白紙

増田朋美

白紙

「やれやれ、やっと終わったねえ。一時、どうなっちまうのかと思ったよ。まあ、しょうがないといえばしょうがないんだけど、皮膚移植をすると聞いたときは、焦ったな。」

杉ちゃんは、手術室から、女性が運ばれていくのを眺めながら、そういう事を言った。近くではジョチさんが、ご主人の男性と一緒に、お医者さんからの説明を聞いていた。

「そういうわけですから、手術は無事終了です。皮膚の提供にご協力いただきまして、ありがとうございました。」

と、お医者さんがそういう事を言っていた。ご主人の左腕は包帯が巻かれていた。つまり、ご主人の左腕の皮膚を使って、植皮したということだろう。

「わかりました。ありがとうございます。それで、あの、久美子はいつ、意識を戻すでしょうか?」

と、ご主人の岸敬之さんは、お医者さんに言った。

「ええ、多分明日の朝には大丈夫でしょう。」

お医者さんがそう言うと、敬之さんは、よかったと言って、再度ありがとうございましたと言った。それを、聞きながら杉ちゃんは、

「なんで、あんなに心配してくれる人が居るっていうのに、自殺なんか測ったんだろうか。皮膚移植なんかしたら、彼女は、一生、フランケンシュタインのモンスターみたいに、縫った痕が残っちまうぞ。女性が、外見が変わるってことは、本当に大事なことなのにな。」

と一人で呟いていた。確かに、他人の皮膚をもらうということはそういうことだ。いくら痕は取れると言ったって、必ず縫った痕とか、そういう事は、必ずあるだろう。ちなみに、フランケンシュタインモンスターも、皮膚を縫い合わせて、作ってあるから、皮膚を縫い合わせたあとがある。

「それでは、後は私達がお世話をいたしますから、奥さんの意識が戻りましたら、連絡をいたします。」

と、看護師が、ジョチさんとご主人の岸敬之さんに言った。病院というところは、本当に形式的だ。なんだか、病院だから、こう言う患者さんの扱いはなれているんだろうが、もう少し、患者さんに優しくしてくれればいいのになと思った。

「いえ、私は、もうしばらくここにいます。妻が目が覚めたときに、一人ぼっちでは可愛そうですし。」

敬之さんはそういう事を言っているのだった。

「そうなんですけれども、ご家族は、もうお帰りになっても結構ですよ。後は私達でやりますから、どうぞお帰りになって、ゆっくり休んでください。」

と、看護師はそう言っているけれど、

「はあ。もうちょっと、彼の気持ちに寄り添ってやればいいのにな。」

と、杉ちゃんは呟いた。

「ゆっくり休んでなんて、こんな事があったくらいですから、とてもそんな事ができる気持ちでは無いですよ!」

と、敬之さんは、すぐにそういうのであるが、

「いえ、岸さん、ここは病院に任せましょう。あなたがそばに居たい気持ちはわかりますが、かえって医療従事者の方に迷惑がかかってしまうかもしれません。それではいけませんから。とりあえず、僕達は自宅に帰ったほうがいいと言うことです。」

と、ジョチさんが言った。

「とりあえず、小薗さんに電話をして、あなたが、家に帰れるように運転を代行させますから。そんな、精神状態で車を運転したら、大事故に繋がりかねません。少しお待ち下さいね。」

ジョチさんは急いで、スマートフォンで電話をかけ始めた。敬之さんはどうしてこんなことに、と、困った顔をして、椅子に座り込んだ。杉ちゃんが、その敬之さんにの座った椅子に車椅子を動かして、近づいた。

「大丈夫だよ。奥さんは、あれだけ首を深くさして、一命をとりとめたんだから、きっと立ち直れるよ。そうでなかったら、とっくに自殺を完遂させていることだろう。未遂に終わったのだから、それでいいやと思いな。」

「でも、あのひとは、どうなるのでしょうか。」

敬之さんは、不意に話題を変えた。

「あの人ってだれだ?」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ、妻が自殺を図ったのを、発見してくれた、あのきれいな方です。」

と、敬之さんは答える。杉ちゃんは、少し考えて、

「まあ、水穂さんの事は、難しい事は、考えないで、そのまま放っておいておくれや。大丈夫、水穂さんは、すぐに、立ち直ります。」

とわざとにこやかに笑って言った。実はそうなのであった。たまたま憚りに起きた水穂さんが、居室の中で、自ら首を刺して倒れている、岸久美子さんを見つけたのである。凶器になったものは、カッターナイフだった。それも、よく切れる、梱包作業とか、そういうときに使われるものである。かろうじて水穂さんは、救急車を呼び出してくれるところまでは成功したのであるが、その後は力尽きてしまって倒れてしまったのであった。

