第3話


「あー疲れた」


 魔王を務める少年がソファーにダイブする。


 謁見の間でまとっていた覇気はもう感じられない。身なりもラフなものに変わって完全にくつろぎモードだ。はたから見ればただの子供と変わらない。


 同じ空気を漂わせる少年がもう一人いる。


「なあヴァルク」


 魔王よりも頭一つ高い少年だ。両者ともに筋肉質な体つきだが、目つきが悪い分威圧感でまさる。


 様相は人間の子供。例にもれず魔法で姿を偽っている竜人だ。戦闘時には体に流れる魔族の血を開放して竜の力を行使する。


 竜の力は魔族の中でもトップクラス。単純な腕力で言えば魔王よりもポテンシャルがある。


「何だよドラキー?」

「一つ聞きてえ。本当に少人数でユーキィ村に攻め込むつもりか?」

「ああ」

「お前らしくねえな。今動かせる戦力を全部ぶつけりゃいいじゃねえか。お前がいりゃ総力戦になっても負けるわけがねえ。もしかして情報を疑ってんのか?」

「いいや、情報は正しいと思っている。この頭で吟味して出した結論だ。間違いなど起こり得ない」

「じゃなんで戦力を絞ったんだ?」


 ヴァルクはソファーの背もたれから背中を離した。


「考えてもみろ。勇者を狩るために大勢を動かしたとする。人類や他の魔族はどう考える?」

「堅実な策だと思うんじゃねーか? 邪神の加護を得たお前に対抗できんのは、聖波動を宿した勇者くらいだろ。そいつを消しちまえば、もう俺たちを止められる奴はいなくなる。実質俺たちの勝ちだ」


 魔王には純粋な力のタンクが与えられる。


 特効の光と汎用性に富んだ暴力。どちらも通常の魔力回路とは別に得る点で共通しているものの、邪神から得た力は純粋な暴力として行使できる。単純に力の源が二つになったと考えれば恩恵は大きい。


 対して勇者が得るのは聖波動。純粋な暴力とは言い難い。


 魔族と人間とでは体に収められる力の総量が違う。純粋な武力で競っても勝敗は目に見えている。忌々しい神はその辺りを考慮して、勇者に魔族特効の力を与えたのだろう。


 特に邪神の加護を得た者に対しては影響が顕著だ。恩寵が機能しなくなるだけじゃない。本来行使できるはずの力にも影響が出る。腕の立つ者が集まれば対処できるレベルに落ち込んでしまう。


 配下がヴァルクをいさめようとするのはその辺りの事情が関係している。


「確かに大軍で攻めれば勝てるだろう。今回の戦いにおいてはな」

「含みのある言い方じゃねえか。俺の推測は間違ってるか?」

「ああ、間違っている。推定される周囲の反応を代弁してやろう。魔王のくせにたった一人の人間にビビりやがって、魔族なのに恥ずかしくねえのか、だ」

「あー確かにそうなるかもな。俺も勇者にチキってた老いぼれ連中を腰抜けだと思ってたし。勇者の加護なんて半信半疑だったしな」


 魔族は膂力、魔力など、力に属するほぼ全てにおいて人類に勝る。


 優れている自分たちこそ偉い。劣る人類は対等であってはならず、自分たちの軍門に下るべきだ。そんな価値観がはびこっている。


 そんな魔族の価値観において、自分たちのトップが人間を恐れるなどあってはならない恥だ。伝承にも等しい魔族特効の光など、鼻息で吹き飛ばせると心から信じ込んでいる。


「思うだけならまだいいがな。下手をすれば魔王不適格の烙印を押される。過激な連中が反乱軍を組織する可能性だってある。戦争に勝利しても魔族間で殺し合っては意味がない」


