯びた膜が生えている。翼というよりは、おもちゃを衣服にくっつけたような面白さがある。それが幼い容姿によく似合っている。


 ユミアは目を見開いた。


「ポミュ! ポミュなの⁉」


 ユミアが神から加護を授けられたのを機に、サポートとして同行していた精霊だ。


「ずっと捜してたんだよ! 今までどこにいたの⁉」

「ずっといっしょにいたよ。ユミアの視界に入らないように隠れていたの。わたしの顔なんて見たくなかったでしょ?」


 魔族が勇者の捜索を開始して、遠方の村が滅ぼされたことがあった。


 いつか自分も殺されるかもしれない。ユミアは家族に捨てられた悲しみと殺される恐怖で、一晩泣いて過ごしたことがある。


 その場にはポミュもいた。


 死にたくない。どうして年端も行かない自分が選ばれたのか。ユミアは神とポミュに対して不平不満を述べた。


 運命に泣き疲れた時から見えなくなって、今まで望んでも顔を見ることすら叶わなかった。


 勇者にふさわしくない振る舞いを見せたから幻滅された。ユミアはそう考えて過ごしてきた。罪悪感を感じての行動とはみじんも思っていなかった。


 ユミアはうつむいて口を開いた。


「あの時はごめんなさい、私、ポミュにひどいこと言っちゃった」

「別にいいよ。つらいのはユミアだし、もっとわたしのことを責めてもよかったのに」

「ポミュは選別に関わってないんでしょ? あなたを責めるのはお門違いだよ」

「そう言ってもらえると……じゃない! 今はとにかくどこかに隠れて! また変なのきちゃうよ!」

「そ、そうだね!」


 再会の感動から我に返って地面を蹴った。小走りで爆心地から離れて手頃な木の下に入る。


「何が起こっているの?」

「魔族の侵攻だよ。ユーキィ村に魔族が入ってきてる」

「私が勇者だってばれたの?」

「それはない、と思う。村人たちに誰が勇者なのか教えてもらおうとしてた。勇者が誰なのかまではつかんでないんじゃないかな?」

「そっか」


 ユミアはほっと胸をなで下ろした。


「私ラセルに呼ばれているの。ポミュ、安全なルートの案内をお願いできる?」

「まかして!」


 ポミュの姿が透けて景色に溶け込んだ。


 しばらくして前方にポミュの姿が現出した。小さな手に手招きされて、ユミアは靴音を殺しつつポミュの元へ向かう。


 確認、移動。


 確認、移動。


 堅実にこのサイクルを繰り返して坂の前までたどりついた。


「お嬢様!」

「きゃっ⁉」


 ユミアの意思に反して体がぴくっと跳ねた。


 声の発生源は、ユミアもよく知っている人物だった。


「ラセルさん! 無事だったんですね!」

「それはこちらのセリフです! 今まで交信魔法で呼びかけていたのに、どこで何をなさっていたのですか?」

「少しばかり気が動転していました。魔法の爆発に巻き込まれてしまって」

「怪我は?」

「私は無事です。でもピンベルさんが……」


 ユミアが語尾を濁らせたことで察したのだろう。ラセルが声のトーンを下げる。


「そうでしたか。とにかく、お嬢様がご無事で何よりです。ここもまだ安全とは言えません。別荘まで戻りましょう」

「はい」


 ユミアは坂を上って別荘に足を運んだ。


 中に入るとメイド服の女性が荷物とともに待っていた。


「お嬢様! ご無事だったのですね!」

「ベルマさん、心配をかけてごめんなさい」


 ユミアは帰宅が遅れたことを詫びて、ラセルに向き直る。


「これからどうしますか?」

「やるべきことは決まっております。お嬢様にはユーキィ村から脱出していただきます」

「でもどうやって? 空から見張られていては村から出るのも困難なのに」

「こんなこともあろうかと、地下に脱出通路を設けておいたのです。村人にお金を払って進めていたのですが、お気づきになりませんでしたか?」

「あ、土堀り女ってそういう」


 ユミアはいじめっ子が発していた言葉を想起する。


 村人を雇用して穴を掘っていれば、被雇用者が仕事について子に話す機会もあっただろう。


 一人合点したユミアの前で、ラセルがこれからのことを語り出す。


「地下通路は村の外まで続いております。大きな振動で崩落する危険性もありますので、可能な限り急ぐようにお願いいたします。私はまだやるべきことがありますので、案内はベルマがいたします」

「やるべきこと? この状況で逃げる以外に何をするって言うのですか?」


 嫌な予感がしてラセルに詰め寄る。


 肩に手を置かれた。


「お嬢様、よくお聞きください。本日ユーキィ村の襲撃があったように、以降も魔王は頭脳と武力を以って貴方を消しにかかるはずです。貴方を疎み、最悪売り渡そうとする輩も現れるかもしれません」


 ユミアは思わず息をのむ。


 良好な関係を築いていたと両親に捨てられた身だ。勇者ということで自身が疎まれている自覚はある。


 その一方で、人の手で魔王に売り渡される可能性までは考えていなかった。


 一人の人間が命惜しさに、人類に仇なすことをする。


 十分考慮すべき事柄だ。そこまで考えが至らなかったことが浅慮せんりょ以外の何だというのか。


「おそらく私は、以降の行動をお嬢様と共にできません。心細いかもしれませんが、どんな時でも考えることを放棄なさらないでください。信頼できる人を見定めて、ともに立ち向かう仲間を見つけてください」


 ラセルが頭に腕を伸ばし、白いドライフラワーを外した。


「ユミアお嬢様、これを」


 ユミアは差し出された髪飾りに視線を落とした。


「これはファリのお花ですか?」

「はい。母の故郷がこの村でして、見初めた父が花飾りにして贈った物です。花言葉は勝利。これからは私の代わりに身に着けていてくれませんか?」

「どうして私が。あなたがずっと付けていればいいじゃないですか。一緒に行きましょう。ラセルの用事が終わるまで待っています」


 ラセルがかぶりを振った。


「お嬢様、あまり私を困らせないでいただきたい。いくら魔族とて、これほど広範囲の結界を長時間維持するのは難しいはず。いずれ魔法で村全体を吹き飛ばそうとするでしょう。その前に脱出を」


 ならラセルも一緒に。ユミアは反射的に告げようとして口をつぐむ。


 ラセルの用事。それは地下通路を守るべく殿しんがりをつとめることなのでは? そこまで理解が及んでしまった。


 あるじを逃がすために、命を張って地下通路を守らなければならない。


 お世話になった師範にそう言われては、未熟なユミアには何も言えない。


「……最後に聞かせてください。村人は?」

「敵の目があって助けることは不可能でした」

「分かりました。ラセル、あなたに神のご加護がありますように」

「はい。どうかお元気で。貴方に人類の未来を託します」


 ユミアは地下通路に踏み入り、ベルマから火のついた木の棒を受け取った。案内を受けつつ地下空間を駆ける。


 松明を握る指にぎゅっと力がこもった。


「私が、もっと強ければ……っ!」


 不意打ちに気付いてラナを守れたかもしれない。ラセルが犠牲になることもなかったかもしれない。


 全ては後の祭り。ユミアの察知が遅かったからラナは死んだ。


 ユミアが弱いから、ラセルがしんがりをつとめなければならない。


「私は、弱い……っ!」


 ユミアは下くちびるを強く噛みしめた。目からあふれた雫がほおを伝ってあごを濡らす。 


 涙を拭う資格すらない。ユミアは自らを戒めて、ひたすらに足を急がせる。






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