「まあ、お前さんも、奥さんがこんなところにあって、本当に辛いかもしれないけれどさ、きっと、亡くなった娘さんからのメッセージだと思ってさ、ここは、じっとこらえて、頑張ってな。」

杉ちゃんは、にこやかに笑った。敬之さんは、はいと小さく頷いた。

「それにしても、娘さんはどうして亡くなったの?何なら、こういうときだし、話して楽になっちまえよ。辛いときってのはな、楽になる大きなチャンスかもしれないぜ。」

と、杉ちゃんがいうと、

「ええ、娘は、自殺しました。私は詳しく知りませんが、試験の回答を白紙で提出して、それで担任の先生にひどく叱られたため、翌日に自殺を図ったそうです。娘の葬儀が終了後、妻がおかしくなりはじめましてね。葬儀は終わっているのに、娘が行きているとか、まるで認知症にでもなったのではないかというくらいでしたよ。」

と、敬之さんは言った。

「はあ、奥さんは何歳だ?」

杉ちゃんがいうと、

「ええ、まだ、39歳です。とても認知症になるような年齢ではありません。」

と敬之さんは答えた。

「娘さんの享年は?」

「12歳です。中学校一年生でした。思春期の入り口、難しい年頃だとは思いますが、親に何も相談もしないで、うちの中で首を吊ってなくなるとは、思いませんでした。」

「はあ、そうだねえ。それで、その試験は一体なんの試験だったんだ?」

「はい。国語の作文試験でした。問題の内容とか、そういう事は思い出したくもありません。それを白紙で提出しただけで、自殺なんかするでしょうか。とても信じられません。私は、そうしろと指示した覚えは無いですし。」

敬之さんは、小さな声で、杉ちゃんに言った。

「まあ、昔と今では違うからねえ。昔は、親子の団らん時間というものがあって、今日あったこととか、そういう事を、家族に話して、ストレス発散ということができたんじゃないかな。親がいなくてもさ、おじいちゃんとかおばあちゃんがいて、話を聞いてくれる人物がいたんだよな。でも今は、家族といえば親しかいないし、ペットがいても、何も意味がないということもあるしね。友達も、ちょっと返せば、敵になっちまうから、それでは、仲良くなんかできないわな。何か、本音を話せるやつってのが、どんどんなくなっちまう時代だよな。」

杉ちゃんは、ちょっとため息を付いた。

「今の若い奴らが、友達とうるさく話していて、全く最近の奴らはマナーがとかいう年寄りも多いけどさ。でも、話が終わったあとで、もう疲れちまった顔をしているやつもいっぱいいる。だから、友達でさえも、なかなか本音を話せるやつもいないんだよ。もしかしたら、それをしてくれるのは、金を払ってやらないと、できないっていう時代になっちまうかもしれないよ。」

「そうですか。私は、彼女をどうしてやったらよかったんでしょうか?」

と、敬之さんは、そういう事を言った。

「まあ、それは不幸な要素が重なったとしか、言いようがないな。まあ、だいたいね、自殺とか、心の病気とか、そういうものは、だいたいそういうもんだけど。でもさ、初めて分かる事もあるよなあ。それは、大事にしていったほうがいいぜ。忘れないでな。」

杉ちゃんは、彼の肩を優しく叩いた。

「もうおしゃべりはそこまでにしてくださいよ。今、病院の入り口に車をつけました、とりあえず、自宅へお戻りください。奥様の意識が戻ったら、すぐに、お宅に電話するように言っておいておきます。」

同時にジョチさんがやってきて、杉ちゃんたちの話に割って入るように言った。ああ、もうそんな時間かと杉ちゃんは、頷いた。二人は、黙って、病院の玄関まで移動していった。たしかに、病院の玄関の前には、超特急で飛ばしてきた、自分の車があった。車に近づくと、小薗さんが急いで、助手席のドアを開ける。じゃあ、ここでなと杉ちゃんとジョチさんは、車に乗り込んだ敬之さんの姿を眺めながら、軽く手を降って見送った。