 それに。


 ヴァルクは接続詞を続けて小声で続ける。


「勇者さえ討てば、人類は降伏に応じるはずだ。犠牲も最小限に済む」

「お前、人間を殺したくないのか?」

「ああ」


 室内に沈黙が訪れた。


 魔族は人間の事情を考慮しない。弱者は強者に蹂躙されて当たり前。そう考えているから魔族が人間を手に掛けるのは当然と考えている。


 ドラキーはそこまで過激ではない一方で、弱い奴が悪いという思考は持ち合わせている。弱肉強食の世界で生きて培われた人生観だ。ヴァルクの言葉に唖然としたのは当然と言える。


「勇者をこの世から消したところで、何年か後には新たな勇者が生まれる。勝負には常に敗北のリスクが付きまとう。いずれ俺も討たれて、魔族が人類の軍門に下る日が来る。だからこそ真の平定をもたらすためには、長らく続いた戦乱の歴史に終止符を打たねばならない」

「まさか、人間を交渉の席につかせるために?」

「そうだ。大勢を手に掛けたら連中は止まらなくなる。だからこそ犠牲を最小限にして不戦の誓いを交わす必要があるのだ」


 先代の魔王は先代勇者と相打ちになった。


 先代魔王はヴァルクの父だ。訃報ふほうを耳にした時は涙を飲み、父を殺した人類への憎しみを募らせた。


 そうするうちにふと気づいたのだ。これこそがいまだ続く争いの根源なのではないかと。腹の底でぐつぐつと煮える激情を抑え込み、大局を見て戦乱の歴史に蓋をする。それこそが王となる自分の役目なのではないかと。


 ドラキーが感嘆のうなりを上げた。


「お前、そこまで考えてたのか」

「当然だ、俺を誰だと思っている。魔王だぞ、世界で最も賢く尊い存在だ」


 不敵に口角を上げる。


 自分以外の魔族には至れない思考。そう思うからこそみなぎる自信に陰りはない。


 ドラキーも子供っぽい笑みを浮かべた。


「お前バカなくせに、こういう時は頭回るもんな」

「……は?」


 ふわっとした心持ちが急激に冷め込んだ。ヴァルクは確認の意を視線に乗せてドラキーを見据える。


 ドラキーが目をぱちくりさせた。


「ん? 聞こえなかったか? バカなくせにこういう時は頭回るって言ったぞ」

「知らないのか? バカって言う方がバカなんだ。いいことを知ったな、覚えて帰れバカ」

「懐かしいなそれ、人間が使ってたフレーズだっけ。お前ほんと人間が作った物大好きだよな」

「面白いものなら作成者など関係ない。お前は頭が固すぎだ」

「しゃあねえよ。俺にとって人間は取るに足りない存在だ。作られたものも同様ちっぽけだ。俺最強だし」

「お前実にバカだな。最強は俺に決まっているだろう」

「はァ?」

「んン?」


 今度こそ空気が凍り付いた。静まり返った空間にて、ヴァルクとドラキーは目を見開いて互いの双眸そうぼうをにらみつける。


「いや、ん? じゃないだろ。この前腕相撲で俺に負けたじゃん」

「制限だらけの遊びで勝ったからなんだ? 最強は魔王たるこの俺。この体に流れる天魔の血は森羅万象全てに勝る」

「いやねえな。俺には竜の血が流れてんだ。いずれお前を超えるぜ」

「いやいやあり得ない。この世で最も強いのはいついかなる時も、この俺だ。ドラキーでは俺の足元にもおよばない」

「お、背丈が俺に負けてるぜおチビ様よぉ」

「あァ?」

「おォ?」


 互いの足が一歩距離を詰めた。第三者がこの場にいれば生命の危機を感じたかもしれない。


 右脚と右脚が交差したのを機に殴り合いが始まった。魔法はない一方で、肉弾戦を織りなす出力がどんどん上がる。


 ソファーが裂かれた。ガラスが割れた。常軌じょうきを逸した膂力から発生する衝撃で部屋の様相が崩れていく。


 壁が砕けても殴り合いは止まらない。どちらかが負けを認めるまで、互いに拳と蹴りを繰り返すことだろう。


 護衛が部屋になだれ込んで仲裁するまで、魔王と腹心の喧嘩は続いた。

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