第31話『暁と告白』

 空が赤く焼ける。

 ソジュンは土手の上を仰ぎ見た。そこには、リクたち見物人と、町長ウルへの姿があった。

 ソジュンはマントを脱ぎてると、荒れる川を注視した。生き物の感じはしない。が、ウルへが忠告してくれた様に、ワニの気配がしないからといって、無暗に川に飛び込んではいけない。

 ナイルは彼らの、わば、家だ。


「“君も見ず知らずの人間が断りも無く家の中に入ってくるのは嫌じゃろう。ワニを怒らせてはならん。捕まえる ギリギリ まで、気づかれんようにするのじゃ。自らがえさになるようではいかんぞ”」


 あと数分で辺りは真っ暗になるだろう。

 川の中が彼らの家なら、夜の川辺は彼らの庭だ。

 時を待った方がいい。そう判断したソジュンが土手まで上がろうとすると、近くで情け無い悲鳴が響いた。

「ひいっ! 」

 振り返ると、そこには、草むらに うつ伏せになったヘテがいた。

 どうやら何かにつまずいて転んでしまったらしい。

「大丈夫ですか? 」

 近寄ると、未だ地面に腹をつけたままの妖精は、ブルブル 震えて足元を指さした。

「ソ、ソジュン君!あ、あれを──」

「どれですか? あっ! 」

 ヘテが指し示した物を見て、ソジュンも顔を青白くした。

「人骨だ──頭蓋骨、骨盤、太腿……」

 腰まで伸びる草の中、茶色く汚れた骨が、そこにはあった。

 これが、試練に挑んだ者の末路なのだろうか?

 考えが過り、腰を抜かしてしまいそうなソジュンの体を受け止めたのは、さっきまで無様に突っ伏していたヘテだった。

「大丈夫だ、ソジュン君」

 中年の妖精は、恐怖に震えるソジュンの背中を、震える手でさすりながら、不器用に笑ってみせた。

「もうすぐ日が暮れるな。これからは危険な時間らしい」

「ええ、ワニは夜行性ですから」

 ソジュンの為に平常心を保とうとするヘテに、ソジュンも、やっと気持ちを落ち着かせた。

「それを知らせに? 」

「そうもあるんだが、ソジュン君だけに背負わせるのが、なんというか、心苦しくてな」

 ヘテは モジモジ と言った。

「リクは? 」

「リクちゃんは──」と、ヘテは困った顔でうつむいた。「ずっと黙りこくったままだ。ウルへさんが隣で励ましてくれているのだが、頷きもしないといった様子でな。パンを すすめても、ビールを すすめても、ひと口も食べてくれない。すっかりウルへさんも参ってしまっている」

「そうですか、それは困りましたね」

「君が心配で堪らないらしい」

 ヘテが ここに来たのは、リクの不安を和らげる為でもあるのか、と、ソジュンは納得した。

「どうやって、ワニを捕まえるつもりなんだ? 」

 濁ったナイルを見下ろして、ヘテがソジュンにたずねた。

 ソジュンは首を横に振った。

「まだ何も決められていません。ただ、僕は見た通り力が弱いですし、スポーツを してきたという訳でも ありません。何か対策を考えなければ、確実にあの世 きでしょうね」

「そ、そんな不吉なことを言うな」

 ヘテは苦笑したが、ソジュンは至って真面目だった。

「現実問題、そうでしょう。奇跡なんて望んではいけません。きちんと対策を練って、確実に実行すべきです」しかし、と、ソジュンは眉をひそめた。「その対策が、点で思いつかない──鉄のおりなども無いですし、代わりのかごを作るにしても、材料がありません」

 太陽は いよいよ、その一生を終えようとしている。

 それを見上げて、ソジュンは川べりに走った。

「ソジュン君⁉ 」

 ヘテが後ろから追ってくる。

 土手から転げ落ちる格好で川べりに着いたソジュンは、何かを拾い上げると、いつくばる様に また駆け上った。

「ソジュン君! 」

ヘテはソジュンの突発的な動きに振り回されて、息を上げていた。

「どうしたんだ、ソジュン君! 」

「すみません」

 ソジュンも、肩を上下に揺らしていた。

「これを、持っておこうと、思いまして」

 そう言って、拾った物をヘテに見せた。

「儀式用のマント? 」

「ええ、そうです。僕が持っている道具は これだけなんです」

 ソジュンが掛けてきたポシェットは、試練の規則により、認められなかったのだ。今はリクが大切に預かってくれている。

「ポシェットには、果物用ではありますが、ナイフも入っていました。救急用に包帯も入っていましたし、スプレーだってありました。しかし今の僕は、このマントのみです。しかし、このマントが役に立つでしょうか? 」

