第32話『傍観者と窓』

 見える世界は全て蚊帳の外だった。

 蓮の中の形をした提灯ちょうちんたちは、絶え間なく右から左へと流れてゆく。


 僕はその光景を、窓の向こう側から、ただ見下ろしていた。


 僕は自分の見る世界について、一向に変だと思ったことは無い。僕は生まれて この方、ずっと この景色の中で過ごしてきたのだし、言ってしまえば個性の ひとつの様な感覚だった。

 しかし それは僕個人の主観であって、他人が僕を見て どう思うかが、いちばん重要なところだ。

 僕は幾度となく自分の平凡さを その人たちに説いてきたが、その人たちが僕と言う先入観を持つ中、まともに取り合ってくれるはずも無かった。


 僕は物心ついた時から、妖精やら妖怪、幽霊が見える。

 そいつらの話し声が聞こえる。言葉が分かる。


 5歳だった ある時、そいつらは箪笥たんすの上の物を床に ひっくり返そうとしていた。今 思い返せば、ゴブリンの家族だったのだと思う。僕は ジッと そいつらを眺めていたが、そいつらは、まるで僕が見えていない様だった。

 僕のことを「チンチクリン」だの「間抜け」だの、散々 悪口を言っていた。

「このチンチクリンの頭の上に裁縫箱を落としてやろう。きっとビックリして泣くよ」

 そいつらの1匹がそう言うから、僕は、「そんなことしちゃいけないよ。僕は きっと大泣きして、お母さんが すぐに お前らのこと追い出しちゃうから。この家にいたいのなら、そんなことしちゃいけないよ」と説得した。

 そうしたら、そいつらの方がビックリしたみたいで、影の中に消えて行った。


 しかし、ビックリしていたのは、ゴブリンたちだけではなかった。


「坊ちゃま、どなたと お話されているのですか? 」


 僕の両親は本当に忙しい人たちで、幼かった頃の彼らの記憶と言ったら、仕事部屋から時々 聞こえてくる音ぐらいでしかなかったほどだ。

 だから勿論、僕の家には「お手伝いさん」と呼ばれる人が何人かいて、僕の生活態度なんかを厳しく監視していたのだ。


 僕は、僕とゴブリンとの会話を、いちばん聞かれてはいけない人に聞かれてしまった。

 お手伝いさんの中でも、ひと際 厳しい “パク” さんだ。

 パクさんは白い長い髪の毛を、いつも後頭部で器用に八の字にしている お婆さんで、僕にだけでなく、他の お手伝いさんにも酷い指導をしていた。口答えをすると、ほうきで叩かれるのだ。

 しかし両親の前では気の利く お婆さんに早変わりで、僕が どれだけ文句を言おうと、「あんな好い人がソジュンに手を? そんなのあり得ない! 」と呆れられるだけだった。

 僕の両親は、少々他人を信用しすぎるっていう、欠点があった。


 パクさんは僕が箪笥に向かって話し掛けていたのを両親に伝えたらしい。次の日、僕は母の待つ書斎兼仕事場に呼ばれた。

「きのうパクさんから聞いたの。箪笥と お話していたんですって? 」

「箪笥じゃありません。その上に乗っていた小人と お話していたんです」

 僕が答えると、母は ニコニコ と笑った。きっと、僕が冗談を言っているのだと思っていたみたいだった。

「貴方の お父様もね、よく心の中に天使と悪魔がいるって仰るのよ」

 母は僕の頭を撫でた。

「本当のことを言ってちょうだいね。お友達が遊びに来たのを隠していたんでしょう? ソジュンは毎日、言われた通りに お勉強してる良い子だって、母さんは知っているわ。だから お友達が来ていたのなら、ちょっとなら、お家で遊んでいて大丈夫よ。母さんが許すわ」

「違うんです。僕は、本当に小人と話してたんです。箪笥の上にいて、僕の頭の上に裁縫箱を落とそうと企んでたんです。だから僕は、そいつらに止めるように忠告してやったんです」


 それからというもの、家の人の僕に対する態度が一変した。

 れ物を扱う様になり、何度も病院に連れて行かれた。精神科の病院だということは、嫌でも分かった。

 お医者さんに見て貰っている間も、僕には “小さなトモダチ” が見えていた。

 ゴブリンたちが、僕の問診をしているお医者さんの白衣を、椅子の足に絡ませようとしていたのを注意したのが不味かった。お医者さんは足元を キョロキョロ 見回すと、問診票に何かを書き付けた。

「何か居たのかな? 」

「はい、小人が そこに。お医者さんに悪戯いたずらしようとしてたので、注意したんです」

「そうなんだ、ありがとうね」

 お医者さんは笑って言ったけど、その夜から、僕は、酷い眩暈めまいを起こす薬を飲まされるようになった。


 小学校への進学も、いつの間にか無くなっていた。

 僕の家には、お手伝いさんの他に、家庭教師が出入りする様になった。

 同い年の友達なんてできなかった。まともに話をしてくれる人間さえいなかった。

 その代わり、僕は一層、妖精たちに のめり込んで行った。カレらも、孤独な僕に、だんだん心を開いてくれるようになった。

 でも僕と妖精の距離が近付くのに反比例して、家の人たちとの距離は離れて行った。

 薬の量は年々増えてゆき、ベッドから起き上がれない日も増していった。


 僕はとことん、皆から必要とされなかったんだ。


 でも嘘を吐くのだけは絶対に嫌だった。

 何度聞かれても、呆れられても、僕は本当に妖精が見えるのだと主張した。図鑑を買ってカレらについての勉強もして、僕の見えている妖精たちの話を両親や、お手伝いさんに必死に説明した。

