第6話


 ユミアはラナの案内を受けて川に足を運んだ。地面が土から砂利に変わり、水のせせらぎが聴覚を刺激する。


 ユミアは流れる水の前で足を止めた。


「きれいな水ですね。遊具があるようには見えませんけれど、どうやって遊ぶんですか?」

「答える前に一つ聞かせてください。アイルメリアさんは濡れても大丈夫ですか?」

「え? ええ」

「では」


 ラナが靴を脱いで川底に足を付けた。身をひるがえしてユミアに向き直り、両手で水をすくう。


「こうやって遊ぶんですっ!」

「きゃっ⁉ 冷たいっ!」


 ユミアは体の前で両腕を交差させる。


 手でかばったのもむなしく、第二射の飛沫が顔を濡らした。


「ほら、やり返さないとユミアさんだけずぶ濡れになっちゃいますよーっ!」

「ちょっ、もうっ! やりましたね!」


 ユミアもブーツを脱ぎ捨てて川に踏み入った。川に両手を突っ込んで小指をくっ付ける。


「こうです、かっ!」


 よくもやったな! そんな意を込めて両腕を振り上げた。


「ぶふっ⁉」

「えい、えいっ!」


 ユミアはがむしゃらに腕を上下させた。お返しの飛沫を浴びて、またかける。


 ユミアとラナは歳が近い。手の大きさもあまり変わらない。一度にすくい上げられる水の量もほぼ等量だ。


 その一方で体力と体さばきが違う。ユミアの境遇は同年代の子供と違う。素振り、走り込み、実戦形式の試合。毎日トレーニングを繰り返してきた。


 ラナとは動きが違う。サイクルの速さが違う。


 途中からユミアの水かけ頻度が高まり、ラナが水を防御する回数が増えた。


 防御すれば攻撃ができない。


 やがてラナだけが濡れるようになった。


「ちょっ、ぷへっ⁉ まっ、まっへぇ⁉ ユミアさんすとおおおおっぷ!」


 ユミアは手を止めて顔を上げる。


 目の前には、髪がべったりと張り付いた顔があった。


「ご、ごめんなさい! 夢中になってしまいました!」

「あ、あはは。夢中になるほど楽しかったんだね。よかった」


 ユミアはハンカチを取り出して互いの顔を拭いた。着替えを持参していないこともあって帰途につく。


 ラナが満足げに口角を上げた。


「初めて水のかけ合いっこしたなぁ。今まで遠くから眺めるだけだったからまんぞくまんぞく……へっくちっ⁉」

「それだけ濡れたら寒いですよね、本当にごめんなさい」

「これくらい何でもないですよ。それにしても意外です。ユミアさんにも子供みたいな一面があったんですね」

「恥ずかしい限りです。十三にもなったのに、ついはしゃいでしまいました」


 ラナが目を丸くした。


「十三って、私より年下じゃないですか! てっきり年上化と思ってました」

「私、そんなに年を重ねているように見えますか?」

「そうじゃないけど、剣を持ったユミアさんは大人びてて格好いいんですもん! あまえたいなーって思ってたので衝撃だったというか!」


 ラナの言葉にまたもや熱が入った。気に入っているものを語る時は興奮するタイプらしい。


 ラナの鼻息が落ち着きを取り戻した。


「でもそっか、ユミアさんは年下の女の子だったんだね。私お姉さんかぁ。よし、じゃ明日以降も色々と教えてあげる」

「本当ですか? 嬉しいです。ありがとうございますピンベルさん」

「ラナでいいよ。ラナお姉ちゃんでも……いいよ!」

「ではラナさんと呼ばせてもらいますね」

「え~~ラナお姉ちゃんって呼んでみて。一回だけでいいから!」


 お願いっ。ラナが体の前で両手を合わせた。 


「え、えっと……」


 食い入り気味なお願いを受けて、ユミアは口元の引きつりを感じた。


 ユミアにはラナをずぶ濡れにした責がある。それくらいの願いは贖罪代わりに叶えても罰は当たらないだろう。


 照れくさくなって、ユミアはこほんと咳払いした。


「で、では……ラナお姉ちゃん」

「ああ~~っ!」


 ラナが両手で自身の頬を挟んだ。体をくねくねさせてえつに浸る。


「ついに私にも同性の家族が! 抱きしめたい! でもこんな状態だとユミアさんが濡れてしまうっ! よし、私の家に行きましょう。ユミアさんも服が濡れてるし、一緒に着替えましょうね!」

