7 ファファ

 炉箱ろばこの扉の先。


 そこは、白くて明るく、箱の中、というイメージよりは広い部屋だった。

 外側と違って、内側の壁にはなんの模様もない、白一色の壁。中には、いくつかの椅子が置かれていた。

 そして、部屋の中央の奥。

 床に置かれた低いテーブルの向こうに、ぺたんと座り込む少女がひとり。

「彼女がファファ。マハガの魔法たまいだよ」

「あの子が?」

 顔立ちや姿から、年齢はコトアと同じか、少し年下に見えた。だがファファはコトアに比べて、ずっと幼い印象を与える、あどけない表情をしていた。薄灰色の髪に、白い肌。不思議そうに見開かれた目は、ガラス玉のような薄い水色。

 そして、何よりも目を引くのは、その首に取り付けられた、黒い首輪のような物体だった。透明な印象の彼女に比べて、首輪だけが重々しく存在感を放っていた。


「あわはわ、はれ?」

 ファファが口を開く。

「ファファ、飲み込んでからでいいよ」

 ミラは、テーブルを挟んで彼女の正面に座る。

 テーブルの上には、皿に乗った焼き菓子がたくさん。

 ごくん、という音とともに、ファファは息を吐く。

「あなたは、だれ?」

 透き通った水色の瞳が、こちらをじっと見つめる。

 吸い込まれそう、というのはこういう感覚を言うんだろうか。

 気を取り直して、自己紹介する。

「俺はティグレ。新しくマハガに来た、魔法使いだ」

「まほう、つかい」

 そう言うと、ファファは小声で「やっぱり」とつぶやいた。

「わたしはファファ」

 表情を変えないまま、ファファはぺこりと頭を下げた。

 そして立ち上がると、こちらの目の前まで小走りに駆け寄ってくる。

「ん?」

 彼女は、俺よりもかなり背が小さかった。

「どうした?」

 こちらを見上げて、その小さな身体を伸ばして。

「!?」

 ファファの顔が目の前にまで迫ると、唇に柔らかいものを押しつけるような感触がする。

 俺は、固まっていた。

 え……いまの、キス?

 いや、キスされたのは確かだった。

 さっきまでファファが食べていた焼き菓子の、ほんのり甘い味がしたから。

 一瞬動けなくなったまま、はっと気がつき、勢いよく顔を引く。

 眼前のファファは、微笑んでいた。

「ありゃ」

 ミラも驚いて目を丸くしていた。

「それ、彼女なりの親愛の表現なんだけど、初対面の人にするの、はじめて見たよ」

 と、ファファは首を振った。

「もうさっき、ティグレとはつながったから、はじめてじゃない」

「つながったって、魔力供給のことか?」

 問いに、ファファはうなずいて答える。

「魔法のにおいでわかった。さっきの人だ、って」

 魔法のにおい。

 本来、魔法ににおいはない。けれど個々人の魔力の性質を、そう表現する魔法使いや魔法給いも、少ないながら存在する。

「すきな、においだった」

 ファファにとって、ティグレは相性がよかったということだと、そう理解した。

 〈人の魔法〉でつながる者同士、相性がいいというのは、実は大事なことだ。相性が悪いと、魔力供給を受ける際に、ノイズが出て効率が悪くなったりする。


 だが、ふと思う。

 あれだけの大威力の魔法に足る魔力を供給したのだから、彼女には相当な負担がかかっていたはずだ、と。

「なあ、ファファ。さっきはすごい魔力をもらったけど、大丈夫だったか?」

「うん。ちょっとおなかすいたぐらい」

「えっ、そんなもの……?」

 ちょっとおなかがすいた、といっても、俺が放った魔力量は、普通の魔法給いなら昏倒してしばらくは起き上がれないレベルのはずだ。

 現に、〈異常血〉を発症したラナキュラスとの戦いのとき、俺についていた魔法給いは、その後十日間寝込んでいたらしい。

「ファファの魔力量は、ケタ違いなんだよねぇ」

 ミラはファファの頭をなでながら言う。

「マハガを動かすだけでも、結構な魔力が必要だし、特にロークスは派手な操縦をするから余計そうなんだけど、ファファには余裕みたい。そのうえ、ティグレの主砲までカバーしてなお余りあるなんて、びっくりだよね」

