第35話『落ちゆく太陽と時間制限』

 灼熱しゃくねつの世界を、ソジュンたちは ひたすら走り続けた。

 目指すは、約束の地、テーベだ。

 心強いのは、左手にナイルが形成する緑豊かな道が見える所だ。人間の息が感じられる。

 ソジュンはウルへから受け取った壺をリクたちにも投げ渡すと、ゴクゴク と喉を潤した。

 日没まで、あと3時間。本当に辿り着けるだろうか?

「いや、絶対に辿り着いてみせる! 僕は大好きな皆と、汽車に帰るんだ! 」

 ソジュンは弱気になりそうな自分にかつを入れた。

 どうやら馬も、ソジュンの気持ちに気がついたみたいだ。後ろ足で強く地面をると、さっきよりも早く駆けた。

「ありがとう、馬さん。街に着いたら、たっぷり水も食べ物も与えよう。きっとネヘトも君たちを誇りに思ってくれるに違いない」

 たてがみでられ、馬は更に加速した。


 代わり映えのしない景色。容赦なく暮れてゆく太陽。

 ソジュンは水分不足と腹ペコに、ズキズキ する頭を抱えていた。

 馬の足の速さも、だんだん落ちてきてしまっている。振り向くと、リクたちの方も、よだれを垂らして フラフラ だ。

 これ以上走らせれば、命に係わる。

「辛いよな」

 ソジュンは、それでも走ろうとする馬の手綱を引いた。「止まれ」の合図だ。

「頑張ったね。ありがとう」

 馬は その指示の意味を理解するのに、少し時間を掛けたが、ようやく、足を止めた。

「ジェイ? 」

 リクが か細い声を掛けて来る。彼女も、この暑さに参ってしまっているみたいだ。

「休憩しよう」

 ソジュンは馬から降り、リクたちに言った。

「休憩、できるの? まだテーベは見えないよ? 」

「するしかないよ」

 ソジュンは言った。

「この暑さじゃ、皆 持たない。このまま強行したって、途中で倒れるのが落ちだ。何より、この何にもない砂漠だ。行き倒れになったとして、誰も気づいてはくれないよ」

 でも、と言い掛けたリクだったが、ゼエゼエ と首を上下させている馬を見下ろして、「分かった」とうなずいた。


 人気が無い、木が密集している場所に馬を移動させ、バケツに水を注いでやった。2匹は一瞬にして それを飲み干した。ウルへから貰った野菜も幾らかあげた。やはり、2匹は ペロリ と平らげた。

「相当、お腹が空いてたんだね。頑張ったね」

 リクは口角を上げて馬の横腹を コチョコチョ 撫でたが、その目は全く笑っていなかった。

 ヘテも草の上に座り込んで、うつむいている。

 そう、間に合う為には、ここで立ち止まっては駄目だったのだ。ソジュンも そんなことは分かっていた。本当なら、無理にでも進まなくてはいけなかった。

「リク」

 ソジュンに呼ばれて、リクが振り返った。

「どうしたの? 」

「リク、どんなに時間が掛かろうが、僕は君をテーベまで送り届けるよ。約束通り、きっと皆さんも そこに いる」

「送り届ける? どういう意味? 」

 リクの表情が曇った。

「その言い方、まるでジェイは汽車に帰れないみたいだよ」

「帰れないよ」

 ソジュンは穏やかに答えた。首を横に振るリクに、もう一度、「帰れない」と言うと、話を続けた。

「リクも分かっているはずだよ。もう帰れないんだ。でもね、僕は迷わなかった。自分の決断が正しいって確信が持てたんだ。だからリクは、皆と一緒に帰って欲しい。僕の目を見て。言葉を信じて。僕の心に迷いも後悔も無い。あるのは、僕は やり切ったんだという充実感だけだ」