「まあ、そのうち、彼女、久美子さんも意識を取り戻すでしょう。それよりも、彼女が動けるようになってからのほうが大変ですよ。彼女が、生きているということを取り戻さなくっちゃ。それのほうが、皮膚移植よりずっと大変だ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうですね、僕達も、水穂さんをなんとかしなければ。彼も、今回の事はすごく衝撃が大きかったと思うんです。自殺を図ったのを目撃したわけですからねえ。どうしたのか、ちょっと電話してみます。」

とジョチさんがスマートフォンを出して、電話をかけはじめた。杉ちゃんは、一つため息を着く。数分話して、ジョチさんは、電話を切って、スマートフォンをカバンにしまった。

「須藤さんの話によりますと、水穂さんは薬を飲んで眠ったそうです。幸い、大した事はなかったと言っていました。まあ、後は、本人の問題かな。じゃあ、僕達も、タクシーを呼んで、帰りますか。」

ジョチさんはそう言うが、いや、歩いて帰ろうと杉ちゃんは言った。タクシーを呼び出すほど遠い距離じゃないし、タクシーに乗ってどうのという気持ちにはなれないよ、ということで、杉ちゃんたちは、歩いて帰ることにした。道路は、夕焼けで赤く染まっていた。二人は、道路を歩いて、近くの公園に差し掛かると、公園ではフリーマーケットをやっていた。ちょうど撤収寸前なのか、商品は少なかったが、値段は極端にやすかった。こういうものに目がない杉ちゃんはちょっと寄って行こうぜと言って公園にはいってしまう。ジョチさんは、ちょっとだけですよと言って、それについていった。

「ほう、結構いいものが売ってるじゃないか、この服は、お前さんが作ったものか?」

杉ちゃんは、洋服を売っている女性に、そう声をかけた。

「ええ、私が作りました。洋服を時々縫うのが好きなんです。」

と女性はそう答えるのであるが、杉ちゃんは疑い深そうな目をした。

「はあそれは違うよなあ。なんでそういう事言うの?このワンピース、子供サイズであることは間違いないが、洗濯表示がとれている。これ、明らかに洗濯表示を取ったものだよなあ。」

杉ちゃんにそういわれて、女性は、小さくなってしまった。

「まあ、僕は、大した人間じゃないけど、そうやって、偽造するのは行けないことだぜ。」

と、杉ちゃんは言った。

「ええ、ごめんなさい。」

と彼女は言った。

「でも、ここにおいてある人形はあなたが作ったものではないんですか?」

とジョチさんが不意に聞いた。確かに、売り台のそばに、小さなてくてく人形が何体かおいてある。いわゆる、ウォルドルフ人形というやつだ。シュタイナー教育といわれる教育法で、使用される単純素朴な人形である。その素朴さから、子供が考える力が付き、前向きになることを狙っている人形である。

「ウォルドルフ人形は、なかなか既製品が販売されていることも少ないし、個人で作ることが多いと聞いたものですから。」

ジョチさんがそう言うと、女性は、

「買っていきますか?」

と、言った。

「これは私が作った人形です。私、ウォルドルフ人形の作り方も教えてるんです。人形を買うことも面白いですけど、自身で作ってみて、子供さんにプレゼントするのも、楽しいですよね。」

「いえいえ、僕達は、結婚すらしたことがありませんので、子供にプレゼントすることはしませんが、それにしても、これは、とても精巧に作っていらっしゃいますね。作り方を教えていらっしゃると言いましたけど、あなたは、師範免許とか、そういうものを持っているのでしょうか?」

と、ジョチさんは彼女に聞いてみた。

「へえ、ウォルドルフ人形か。人形は、魂が宿るというが、単純素朴な形をしている人形ほど、愛着があって、可愛く感じるもんだよな。それで教育に役立つということになるな。」

と、杉ちゃんが、人形を手にとって見て言った。

「ええ。師範という言い方はしませんが、講師の資格を持っています。人形を作ると、子供が一人増えたみたいな気持ちになって、愛おしくなるんです。」

女性はジョチさんの言うことにちゃんと答えてくれた。

「子供が一人増えたね。なんでそういう事を思うの?人形は、たしかに、可愛いけどさ、何か愛着の方向が違うように見えるんだけど?」

と、杉ちゃんがそう彼女に聞く。

「ええ。こんな事、なかなか他人に口にできることではありませんが。私は、七歳の息子を、なくしてしまってから、人形作りに打ち込むようになりまして。子供を失ったぶん、それを人形で補おうとしていると思いました。息子をなくした直後は、考える暇も無いほど、人形作りに打ち込みました。それで、結局講師まで行けたんですけど、それは息子が導いてくれたのではないかと思っています。」

