10 夜風
もうそろそろ寝ようとしていたとき、コトアが部屋に訪れた。
コトアは、「夜風に当たりましょう」といい、先導するように、俺の前を歩いていく。
俺たちが着いた先は、マハガの背中の砲座だった。
草原の真ん中、風が静かに吹き抜ける。
月は天頂に輝き、コトアの髪をきらめかせていた。
「ちょっと寒いな……」
「これでもいかが?」
コトアは、水筒から温かいお茶をカップに注いでくれる。
唇で熱さを確かめながら飲むと、身体が芯から温まる感じがした。
そうして二人並んで、お茶をすする。
「ティグレ、あなたはなぜ、辺境へ来たのですか?」
「そうか、コトアには話してなかったか」
俺は、ここに至るまでの顛末を話した。
競技魔法で戦っていたこと。
〈異常血〉を発症し、魔法去勢されそうになったこと。
そんなとき、ミラが自分のもとを訪れたこと。
コトアは、伏し目がちになる。
「……では、望んでこちらに来たわけではないのですね」
「まぁ、そういうことになるな」
俺は、遠くを見つめていた。その先が中央なのかどうかはわからなかったが、なんだか、自分がいた場所がそこにあるような気がした。
「すみませんでした。この間は、初対面なのに責めるような口ぶりで話してしまって……。辺境が何なのか知る前に、こちらに来なくてはならなかったのでしょうに」
「いいよ、気にしてない」
「それで、なのですが……」
コトアは、もじもじと落ち着かない様子だった。
「もうすぐ、リクの街に着きますわね……」
「あさってには着くって、ロークスが言ってた」
「おわび、というわけじゃありませんのよ……あの」
声音が明らかに、うわずっている。
「あの、わたくしと……出かけません?」
「ん? ああ、いいよ」
俺は茶を飲み干しながら、コトアを横目で見る。
そのコトアはといえば、こちらとはまったく反対のほうを見ていた。
「これは、辺境とはどういうところなのか、あなたに案内しようと思ってのことですから……勘違いなさらないでくださる?」
「ふつうにそういうことだと思ってたけど、違うのか?」
「そ、そそ、そうですわね、そうです。違いませんわ、えぇ」
「楽しみにしてるからな」
かろうじてこっちを見ているコトアの目は、泳いでいた。
「ほら、それ貸して。洗っとく」
コトアの手から、ティグレがカップと水筒を引き取ろうとしたとき。
俺とコトアの手が、そっと触れた。
その瞬間、電気が走ったように、コトアは全身をびくりとさせた。
「大丈夫か? コトア」
「だいじょうぶですわ……」
コトアは、なんだか消耗していたように見えた。
◇
そして、二日後。
マハガはリクの街に到着し、陸港に接岸した。
陸港は、読んで字の如く、陸の港。
堤防のように並んだ桟橋に、マハガのような
もう少しで艦長席から滑り落ちるんじゃないかというぐらい、だらけきった姿勢で菓子をつまんでいるミラ。口の周りには、たべかすがちらほら。
こんな感じじゃなきゃ、美人、というだけで通るんだがと思いつつ、俺は話しかける。
「なあ、ミラ」
「ん? なに?」
「辺境府に行くのは、まだ明日だろう?」
「そうだけど」
「だったら今日、自由時間でいいか? コトアと街に出かけてこようと思うんだ」
と、ミラは思わず口の中身を噴き出しそうになる。
「ちょっとティグレ、手出すの早くない?」
「いやいや、そういうんじゃない……コトアが辺境を案内してくれるって言うからな」
「なるほどなるほどー、へー、そうなんですかー」
あきらかな棒読み、そしてミラの顔には邪悪な笑みが浮かんでいた。
「そういうんじゃないっての……」
「ま、今日は一日なんにもないから、たっぷり楽しんできなよ。たっぷり、ね」
妙な含みを感じたが、気にしないことにした。
「ありがとう、それじゃ行ってくる」
俺は
「ふぅん、コトアがねぇ……」
そうつぶやいて、ミラはふたたび、菓子を口に放り込んだ。
マハガの扉が開く。
空はすっかり晴れていた。薄暗いマハガの内部に慣れた目には、太陽はひどく眩しかった。
「なんだあれ、デカい……」
指差した先には、巨大な
「輸送用の
陸港には、辺境府が都市間輸送に用いている、大型の
「
「といっても、一般に普及しているわけではありませんわ。ほとんどは辺境府の戦闘用、輸送用、移動用ぐらいのもの。マハガのように、個人が所有している
「ふぅん、コトアはやっぱり詳しいな」
今日のコトアは、長い髪を後ろで、大きな三つ編みに結い上げていた。耳元では、薄紫色の石のイヤリングが、小さく揺れている。
と、コトアは小走りに俺の前に来て、市街地の方を指差した。
ふわりと、いつもとは違う、いい匂いがした。
「そうしたら、街に向かいましょう。どこか見たいところはありますの?」
「うーん、全く見当もつかないから……コトアのおすすめがいい」
「では、リク名物、フィナッツを食べにいきましょう」
「フィナッツ?」
「揚げたお団子の中に、木の実のペーストが入ってるんですわ。とても香ばしくて、おいしいですのよ。ファファも好きみたいですから、おみやげも買っていってあげたいんですの」
「よし、じゃあそれ行こう!」
「えぇ、行きましょう」
こういう時間は、辺境に来て――いや、中央にいたときから考えても――久しぶりだった。
俺の足取りも自然と、弾むようなものになっていた。
リクの市街地は、人々の熱気と
王都のように整然とした街並みではなく、曲がりくねった道や人でごったがえした通りばかり、呼び込みの大声を張り上げている商人も多かった。
単純に、街としてのパワーは、中央のどこよりもリクのほうがずっと大きいと思う。
「すごいな……っと、すまない」
通りがかった人と肩がぶつかる。だがこの街では当たり前のことなのだろう、気にしている様子もなかった。
「リクは辺境で二番目に大きな街、商業の中心地ですわ。街すべてが市場だと言われていますの」
コトアの言うとおり、どこまで行っても立ち並ぶ商店が尽きることはなかった。
「それで、フィナッツを売ってるのはどのへんなんだ?」
「もう少し先、この通りをまっすぐ行って、三番目の角を曲がって、階段を上がったあたりですわ」
「よくこのややこしい街の道がわかるな……」
「一時期、まだマハガに乗る前ですが、リクに住んでいましたの。辺境の商業についての取材のために。わたくしは、できるだけ取材対象と生活をともにしたいと考えていますから」
「なるほど。ってことは」
ふと思う。
「それで、マハガにも乗り込んで取材してるってわけか」
「そうですわ」
「巨獣と戦う
と、コトアの表情が突然曇る。
えっ、何かまずいこと言ったか?
「違いますの」
「え、それじゃあ何を……」
コトアは立ち止まってしまった。
胸元のカメラを、両手で握りしめるようにしているコトア。
「ファファさんを取材したかったのです」
「ファファを?」
コトアはうなずく。
「彼女は、死刑囚なのです」
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