第36話『妖精のトンネルと旅の終わり』

 リクは座り込んでしまっているヘテの隣にしゃがんだ。

「妖精の “トンネル” ってね、遠くに一瞬で行ける、魔法の道のことなの」

「魔法の道? 」

「そう」

 リクはうなずいて、進行方向へ手を伸ばして見せた。目の前には、馬を繋いでいる大きな木があった。

「ねえ、ヘテ。私、あの木の向こう側に行きたいんだけど」

「そんなこと──」

「できるよ! ちょっとだけ想像してみてくれるだけでいいんだよ。あの木の向こう側。どんな風景が見えるのか。道を作ろうだなんて、大それたこと考えなくていいんだよ。ただ、ヘテが、思えばいいだけ! “向こう側に行きたい” って! 」

「向こう側に、行きたい──」

 ヘテは ゆっくり言葉を繰り返すと、「やってみよう」と首を大きく上下させた。

 妖精は立ち上がると、大木に向かって言葉を唱えた。

「ワタシは向こう側へ行きたいんだ。木の向こう側。ソジュン君やリクちゃん。そして、ここまでワタシを乗せてくれた この可愛い馬と共に。ワタシは先ず、木の向こう側へ行かなくてはいけないのだ! 」

 すると目の前の何も無い空間が、円形に、白く光った。丁度、馬が入って通れるくらいの大きさの物だ。

 白く光った円は次の瞬間には淀みだし、真っ黒な渦となった。

 ソジュンもリクも、その穴には見覚えがある。

「“妖精の輪” だ」

「まさか、本当にできるだなんて! 」

 ふたりは目を真ん丸にしていたが、それよりも もっと驚きの色を見せていたのは、当のヘテだった。

 「な、何だ、これは⁉ 」と今にも腰が抜けてしまいそうだった。

 3人が輪の前で ボー としていると、連絡石から キンキン 声が鳴った。

「ボンヤリ してないのよ! 輪を通って! そうしないと、いつまでも輪は消えないんだから! 関係ない人間に輪の存在が知られたら大変じゃない! 」

「そ、そうなの⁉ なら、早く行かなくちゃ! 」

 ソジュンとリクは馬の手綱を取ると、さっさと、ヘテが開いた妖精の輪の中に突入した。

「ソジュン君! リクちゃん! 」

 真っ暗な輪に吸い込まれてゆく ふたりと馬たちに、ヘテは顔を真っ白にして、右往左往していたが、すぐに、木の向こう側から、声が聞こえた。

 リクの声だった。

「ヘテ! 大成功だよ! ちゃんと繋がってる」

「だから、ヘテさんも安心して、通って来てください! 」

 ヘテは勇気を出して、一歩を踏み出した。


「本当だ! 」

 ヘテは目を パチクリ させて言った。

「あの木の向こう側に出たぞ! 」

 ヘテは興奮しきった口調で言うと、通り抜けてきた大木の方を向いた。妖精の輪が、まるでお風呂の排水溝に吸い込まれるかの様に、黒い渦を巻きながら、小さくなっていっていた。

「ワタシは できたんだ! 」

「凄いですよ、ヘテさん! 」

「その調子だよ! 」

 ソジュンとリクが、おだてると、ヘテは すっかり得意になった。

 鼻の穴を膨らませ、胸を大きく張ると、「よおし! 」と気合を入れた。

「このままテーベまで送り届けよう! ワタシにもできることがあったのだ! 」

 ヘテは目を閉じ、「テーベの街、テーベの街……ワタシが育った、偉大なる街」と唱え始めた。

 すると前方に、さっき出現したのと同じ、大きな光の輪が現れた。光の輪は淀みだし、暗黒の渦へと変わる。

「行こう、皆で! 」と、リク。

「長い旅を終わらせるのだ! 」と、ヘテ。

「そして帰りましょう、温かい、仲間のもとへ! 」

 ソジュンたちは、穴へと飛び込んだ。


 長い 長いトンネルを真っ逆さまに落ちていく感覚が、全身を襲う──……


 気がつくと、ソジュンたちは深い林の中に立っていた。

「ここは──」

 馬の手綱を持ったまま、ボンヤリ と左右を見渡すソジュンの肩を、リクが叩いた。

「見て、ジェイ、あれ! 」

「あれ? ああ! 」

 ソジュンたちを囲う木よりも、更に高くそびえ立つ建物が そこにあった。

 見間違うはずがない。あれは、この旅の出発地点。そして終着点でもある、裁判所だった。

「先程、ソジュン君の持つ ”不思議な石” が、他の人間の目につくと危ないと言っていたから、視界をさえぎれる場所に《妖精の近道トンネル》の出口を置いてみたのだ。上手くいって安心した」

「ヘテさん! 」

 ソジュンは、ヘテの手を取って、涙を浮かべた。

「ありがとうございます! 本当に、僕は、帰れない所でした。ヘテさんがいなかったら──」

「止してくれ。そもそも、君を巻き込んだのは、ワタシじゃないか。それに、まだジェラーからの試練が終わった訳ではない。ほら、もうすぐ日の入りだ。早く裁判所に駆け込まなければ、君の苦労も、そして君の仲間の努力も全て水の泡だ! 急ごう」

