8 居場所

「早いね、ティグレ君」

 厨房に立っていると、ロークスから声がかかる。

「おはよう、ロークス。今日から朝食当番なんだ」

 手元には、卵が五つ。それに、薄切りにしたベーコンが十枚。水洗いした野菜も、ざるに上げている。

 目玉焼きだけじゃ殺風景だから、サラダもつけることにしていた。

 しかしどういう仕組みだかわからなかったが、マハガの中にはきちんと水道設備もあったのだった。

 フライパンに、割った卵の中身を広げる。

「目玉焼き、かな?」

「ああ」

「ふむ」

 ロークスは、台所に並ぶ食材の量を見て、淡々と言う。

「うん、足りないね」

「えっ?」

 ひとりあたり目玉焼きひとつにベーコン二枚、それにサラダ。あと、焼いたパンもつけるつもりだった。決して大盛りとはいえないが、普通の量じゃないか?

「マハガにはひとり、とんでもなく食べるのがいるからね」

「それって――」

「ファファだよ。彼女の食べっぷりは、すごいよ?」

 たしかに昨日も、大量の焼き菓子をほおばっていたり、魔力の供給に対して「おなかがすいた」という発言もあったが。

「……なんかやたら食材の在庫が多いと思ったら、そういうことか」

 厨房の奥の保冷機能つき食材庫には、あきらかに、五人分の食材にしては過剰な量が買い置きされていた。

 肉なんて、それこそ牛やら豚一頭分ぐらいあるんじゃないか、というぐらいに。

「ファファは、まあだいたいいつも五人前は食べるかな」

「五人前」

 いったい小柄な彼女のどこに、その量が消えるのだろうか。

「……わかった、そうする」

「うん。彼女がおなかすかせたら、マハガは動かなくなっちゃうからね」

「俺も、魔法が撃てなくなる」

「そういうこと。で、何か手伝うことあるかな?」

「いや、大丈夫だ。今日のところは俺にやらせてくれ」

「了解。じゃあ朝食、楽しみにしているよ」

 ロークスは手をひらひらとさせて、厨房を出ていった。


 ◇


 マハガの皆は、食事のときはファファの炉箱に集まる。

 ここがマハガの中でいちばん広い部屋だということもあって、居間扱いになっているのだった。

 据え付けられたテーブルには、俺の用意した朝食が並べてある。

「おはようございますわ」

 部屋着の、ゆったりとしたワンピースを着たコトアが現れる。

「おはよう、コトア」

「助かりますわ、あなたが朝食の担当になって、わたくしも朝はゆっくりできるようになりました。記事の執筆が進みますわ」

「朝から書いてるのか、えらいな」

「起きてすぐのほうが、考えがまとまりやすいんですの」

 そう言いながら、コトアは席につく。

「ファファさん、おはようございます」

「おはよー」

 隣に座るファファに、コトアは微笑みかける。

 ファファはコトアの頬に、軽くキスをした。

 こうして見ると、仲の良い姉妹のようであった。


 いま炉箱の中にいるのは四人。

 あと一人、まだ揃わない者がいる。

 ミラだ。

「ロークス、ミラは?」

「まだ起きてないなあ、たぶん」

 なんとなく予想はついていたが、彼女がいちばんの寝坊キャラのようだった。

「起こしてきたほうがいいのか?」

「あ、大丈夫」

 そう言って、ロークスは席を立ち、炉箱の壁に取り付けられた小さな装置に向かった。

 ロークスが、装置を押し込むと。

 扉の向こうから、くぐもったベルの音が鳴り続ける。

 が、おそらくあれは、壁何枚か隔てた向こうで鳴っている、爆音である。

 完全に殺しに行っている音だった。

「あまりに起きないからね、取り付けたんだ。強力な目覚ましを」

 ちょっと便利グッズを導入してみました、ぐらいに微笑むロークス。


 と、三分ほどして、炉箱の扉が開かれる。

 そこからは、生ける屍のようにふらついたミラが現れた。

「――!!」

 俺はミラを凝視したあと、我に返って目をそらす。