女性は、静かに答えた。そうやって、成文化できるのだから、かなり有能な人物であることと同時に、もう彼女自身の中で、浄化されているのかもしれない。

「そうなんだね。ちなみに息子さんはどうしたの?交通事故とか?」

杉ちゃんがそうきくと、

「ええ、それだったらまだ決着がついたかもしれない。でも、私が、あの子を苦しめるようなやり方で、死に追いやってしまいました。私は、失格だったんだと思います。」

と、彼女は答えた。

「はあ、それはどういうことかなあ。できればちょっと教えてくれないかな?僕は答えが出るまで何回も質問しちゃう。」

杉ちゃんの悪い癖は、時々、いい方向に働くこともあった。彼女は、申し訳無さそうな顔をして、

「こう見ても私、会社員だったんです。息子が亡くなったときも、私、仕事を優先しすぎてしまったので、それで息子を放置しっぱなしで、息子は、放置されたまま、喘息の発作で亡くなりました。それでは行けないでしょ。だから、私、もう会社に務めるのはやめようと言うことにして、私は、大好きだったウォルドルフ人形を作ることに打ち込みました。」

と、答えたのであった。もしかしたら、刑務所にでもはいったということかもしれないと思って、杉ちゃんはそれ以上は聞かないことにした。

「わかりました。きっとそれは、お前さんの言うように、お前さんは、人形作りをするために生まれてきたんだよ。それを息子さんは、自らを犠牲にして、教えてくれたんじゃないの?」

「ええ、そう思うことにしています。人って、なにかこじつけないと生きていけないって言いますけど、私も、そういうことにしました。古いものを出さなければ私は前に進めませんから。そのために、生きていく必要があるんです。」

と、彼女はにこやかに言った。その笑顔の下に、悲しい気持ちがたくさんあるんだろうなと思われるような笑顔だった。

「じゃあ、僕達も、お前さんがこれからも強い女でいられるように応援するから、その人形を、一匹、僕にくれるかな?」

と、杉ちゃんは急いで言った。

「はい、一体、五百円です。」

女性にいわれて、杉ちゃんは、千円札を出した。彼女はそれを受け取って、杉ちゃんに、五百円を一つ渡した。

「ありがとうな。この人形を、だれかにあげてもいいかな。お前さんの、子供が一人増えたみたいっていう言葉を信じたいんだ。お前さんみたいに、彼女は強くないんだ。彼女は、娘さんを自殺でなくしている。今日な、首を深くさして、死んでしまおうとしたんだよ。それでな、ご主人の皮膚をもらってな、それで縫合してもらって、傷を塞いだんだ。全く、そんな事してくれるご主人が居るってことに気が付かないんだよな。まあ、きっと、娘さんをなくしたことで、立ち上がることはできないってことになるんだよな。だから、この人形でちょっと、彼女を和らげてやろうと思ってな。」

と、杉ちゃんがそう言うと、女性は、にこやかに笑った。

「ええ、ぜひ彼女にあげてください。私の人形が、そういうことに役に立つなら、それはとても嬉しいです。」

そういう彼女に、ジョチさんは、よろしければ名刺か何かありませんか、と彼女に聞きいた。彼女は、人形と一緒に、名刺を渡した。その名刺に電話番号が書いてあって、名前を、人形作家村瀬典子、と書いてあるのだった。

「ありがとうな。きっと、岸久美子という、女性が、お前さんのところに連絡してくると思います。そうしたら、そいつの話を思いっきり聞いてやって、気持ちを楽にできるようにしてやってくれ。」

と、杉ちゃんに言われて、女性は、はい、わかりましたとしっかり頷いた。やっぱり同じことをやっている人にまさるものは無いですね、とジョチさんはちょっと苦笑いした。杉ちゃんは、村瀬さんから、受け取った人形をしっかり持って、ありがとうなと言いながら、公園を出ていった。ジョチさんもじゃあありがとございましたと言って、公園を出ていった。

「村瀬さん、ありがとうございます。僕はやっぱり、こういう人と人を結ぶやくをやるのがいちばんいいな。そういう役の人間ってなかなかいないからな。おせっかいだっていわれたっていいさ。それがだいじだよ。」

と、言いながら、また道路を移動していく杉ちゃんに、ジョチさんは、車椅子に乗っている杉ちゃんだからこそできるのかもしれませんねと言った。そういう事は、普通の人にはできないのかもしれなかった。









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白紙 増田朋美 @masubuchi4996

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