17 出発

 〈白い花〉の隠れ家からの帰り道。

 時はもう、深夜だった。

 コロールの路地には誰も歩いておらず、水たまりに映る月だけが静かに揺らいでいた。


「ティグレ」

「なんだ?」

「ありがとう」

 急に礼を述べられて、何のことかと思う。

「どうした、急に」

 俺はミラを見た。

「いろいろ、だよ。さっきのこと……ずっと隠してるのも心苦しかったんだけど、話せてすこしスッキリした」

「……そうか」

 ミラの表情は、〈白い花〉の隠れ家で見せたような厳しい顔ではなく、いつものゆるやかな顔に戻っていた。

「あとこの間、ファファを炉箱から出したでしょ」

「っ、知ってたのか」

 背中に、冷たいものが触れたような感じを覚える。

 バレてしまったと思うと、心拍が上がった。

「砲座に、ファファと君の姿が見えた」

「……」

 言い訳には、意味がない。

 俺は、沈黙するしかなかった。

 だが。

「ありがとうね。ファファの望みをかなえてくれて」

 意外な反応だった。

「ミラは、ファファが何を望んでいるのか、知ってたのか」

「そうだよ」

「じゃあ、どうしてかなえてやらなかったんだ!」

 コトアは、ミラやロークスはファファに優しい、と言っていた。

 だが、それが優しさであるわけがないと、俺は思った。

 ミラはしばらく黙って、口を開く。

「怖かったんだ。彼女がずっと外にいたいって言ったら、マハガは動かなくなってしまうから。だから、せめてもの償いとして、ロークスに、炉箱を快適な部屋に改造してもらったんだよ」

「けど、ロークスはどうやって改造したんだ。ぱっと見ただけだが、炉箱の魔法式はそんじょそこらの人間じゃいじれないような、複雑なものだったぞ」

「そうだよ。ロークスは、そんじょそこらの人間じゃない。

 彼は、炉箱の技術者だった」

「なんだって――ロークスが、処刑装置に関わっていたっていうのか」

「そう。でもロークスは、その過去を悔やんでる。誰しも、いろんな過去があるんだよ」

 ミラは続けた。

「それは私も同じ。ねえ、ちょっとばかり、話してもいいかな」

 俺はうなずいて、視線で話すように促した。

「マハガはね、私の二代前から、代々継がれてきた大傀儡アークゴーレムなんだ。私が受け継ぐ前は、私の父と兄が乗っていた。けれど、二人は強大な巨獣に負けて、命を落としたんだ。そのときに、何十年もかけて大きくしてきたマハガの身体も、七割を失っちゃった。マハガが大傀儡アークゴーレムの中じゃ小柄なのは、それが理由なんだよ。

 私にとって、マハガは守るべき、そして継いでいくべき存在なんだ。だから、ファファを失うわけにはいかなくって……どうしても、彼女を炉箱から出す勇気はなかった。けれど、ファファのことを思えば、ティグレ、君のしたことが正しかったんだと思う……」