 ミラのかっこうは、ほぼ下着ではないかと思えるレベルで、胸元や太ももがあらわになっていた。

 が、俺を除いた皆は、誰も動じていない。

 これも朝の風物詩のようである。

「なんかね、手動のオルゴールを小さいおじさんが振り回しててね、それすごくいいって思ったんだよね」

 寝ぼけているのか、意味不明なことを口走るミラ。

「よし、じゃあ食べようか」

 彼女を華麗にスルーして、ロークスは朝食に手をつけた。

「いただきまーす」

「いただきますわ」

 ファファもコトアも、食べはじめた。

 ミラは、並べられた目玉焼きに顔を突っ込む勢いで、眠さのあまりふらついては目を覚ます、というのを繰り返していた。

 ファファは、早くも二枚目の目玉焼きを口に運んでいる。もぐもぐと口を動かしながら、ファファは幸せそうな顔をしていた。

「どうだ、うまいか?」

「うーん」

 ファファは、目の前に並べられた大量の朝食を見て、言う。

「もっといける」

 いや、いけるとかじゃなくてな。


 そうして、ひととおり、皆が朝食を食べ終わった。

 ようやく正気に戻ったミラは、自分の腹をぽんぽんと叩きながら言う。

「いやー、ティグレいいね。コトアのごはんもおいしいけど、ティグレのはティグレので、味付けが絶妙だねー」

「ほぼ寝ながら食べてただろ、ミラ。味分かってるのか……」

「あ、バレた?」

「わかりやすすぎる」

 俺とミラのやりとりに、コトアが小さく笑った。

「ティグレさんの味付け、繊細でした。もう少し、豪快な味かと思っていましたけれど」

「そーだね、意外っちゃ意外だよねぇ」

 なんだか自分は、大ざっぱな人間だと思われていたようだ。

「でも、こうして新しい誰かが来るのはいいものだね」

 ロークスはカップを手に、食後のお茶をすする。

「もともと、マハガには四人だけだったのか?」

「ううん、最初はロークスとファファと私の三人だけだよ。コトアはあとから来たんだよね」

 ミラの言葉に、コトアはうなずく。

「わたくしがマハガに乗ったのは、一年半前のことですわ」

「そうだったのか」

「はじめは、取材のために三か月ほど乗らせていただくつもりだったんですの。けれど、マハガはいろいろなところを旅しますし、何より居心地がよかったので、つい居着いてしまって」

「いいんだよー、コトアならいつまでいてくれたって」

 コトアの後ろに立ったミラは、後ろからコトアの肩に手を回して、抱きしめた。

「ミラさん、やめてください、苦しいですわ」

「ふふふー、やめなーい」


 こうして見ていると、マハガの皆は、とても仲がいい。

 自分は同じように、ここに溶け込めるのだろうか。

 居場所を、得ることができるのだろうか、と。

 ともあれ。

 まずは、役割をこなすことだと思う。

 朝食当番。

 それと、主砲を。


「ティグレ―、なに考え込んでんの?」

「うわっ!?」

 気づくと、ミラの顔が目の前にあった。

 思わず凝視してしまう。さっきまで寝ぼけてたくせに、顔がいい。

「どうせ、自分の居場所とか考えてたんでしょ?」

「なっ」

「図星だねー」

 猫のような口になって、ミラは言った。

「あのさ、そんなこと悩まなくたってだいじょうぶ。

 だってさ、マハガはもう君の家なんだよ」

「家――」

「そ、家。好きなように過ごして、おたがい迷惑かけあえばいいんだよ」

 ロークスもコトアもファファも、みな俺を見て、微笑んでいた。


 思えば、自分の家族はこんなに温かくなかった。

 いやなことばかり言われて、居場所もなくて。

 けれど、今は。


「そう、だな」

 口元が、少しだけゆるむ。


 なんだか、やっていけそうな気がした。

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