「本当だな」

 本来、魔力の量に身体の大小は関係ない。だが、ファファのこの小さな身体のどこから膨大な魔力が生み出されるのか、不思議だった。

 しかしそれは、非常に心強いことであった。

「ともかく、君とファファはペアだから、仲良くしてね」

「もちろん。よろしくな、ファファ」

「うん。ティグレ、あそびにきてね」

 ミラは、室内の椅子を指差して言った。

「この椅子、マハガのみんなが集まるために置いてるんだよ。この部屋広いからちょうどいいし、そのほうがファファもさびしくないかなって。だから、君も来てあげて」

 俺はうなずいた。


 そうして、ミラと俺は、ファファの炉箱を後にした。


「それで、他にマハガに乗ってるのは?」

「これで全員だけど?」

「えっ?」

 ミラ、ロークス、コトア、ファファ、それに新しく、俺。

 五人だけ。

「大きさのわりに、少なくないか?」

「こんなもんだよ、大傀儡アークゴーレムはどこも。まあたまに人数多いところもあるし、辺境府の移動要塞なんかだと、百人単位で乗ってたりするけどね」

「食事とかはどうしてるんだ?」

「食事はコトアがやってくれてるし、物品の調達とか管理は私がしてる。ロークスは操縦兼掃除担当って具合。そうそう、君にもなにか主砲以外の仕事、してもらうからね。なんか得意だった家事とかないの?」

「一人暮らしだったから、ひととおりはやってたけど……ああ、目玉焼きは得意だな」

 そう、目玉焼きを焼くのだけは自慢できる。

 黄身と白身のバランスが絶妙な、見本みたいなのを作れる。

「じゃ、とりあえず朝食担当ってことで。コトアが三食作るの、大変そうだったからね」

「ん、わかった」

「さっそく、明日の朝からよろしくね」

 仕事を割り当てられるのは、なんとなく居場所を得たような感じがするもので、悪い気分ではなかった。


 操縦室に戻ると、ロークスが本を片手にくつろいでいた。

「マハガのディナーはおしまい?」

「うん、終わったよ。鉱物圧縮率が低い個体だったみたいで、そんなにマハガは成長しなかったな」

「特殊能力は?」

「残念ながら」

 ロークスは首を振る。

「さーて、次はどうしますかね」

 ミラは艦長席に身を投げ出すように座り、頭の後ろで手を組んだ。

「あぁ、それならこれが」

 ロークスは、本の間に挟んでいた小さな紙を取り出した。

「さっき、辺境府からの伝令鳥でんれいちょうが来たよ」

 そう言って、ロークスは紙片の内容を読み上げる。

「マハガ艦長、ミラ殿。リクの支府への出頭を打診する。内容は下記のとおり」

「ふむ」

「中身は……大規模作戦への参加依頼、だってさ」

 何が書かれているのか気になって、ロークスの手元の紙片をのぞきこむ。

「大規模作戦って、何だ?」

「うーん、これだけだとなんとも。ただ、だいたいは、巨獣の大量発生への対応だったり、超大型巨獣の討伐作戦だったり、ということが多いかなあ」

 超大型巨獣と聞いて、さっき戦った巨獣の大きさを思い返す。

「さっきの巨獣で、どのぐらいの大きさなんだ?」

「五十ミルター程度、まあ普通ぐらいかな」

「あれで普通……じゃあ超大型って、いったい……」

 茫然ぼうぜんとする俺に、ミラは言う。

「でもさ、ティグレ。これってチャンスかもよ?」

「チャンス?」

「超大型を倒せれば、君がなりたい最強に近づけるんじゃない?」

 最強か、と思う。

 競技魔法時代は、そうなりたかった。

 だけど、その機会は永遠に失われてしまった。

 いまこの辺境の地でなれる最強は、ミラの言うとおり、巨獣を倒すことなのかもしれない。

「そう、かもしれないな」

 自分に言い聞かせるように、つぶやいた。

「じゃあとりあえず、リクの支府にいこっか」

「そしたら、明朝出発だね。今日はそろそろ寝よう」

 そう言うロークスに、俺はうなずく。

「あ、ティグレ」

 ミラに声をかけられる。

「明日の朝食、楽しみにしてるよ?」

「まかせとけ」

 俺は親指を立てて、応じた。

「あ」

 そういえば、と思い出す。

「どしたの、ティグレ?」

「俺の部屋ってどこ?」

「あっ」

 ミラは口を開いたまま、しまった、という顔をした。

「また明日片付けるから……いまは倉庫みたいになってるけど、今夜は我慢してくれるかな……」

「お、おう……」

 初日の夜は、寝心地に期待できそうにはなかった。

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