「それは助かりますけれど、服を借りてもいいんですか?」

「もちろん。そうと決まれば早速走って……って、ユミアさん、靴は?」

「え?」


 ユミアは視線を足元に落とす。


 自身の白い足が地面の上にあった。


「あ、ブーツを忘れてきました」

「はき忘れるくらい楽しかったんだね」


 くすくすと笑われて、お風呂でのぼせたみたいに耳たぶが熱くなった。


「もう、からかわないでください。ブーツを取ってきます」


 ユミアは逃げるように元来た道を逆走する。


「急がなくていいよ! 走ると危ないから!」


 指摘されてスピードを落とした。


 難なく川までたどり着いた。川の水で足に付着した土を洗い流し、ハンカチで軽く水をぬぐう。


 あらためてブーツに足を通した。走ってラナと別れた場所まで戻る。


「あれ?」


 ラナの近くに三つの人影が付け足されていた。


「お前なんでこんなところにいるんだよ」

「なんで何も持ってねえの? 土堀り女から剣奪ってこいって言っただろ?」

「ご、ごめんなさい。でも盗むのは、とても悪いことだから……」


 ラナが背を丸くして地面に視線を落とす。


 少年の靴が砂利を鳴らして、小さな体がびくっと跳ねた。


「はあ? なに口答えしてんだよ」

「地味子のくせに生意気なんだよ!」

「いたっ⁉」


 肩を押されてラナが尻もちをついた。 少年たちが嘲り笑う。


「だっせー転んでやんの」

「ぜんぜん力いれてねえのに。どんくさいんだよお前ぇ」


 嗤われる中、ラナがおもむろに腰を浮かせる。


 ついさっきまでの怯えはない。目が反抗の光を帯びている。


「あ、お前何にらんでんの?」

「もう、私に関わらないでください」

「はあ? お前がいつも一人だから俺たちが遊んでやってんじゃん」

「そうだね。確かに今までは独りになるのが怖くて耐えてた。でもそういうのはやめたの。あなたたちは、いらない」

「は? おまえ何調子にのってんだよ」


 少年が足を前に出す。


 ラナは動かない。口を引き結んで少年を見据えている。


 ユミアは二人の間に入った。


「な、なんだおまえ?」

「ラナにひどいことしないで。私の大切なお友達だから」

「…………」


 少年たちの視線がユミアに集まる。


 ユミアは三人の所作に警戒しつつも、相手を刺激しないように心の内だけで身構える。


 ラセルから教わったのは剣の稽古だけじゃない。最低限身を守れる程度には格闘技も学んだ。仮に取っ組み合いになっても対処できる自信はある。


 ユミアの懸念は現実にならなかった。


「ろ、ロット、なに土堀り女なんかに見とれてんだよ!」

「はぁ⁉ 見とれてなんかいねえし!」

「お、おい、帰ろうぜ」


 勝手に争い合ったのちに、少年たちが背を向けて走り去った。


 ユミアは一息ついてラナに向き直る。


「ラナさん、大丈夫ですか?」

「うん、ありがとう。ごめんね、情けないところを見せちゃったよね」


 ラナが地面から腰を上げて弱々しく口角を上げる。


 ユミアは首を左右に振って否定した。


「あの人たちは?」

「近所の男子。よくつっかかってくるの」

「いじめられているんですか?」

「……うん」


 ラナが微笑を携えたままうつむいた。


「実はね、剣の練習を見学してたっていうのは嘘なの。あいつらに剣を奪えって言われてたんだ。ひどいよね私、友人づらして、こんなこと」

「脅されていたなら仕方ありませんよ。これまで剣が紛失したことはありませんでしたが、今までどうしていたのですか?」

「適当に嘘をついてごまかしてた。信じてもらえるかは分からないけど、途中からは自分のために見学してたの。一生懸命に稽古に打ち込むユミアさんを見ていたら私も強くなれる気がして。思い切って抵抗してみちゃった」

「ラナさん……」


 考えもしなかった。自分の訓練模様が誰かに勇気を与えていただなんて。


 ユミアにとっての訓練は将来に向けた備えと同時に自傷でもある。選ばれてしまった理不尽と、魔族に狙われる恐怖を紛らわすための手段でしかなかった。


 そんな行いが誰かのためになった。その事実がユミアには嬉しかった。


「私が変われたのはユミアさんのおかげ。感謝してる。例え友達じゃなくなっても、あなたは私の恩人よ」

「お友達のままでいてください」

「え?」

 

 ラナがきょとんとする。

 

 ユミアはなおも言いつのった。


「剣を盗むつもりだったと聞いてびっくりはしました。でもラナさんは一度だって盗まなかったじゃないですか。勝手に罪悪感で絶交されても迷惑です」

「ユミア、さん……」

「今日は楽しかったです。また遊んでください」


 表情をゆがめるラナを前に、ユミアは意図して口角を上げる。


 ラナの目元に雫が浮かび上がった。


「ユミアさぁぁぁん!」

「わっ⁉」


 突如抱き着かれて、ユミアは慌ててラナを抱きとめた。


「ありがと、ありがとおおおおっ!」


 そのままラナが泣き声を上げた。いじめっ子に囲まれて怖かったのだろう。


 ユミアは戸惑ったのち、ずぶ濡れなラナの頭を軽くなでる。


「冷たいです。結局抱き着きついちゃいましたね」

「ごヴぇんなさあああああい!」


 泣いて、謝っては泣いて。


 そのサイクルを繰り返した末にラナが泣き止んだ。


「ああ、もう駄目。私二度とお姉ちゃんを名乗れない」

「子供をあやすってこんな感じなんでしょうか。新鮮な体験でした」

「せめて妹って言って。私年上なのに、恥ずかしいっ!」


 ラナが両手で自身の顔を覆い隠す。


 ユミアはひときしり笑って再び帰途に付いた。


 ラナの自宅についてから何をするか話し合う。ただそれだけのことで心がじんわりと温かい。


 村で同年代の友人ができたのは今日が初めてだ。ユミアは普段よりも浮かれているのを感じていた。


――ユミアお嬢様、今どちらにいらっしゃいますか!


 ユミアを呼ぶ声があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る