「はい! 」

 ソジュンたちは建物に向かって走り出した。手綱を引かれている馬も、ソジュンたちの快挙に喜んでいるらしい。ピョンピョン と楽しそうに歩幅を合わせている。

 生きてきて、こんなに充実した瞬間は無かった。

 林を抜けると、街の人たちがソジュンを笑顔で出迎えてくれた。

「“特別な子が帰って来たわ! ”」

「“奇跡の子だ! ”」

「“早く、早くジェラー様の所へ! ”」

「“皆、道を開けてやるんだ! ”」

 ヘテから訳される言葉たちに、ソジュンの目からは、涙が流れ落ちていた。

 でもこれは、ソジュンが浦島太郎だった頃の、寂しいものではない。ソジュンは確かに、変わったのだ。


 裁判所の入り口には、ジェラーの部下、ネヘトの姿があった。

「“よくぞ お戻りになられました。さあ、馬はこちらへ。中で ご友人が お待ちです”」

「ありがとうございます」

 ソジュンたちは、心優しい軍人に深く礼をして、先へ急いだ。

 だいぶ日も傾いた裁判所の中は、数十本の松明で煌々こうこうと照らされていた。まるで昼間の太陽の様な明るさだ。

 市民は皆、外に出されているらしい。

 部屋には、“川の民” の村で別れたレア、“砂漠の民” の町で別れたアダム、そして、“言葉を持たぬ民” の集落で別れたニックが、それぞれ獲得した《物》を前に、椅子に座っていた。そして。

「ディン! 」

 ヘテが明るい声を上げた。

 レアの膝で、ミイラになったヘテの愛猫、ディンが気持ち良さそうに喉を鳴らしていたからだ。

 従業員たちは、ソジュンたちを振り返り、涙ぐんだり、拍手をしたり、頷いたりしている。

 その、温かい彼らの向こうには、自称 上エジプトの王、ジェラーの姿が見えた。

「待ちくたびれた」

 裁判長の椅子に だらしなく腰掛けるジェラーは、ニヤニヤ と笑ってそう言った。

「それで、《最後の願い》は、持って来ただろうな? 」

「これです」

 ソジュンはジェラーへ近付くと、“要塞の民” の町で手に入れた、《空気の様に軽い枝》を、彼に手渡した。

「町の長を決める試練に、お前が挑んだようだな」

 枝を受け取るなり、ジェラーが尋ねた。

「はい」

「そうか──」

 ジェラーの黒い瞳が、ソジュンを見つめて、ギラリ と光った。

「随分と、実のある旅をしたみたいだ。顔つきが変わった」

「はい。僕の人生を、大きく変えた旅でした。勿論、いい方向に、という意味です」

 ソジュンは どっしりと言うと、目つきの悪い王に向かって、同じ様に ニヤリ と笑って見せた。

「素晴らしい旅を、ありがとうございました」

 ソジュンの言葉に、ジェラーは一瞬 目を丸くして、すぐに、ゲラゲラ 豪快に笑い出した。

「お前は面白い奴だ! 気に入ったぞ! 」

 背凭せもたれに身を投げ出したジェラーは、しばらくの間、そうやってもだえていたが、「はあ、最高だ」と息を吐き、入り口に向かって指を鳴らした。

 すると、入り口に、ネヘトが現れた。

「“お呼びでしょうか”」

 従順な軍人は、その場に膝をついて、主人の命令を待つポーズをした。

「“この者に羽織る物を持って来てやれ。随分と勇ましい恰好をしているからな。夜は冷える”」

「え? あっ! 」

 その時初めて、ソジュンは、自分の上半身がき出しのままだということに気がついた。ソジュンは顔を真っ赤にさせた。

「“こちらをどうぞ”」

「ど、どうも」

 仕事の速いネヘトから差し出されたマントを着たソジュンだったが、リクたちが悪戯いたずらっ子の様に笑っているのに気がつき、更に顔を熱くさせた。

「ひ、必死だったんですよ! それにしても、リクまで笑わなくたっていいじゃないか! 」

 ソジュンは訴えたが、その情けない声に、ヘテやジェラーも含め、裁判所中が、笑いに包まれた。


 約束通り、試練を乗り越えたソジュンは解放されることとなった。

「その前に」

 ジェラーはソジュンたち一行を引き留めた。

「たった5日間と言えど、長く辛い旅だったに違いない。どうだ? 俺の家で食事でも」

 ジェラーの誘いに、一行は顔を見合わせたが、すぐにソジュンが前に出た。

「ええ、是非。お聞きしたいことがあるんです」

 ソジュンの言葉に、アダムが「“お聞きしたいこと”? 」と首をかしげた。

 一方でジェラーは、この言葉を待っていたようだ。例の ギラリ という目で笑った。

「ああ、俺も、お前たちに話しておきたいことがあるんだ」

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