 天を仰いで、大きな吐息を漏らすミラ。

 俺は、思う。

 ミラがマハガを守り継がなくてはならないという意識は、魔法使いにとっての、血統のようなものなのかもしれない、と。

 受け継ぎ、守り、伝えていく。

 逃れられない義務。

 それは誇りでもあり、くびきでもあるのだ。

「ミラ」

「ん?」

「こんなふうに、いろんなことを話してくれよ。俺たちマハガの中で、隠し事はなしにしよう」

 マハガは、俺にとって居心地のいい場所だ。

 そしてそれは、マハガに乗るみんなにとっても、同じだと思う。

 だから、誰かが秘密を守り続けることで、その場所が壊れてしまうかもしれないのが、いやだった。

「――ん、そうだね」

 ミラは、噛みしめるように、ゆっくりとうなずいた。


 そうして、マハガに帰り着く。

 乗り口からマハガの中に入ると。

「あ、帰ってきた」

 ロークスとコトアが、操縦室にいた。

「心配だったんですのよ! 二人とも帰ってきませんから」

「いやーごめんごめん、ちょっと野暮用でね」

 そう言って、ミラはわざとらしく頭をかいた。

 またごまかそうとしていると、俺はそう感じた。

「ミラ」

 ミラをじっと見る。「隠し事はなしだ」と訴えるように。

 ミラは目を閉じて、うなずく。

「ロークス、コトア。もう遅い時間だけど、ちょっと話をしてもいいかな?」


 そうしてミラは、ファファの過去、ファファが炉箱の外に出たいという願いを持っていること、俺がファファを連れ出して外の景色を見せたこと、そして秘密結社〈白い花〉のこと、すべてを包み隠さず、ロークスとコトアに語った。


 ◇


 マハガは、バリバルタに先んじて、コロールを出ることにした。

 バリバルタの弾薬準備に思いのほか時間がかかることが判明し、念のため、マハガは先行することにしたのだった。

 マハガのみなはそれぞれ、出発の準備をしていた。



「食料庫、パンパンだな……」

 隙間なく詰められた食料を見て、コトアと俺はぼうぜんとする。

「ファファが、ふつうの五倍は食べますのよね……」

「そうだな……」

「でも、ファファさんの好きなパンケーキの材料も調達できてよかったですわ。ファファさんには、このあとの作戦で大きな負担がかかるはずですから……少しでも、楽しいことを用意してあげたいですわね」

 コトアの言うとおりだ。

 ファファには、いつものように無邪気にいてもらいたい。

 彼女の、外に出たいという願いが、すぐにかなえられないのなら、せめて。

 その思いもこめて、俺はうなずく。

「なあ、焼き菓子の作り方、教えてくれないか」

「ティグレが作りますの? わたくしがやりますわよ」

「いや、ちょっとやってみたいんだ」

「そういうことでしたら。あとで移動中に、一緒にレシピを見ませんこと?」

「ああ、そうしよう」

 コトアは楽しげだった。

 そう。

 きっと俺は、こういう時間が、続いてほしいのだと思っている。


 ◆


 ロークスは、炉箱の中にいた。

 彼は、ファファに対面して座っていた。

「ファファ、気分はどうかな」

「うん、おなかいっぱい」

「いや、そういうことじゃなくってね……頭痛とか、めまいとか、そういう症状はないかな?」

「だいじょうぶ。ファファは元気だよ」

「そうか、ならよかった。ちょっと目を見せてね」

 ロークスは、ファファの右目のまぶたを上げて、瞳の様子を見る。

 手元のノートに、ロークスはメモを書き付ける。

 魔法変換抵抗負荷、問題なし。

 抗ティーベ反応、なし。

「あと少し、見させてね」

 ロークスは、傍らにあった、手におさまるサイズの魔法機械を、ファファのてのひらに当てる。

「三十七.一、か……」

 数値を見て、ロークスは口にはせず思う。

(ファファの魔力は無尽蔵とはいえ、無傷というわけにはいかないか)

「ねえ、おわり?」

「終わりだよ。ありがとうね、ファファ」

 ロークスに頭をなでられると、ファファはにっこりと微笑んだ。


 ◆


「ほんなら、すまんけど現地でな」

「遅れるなよ-、リーン?」

「遅刻魔のあんたに言われとうないわ」

 そう言って、リーンはミラの頭に軽くチョップを入れる。

「それじゃ、またあとで。気をつけてよ」

「ほなな-」

 ミラがマハガの乗り口に入ると、リーンは片手を挙げてひらひらと振る。

 乗り口の扉は閉じられ、岩がこすれるような音とともに、マハガは立ち上がった。


 ◆


「さて、じゃあグ級との交戦地点に向かおうか」

 ロークスは操縦器に手をかけ、後ろを振り向いた。

 と、艦長席のミラは、小さく手を挙げた。

「あ、ちょっと待って」

「なんだい?」


「グ級に行く前にさ。

 ひとつ、倒しておきたい巨獣がいるんだ」

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