「嘘だよ! 」

 リクは顔をしわくちゃにして怒鳴った。首を大きく横に振って、「嘘だよ、嘘だよ」と繰り返した。

「嘘じゃないよ」

 ソジュンは目を伏せて言った。

「嘘じゃないんだよ、リク。信じて欲しい。僕はリクに帰って欲しい」

「嘘だよ! 」

 それでもリクは受け入れたくないみたいだ。とうとう子供の様に ワアワア と声を出して泣き出してしまった。

「困ったな」

 ソジュンとリクが言い合っている間、ヘテはというと、ジブンの両手を ジッ と見つめていた。ブツブツ と、何かをつぶやいている。

「ワタシには何ができる? ワタシには何ができる? 」

「アンタは道を開けられるじゃない! 」

 どこかから声が響いた。

 ソジュンも、リクも、ヘテも、ビックリして動きを止めた。

「《月の道化師ロリアレット》! 道を開くのよ! 何も無いところから《妖精の近道トンネル》を開通できるのはアンタしかいない! 道を開くの! 」

 ソジュンの物でも、リクの物でも、勿論、ヘテの物でもない、キンキン と甲高く響く声。ソジュンのポシェットの中から聞こえてくる。

「この声──! 」

 涙をほおに貼りつけたままリクが言った。

 聞き覚えがある声だ。それはソジュンも同じだった。

「リーレルさんの声だ! 」

 汽車の天井に住むピクシー、リーレルの声だった。しかし何処から?

 ソジュンには、その答えが分かっていた。

「“連絡石れんらくせき”からだ! 」

 汽車を出発する時に、指揮官のアントワーヌから渡された、エメラルドグリーンの宝石を取り出した。

 思った通り。輪っかに切り取られた中央が白く輝いていた。対になっている連絡石と繋がっているからだ。

「リーレルさん? 」

「あら、ジェイね。その時代で うろついていたピクシーたちから聞いたわ。アンタに あんな勇気があるなんて思わなかったわ」

 おしゃべりな妖精は、ペチャクチャ と生意気な口をきくと、話の矛先を地面にうずくまっているヘテに向けた。

「そこにいるんでしょう、《月の道化師ロリアレット》! 今こそアンタの出番よ! 《妖精の近道トンネル》を開きなさい。テーベまで開通するのよ! こんな短い距離、アンタなら簡単に完成させられるでしょう! 」

「《妖精の近道トンネル》? 何だ、それは? 」

 ヘテは キョトン としてしまっている。

 《妖精の近道トンネル》とは、その名の通り、妖精たちが利用しているトンネルのことだ。ただ ひと言に “トンネル” と言っても、山や地面に穴を掘る訳ではない。この世にある、歪みの無い完璧な円形、通称 “妖精の輪” をくぐることによって、他の所にある “妖精の輪” に出ることができる。つまり、SF作品で言う、ワープを することができるのだ。

 汽車に住む おしゃべりピクシーのリーレルによると、《月の道化師ヘテ》たち力の強い妖精には、他の妖精には無い、特別な力があるらしい。

「《月の道化師ロリアレット》はね、“妖精の輪” が無くっても、《妖精の近道トンネル》を作る能力を持っているのよ。ジブンの望む所に入り口を作って、出口も開けられるの! それを使えば、テーベなんて すぐじゃない! 」

 だから《月の道化師ロリアレット》! 今すぐに《妖精の近道トンネル》を開きなさい、そしてジェイたちをテーベに送り届けるのよ! と、リーレルは キンキン と言った。

 しかしヘテは いまいち ピン と来ていないらしい。「早くしなさい! 時間が無いわ! 」と急かすリーレルの声に、にじり寄った。

「ま、待ってくれ! 何が何だか──自慢では無いが、ワタシは つい5日前まで、ジブンが何者かも分かっていなかったのだ! それが、突然、妖精だなんて言われて、実感が無いままに今に至るのだ! それなのに、今度は《妖精の近道トンネル》を開通させろ、だって⁉ “トンネル” という言葉さえも全く想像がつかないのに、どうしてワタシに作れるっていうんだ⁉ 」

「そう言われれば」

 ヘテの言葉をリクに伝えて、ソジュンは「むむむ」と腕を組んだ。

 連絡石の向こう側にいるリーレルは、「他の妖精に教わらなかったの⁉ 」と言い掛けたが、ヘテが妖精として誕生してから、ずっと墓の中にいたのだということを思い出して「どうしましょう」と声を細めた。

「しかしワタシが、その、《妖精の近道トンネル》とやらを作れない限り、ソジュン君は助からないのだろう⁉ い、一体どうすれば──」

 ヘテが焦るのも仕方が無い。もう、太陽は西の空に浮いているのだ。カレの言う通り、《妖精の近道トンネル》を作る以外に、ソジュンは助かる術はない。

「ワタシは、何の為に妖精としてよみがえったんだ! ソジュン君に墓泥棒として、一生の罪を押し付けることになるなんて! 」

「もう、役立たず! いちばん泣きたいのはジェイのはずでしょう⁉ なげいてても何も変わらないじゃない! 」

 リーレルが、メソメソ するヘテを叱り付けた時だった。

「ねえ、ヘテ。私の話、聞いて」

 ひとり黙って考え込んでいたリクが、口を開いた。

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