 悩んでいると、遠くから、ウルヘが呼ぶ声が聞こえて来た。

「何て言ってますか? 」

「“水分補給をしてはどうだ” とのことだ。ワタシも彼の意見に賛成だ」

「そうですね」

 ソジュンも頷いた。


 ウルヘがこしらえてくれていた焚火の熱は、凍える砂漠の夜にとっては、オアシス同然だった。

 温かい火の前で、リクは未だに表情を曇らせたままだ。

「“本当に食べないのかな? ”」

 ウルへは焼き魚をリクに差し出したが、彼女は ムスッ としたまま、首を大きく横に振った。

「食べたほうがいいよ」

 ソジュンも すすめても、リクは、「ジェイが食べられないんなら、私も食べない」と言って、くちびるを尖らせた。

「そんなこと言ったって、僕がワニを捕まえるまで、どれぐらい時間が掛かるか分からないんだよ? 腹ペコで死んじゃうかも知れない」

 ソジュンが言い聞かせても、リクは、「ソジュンが腹ペコで死んじゃうんなら、私も そうする! 」と首を振るだけだった。

「どうしたものか──」

 ウルへと顔を見合わせていた時、川の方から、ザプン と波打つ音が聞こえた。

「“ワニじゃ”」

 ウルへが言った。

「ワニ? 」

「“そうじゃ。動き出したんじゃ。これから君が戦う相手、よく目を凝らして見るがいい”」

 促されて、ソジュンは立ち上がった。

 ずっと下方を流れる川の波に、黒く、ギザギザ した物が紛れ込んでいた。

 ワニの背中だ!

 ソジュンは思わず、体を強張こわばらせた。

「この場所は、大丈夫なんでしょうか? 」

 尋ねると、ウルへは、「“大丈夫じゃ”」と、ゆったり答えた。

「“あいつらは火を怖がる。それに、こんな急な土手の上じゃ。足が滑って、ここまで上がって来るのに時間も掛かるじゃろう”」

「なら、良かったです」

 ソジュンは、リクを見下ろして、ホッ と息を吐いた。焚き火に照らされた彼女は、ソジュン以上にワニを恐れている様に見えたからだ。

「ジェイは、あんなのを捕えようとしてるの? 」

 小さく膝を抱えていたリクが言った。

「うん」

 ソジュンが頷くと、小さな彼女は わっ と泣き出してしまった。

「ジェラーは意地悪だよ! こんな、死んじゃうかも知れない試練を出すなんて! 武器も何も持てないジェイに、どうやって あの動物を捕えろって言うの! 」

 ジェラーは馬鹿だよ!リクは 叫ぶ様に言って、うずくってしまった。

「リク──」

 ソジュンは、泣きじゃくる少女の側に そっと腰掛けた。

「あのね、リク。僕はね。変だと思うかも知れないけど、もしかしたら不謹慎ふきんしんなことかも知れないけど、僕は、ジェラーさんに感謝しているんだ」

「感謝? 」

 リクが涙で濡れた顔を上げた。

「うん」

 ソジュンは優しい顔で笑った。

「ニックさんに言われたんだ。“この旅は、不幸な偶然から始まったのかも知れない。だけど、僕が乗り越えていく上で、必要なことだと思う” って。言われた その時は、意味を全く理解できなかったけど、けど、今なら分かるよ。この旅は、そして この試練は、僕のこれからの人生において、大切な旅なんだ」

 ソジュンは、ウルへの方に顔を向けた。

「ウルへ町長。試練についての会議は行いません。ただ、彼女に話をしたいのです。よろしいですか? 」

「“本当は駄目だ、というところなんじゃが──”」

 ウルへは、微笑んで、頷いた。

「“わしも、この子が心配でな。安心させてやってくれんかの”」

「ありがとうございます」

 ソジュンはウルへに頭を下げると、リクに向いて話を始めた。

「僕の昔話なんだけど、聞いて貰っていいかな? 」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る