3 辺境へ

「なんだ、これ……河か?」

 俺は、巨大な水場のほとりにいた。

 大河のようにも見える。幅は五百ミルターはあるだろうか。対岸に並んでいる建物が、豆粒よりも小さく見える。

 だが、河にしては、流れがないように見える。

「ううん、これは人工のほり。これが、中央と辺境の境界線だよ」

「どうしてこんなものを?」

「中央と辺境の行き来は、一方通行なのは知ってるかな?」

 ミラは、馬車に積んだ荷を降ろしながら言う。

「ああ……辺境は、中央からの流刑地でもあるからな」

「そのとおり。中央から辺境には自由に行けるけど、辺境から中央には、よほどのことがないと行けない。私も辺境の人間だけど、君を連れてくるために中央に入るには、特別な許可が必要だったんだよね」

「それじゃあ――」

「そう。君はここを渡ったら、中央に帰ることはできなくなる」

 帰ることはできない。

 そう言われて、ふと、来た道を振り返った。


 王都を発って、もう六日が経っている。

 思えば、遠くまで来た。

 だが、六日間の旅の中で、中央への未練はもう捨てていた。

 戻ったところで、魔法去勢が待っているだけ。

 もう中央は、俺の帰るべき場所じゃない。

「行こう、ミラ」

 ミラは、微笑んでうなずいた。


 ◇


 旅路も七日目。


 水濠を渡り、辺境の地に足を踏み入れた。

 そこからまた、傀儡馬の馬車に乗り換えて、辺境の街道を進む。しっかりと石畳で舗装された中央の街道よりも、明らかに道の状態が悪かった。

 道はでこぼこで、馬車の乗り心地は最悪。

 ところどころ、降った雨がわだちにたまってぬかるみを作っていた。


 すると、道の向こうで、一台の馬車が立ち往生しているのが見えた。

 俺たちの乗る、荷台だけの粗末な馬車とは違って、屋根付き、装飾つきの豪華なつくりだった。

「あれ、辺境府へんきょうふの馬車だね」

 ミラが口にした。

「辺境府?」

「王家の出先機関、みたいなものかな。辺境を治めている組織だよ。辺境の政治から経済、軍事までをすべて握ってる。

 あの中に乗ってるのは、きっと辺境府のお偉いさんかなあ。ま、きっと手伝っておいて損はないと思うよ」

「そういうもんか」

「そういうもんだよ」

 そう言って、ミラは自分の馬車を、豪勢な馬車の近くに寄せた。

「あのー、押しましょうか?」

 ミラが声をかけると、兵士の服装をした者が、動かない車の後ろにつけて、顔を赤くして押そうとしていた。車輪はぬかるみにすっかりはまりこんでいた。

「あぁ、すまないが力を貸してくれるか」

「はい、もちろん」

 ミラは俺に目線を送った。

 自分も手伝え、ということだ。

 俺はうなずいて、馬車を降りる。


 俺たち二人と兵士の三人で押すと、時間はかかったが、馬車はぬかるみから脱することができた。

「うへぇ……」

 俺たちも兵士も、足下は泥だらけだった。

 すると、豪勢な馬車の中から誰かが出てきて、小さく頭を垂れた。

「ご助力申し訳ない、通りがかりのお方」

 その者は、頭に黒い兜のような覆いをつけており、顔は見えなかったが、声から男だと分かった。

 黒のマントに黒服、胸元には金糸きんし飾緒しょくちょ。体格がいいわけではないが、不思議な威圧感があった。

「あの胸の飾り、辺境府の参謀の人だね」と、ミラが耳打ちしてくる。

「ご婦人のおっしゃる通り。私は参謀をしております、シェルナと申します」

「あら、聞こえていましたか、失礼しました。私は、マハガのミラです」

 ミラはお辞儀をした。

「あぁ、あのマハガの。存じておりますよ」

「光栄です」

 だからマハガって何なんだよ……。

 シェルナと名乗る黒ずくめの男の手元では、白い扇が開かれ、閉じられを繰り返していた。

「これから中央に向かうところだったのですが、昨日の雨のぬかるみに車輪を取られまして」

「そうだったんですか、私はちょうど中央から帰ってくるところでした」

「その、隣のお方をお連れに?」

 そう言って、シェルナはたたんだ扇で俺を指した。

「はい」

「だとするとあなた、魔法使いの方ですね」

「えっ」

 思わず、声が漏れた。

 どうして分かったのだろうか。

 今の俺は、魔法使いらしい服装はしていなかったはずだった。

「なに、簡単な推量ですよ。マハガの方が、中央から人を連れて帰る。それだけでおおかた見当はつくものです」

 ミラは、シェルナの言葉にうなずいていた。

「かく言う私も、あなたと同じ用事でして。

 では、道を急ぎますので、このあたりで」

 シェルナは小さく手を挙げると、きびすを返し、馬車に乗り込んだ。


 シェルナの乗る馬車を見送ると、ミラはふたたび馬車の手綱を握り、辺境の街道を東へと進んでいった。

「同じ用事ってことは……」

「ん、君みたいな魔法使いを探しに行くんだよ、きっと」

 肩越しに、シェルナの乗った馬車の去った方を見る。

 中央に向かった、ということなのだろう。

 俺みたいな、ってことは、〈異常血〉を発症した奴が、他にもいるんだろうか。


 ◇


 日も傾き、間もなく夕暮れ時。

 ミラは、最後に寄った町で傀儡馬の馬車を返した。

 俺たちは、徒歩で旅を続けていた。

 今日は、ミラの言っていた七日間の旅の、最後の日のはずであった。まだ目的地に着く気配がない。

 どうなっているんだろうか。

「なあ、今日中に着くのか?」

「うん、もうすぐだよ」

 ミラはのんびりとした口調で返した。

 俺たちは坂道を登り、丘の頂上に達した。


 そのときだった。

「――!?」

 道の先にいるものに、目を奪われた。

 巨大な四つ足の怪物が、立っていた。


 背の高さは二十ミルター、人の背丈の十倍以上はあった。長さも三十ミルターはある。

 頭のない牛のような形をしたそれは、全身を金属の装甲で覆っていた。

 そして怪物は明らかに、こちらに向かってきている。

「ミラ、あれ! やばい、逃げないと!」

 慌てて指差すティグレに、ミラは微笑みを返す。

「だいじょぶ。あれ、おとなしいから」

「おとなしいったって、あの大きさだぞ!?」

 怪物は、こちらに走ってきている。一歩一歩が、大地を深く揺るがす。その響きに、俺の心拍はどんどん早まっている。

「くそっ!」

 思わず、魔法を放つ構えをする。

 だが、魔力が来ない。

「しまった――」

 当然だった。

 ここには、魔法使いとセットになる、魔法たまいがいない。


 だめだ、轢かれる――!


 そう思った瞬間。

 怪物は、目の前で急停止した。

 その足先が大地にめりこみ、派手に土砂をはねあげた。

「着いたよ。長旅、お疲れさま」

「えっ?」

 腰を抜かしてへたりこんでいた俺は、ゆっくりと怪物をあおぎ見る。

 眼前に迫るその脚は大木よりも太く、胴部は空を覆い隠すように巨大だった。


「これが――」

 ミラは、怪物を指差す。


大傀儡アークゴーレム、マハガ。君の新しい家だよ」

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