「ミンナ、僕のトモダチなんです。ここに書いてある妖精たちは本当にいて、僕たちの生活を見守ってくれている。ゴブリンたちを手懐けるのは大変でした。カレらはホブゴブリンたちより、ずっと頑固な性格をしていますからね。でも害は無い。信じてください! そんな目をしないでください! 全部 全部 本当のことなんです! 扉を閉めないで! お願いです! 」


 “認めて貰いたい” という欲が、いつしか僕を取り巻くようになっていた。

 僕という人間を認めて貰いたい。僕だって、皆と同じ人間なんだ。そんな目で見られる筋合いなんてない。


 僕は ただ毒でしかない薬におかされながら、必死に机にしがみついた。

 いちばんの大学に入る。そうしたなら、皆が僕を認めてくれるに違いない。僕の話を真剣に精査してくれるに違いない。

 例え指に胼胝たこができようが、体が痙攣けいれんしてこようが、疲れの為に失神しようが、ストレスの為に胃に穴が開こうが、吐血を繰り返す日々だろうが、僕は何が何でも勉強をし続けた。


 僕は、国で いちばんの大学に行く資格を手に入れた。


 それでも、皆の目は変わらなかった。


 僕が小学校から今まで、学校に登校したことが無いということで、学校側から面談を要請された。僕は快く「はい」と返事をした。

 家族はオンラインでの面会を希望したが、僕は それを拒否した。


 12年ぶりに感じる、外の景色──完璧に洗浄された室内とは違い、喉を チリチリ させる少し濁った空気も、全てが新鮮だった。

 普段なら運転手に車を操縦させていた母だったが、その日は彼女自身が、運転席に座った。

「いつの間にか自動操縦になってたんだね」

「ええ。随分 前にね。貴方はまるで──“浦島太郎” ね」

「“浦島太郎” ? 」

「日本の物語なの。亀を助けた浦島太郎は、遥か海の底にある お城に案内されるのだけど、いざ元の世界に戻って来たなら、世界が一変していたというお話よ」

 僕は窓の外を横切って行く景色に、涙を流した。


 大学の学長は、僕の話を興味深そうに聞いてくれた。

 「シャーマンの素質があるのではないか」と冗談を言われたりもした。

「僕なんかは、“厄介な患者” と言ったところでしたよ。何回かお世話になりましたが、その度に申し訳ない気持ちにさせられます」

 僕が言うと、学長は愉快そうに笑った。

 僕は彼から すすめられた紅茶を飲み、ケーキも食べた。

「うちでも妖精の講師を雇うことにするか」

 学長は また冗談を言って、後ろに控える先生たちを笑わせた。

 僕らは握手をして別れ、「これから よろしく」と挨拶し合った。

 

 数日後、大学からメールが来た。

 「今まで通り、オンラインで授業に参加するように」とのことだった。


 僕は社会からも拒絶された。


 残酷なメールは僕のプライドを ズタズタ に傷つけた。

 通販で まとめ買いした洋服を全てゴミ袋に投げ入れ、1週間は寝込んだ。

 そんな僕に人生最大の転機が訪れたのは、丁度その頃。


 その夜は、特別に静かな夜だった。

 いつもなら天井でピクシーたちが追いかけっこをして楽しんでいるのが、きょうは姿が見えない。他の妖精たちもそうだ。物音ひとつしない。完全な静寂に僕は違和感を覚えていた。

 すると、外から、子供たちの賑やかな笑い声が聞こえた。

「こんな時間に? 」

 窓から外を見下ろすと、大通りを、子供たちが行進してゆくのが見えた。

「何だ、あれは」

 それでも僕には すぐに、子供たちが生霊だということ、そして これが全て、力の強い妖精の悪戯いたずらだということが分かった。

 子供たちが歩く先頭に立ってたのは、妖精の男だった。

 玉蜀黍色とうもろこしいろの髪の毛、派手な青色のスーツ。人間と全く同じ姿形をしているけど、何かが、人間と大きく異なっている。

 異様な存在。

 初めて見る妖精だった。

「“砂の精”」

 僕の耳元で、ゴブリンがつぶやいた。ずっと陰に隠れていたのだと言う。

「夢を運んでくる妖精だ。ああやって、“子供たちの夢” を遊びに誘うんだ」

「いい妖精ですね」

「いい妖精⁉ まさか! まあ、偉大な妖精ではあるけどね。君は関わらない方がいいよ。“アイツ”、大人を とことん嫌うんだ。見ていることがバレたら、呪われちゃうかも」

 僕が窓から振り向いた、視線の先──……

「えっ」

 体中から、血の気が引くのが分かった。

 窓の向こう、子供たちを連れて歩いていたはずの青い男、“砂の精” が、そこに立っていたのだ。不気味な笑みを浮かべて。


『随分 不思議な子だね』


 “砂の精” は僕に言った。


『体は すっかり大人に見える。けど心は あの子たちと一緒。子供のままだ。何が君の魂をそんな窮屈な器に閉じ込めているんだい? 』


「“窮屈な魂”、ですか? 」


『僕の救いが必要なら、すぐに救ってあげよう』


 “砂の精” は そう言うと、僕の手を取った。

 恐怖のあまり逃れようとする僕を、“カレ” は離さない。身の毛のよだつ笑い声を立てるだけだった。


 暗闇の中を、真っ逆さまに落ちる感覚の後、目を覚ますと、そこは、汽車の中だった。

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