第30話『決意と表明』

 ウルへはソジュンたちに、自分についてくるように言った。

「“さっきも言ったが、わしは こんなに優しい子たちに会ったことが無い。ぜひ、我が家で ご馳走ちそうを振る舞いたいのじゃが──”」

「ちょ、ちょっと待ってください! 」

 ソジュンは背中を向けるウルへを呼び止めた。

「僕たち、用事があって来たんです! 」

「“用事? 何かね”」

 ウルヘが振り返って尋ねた。

「僕たち、《空気の様に軽い枝》を頂きに来ました」

 ソジュンが答えると、柔らかい笑顔を浮かべていたウルへの顔が曇った。

「“枝を貰いに? 坊や、本当に言っておるのか? ”」

「はい、そうですが──」

 重たく聞かれた その問いに、ソジュンが恐る恐る答えると、ウルへの表情は、増々 険しいものになった。

「“坊や、その言葉を、分かっていて、そう言っておるのじゃな? ”」

「え、ええ、一応」

 うなずくと、年老いた町長は、「こちらへ来なさい」と、ソジュンの手を引いた。


 案内されたのは、町の突き当りだった。

 広場の奥に見えていた細長い通路は、何処まで行っても同じ風景が繰り返されていた。

 色も形も全く同じ建物が、両側に3軒ずつ並んだ次には、大きな木が1本生えている。その隣から、また統一された建物が3軒、その隣に木──

 その景色を4回、5回 通り過ぎて、ソジュンたちは、人気ひとけの無い、町の突き当たり。言うなれば、壁の角に着いた。

 そこには、角に ピッタリ はまる様に建てられた、小屋があった。

「さあ、入りなさい」

 2畳ほどの部屋1室で構成された、酷く狭苦しい空間だ。家具らしい家具は無く、部屋の奥に、ちょこん と丸太が置かれていた。

 ウルへはそこへ腰を掛け、ソジュンを見上げた。

「“すまないが、もう少し、離れてくれんかの”」

 座るウルへの膝にすねが当たってしまいそうな程の距離にいるソジュンに、老人は申し訳なさそうに言った。

「す、すみません──ちょっと」

 ソジュンは後ろを振り向いて、リクたちに下がる様に手で指示を送った。3人が ギリギリ 会話できる部屋に、人間の目には見えないヘテが、無理矢理入ろうとしていたのだ。

「私が出るのは不自然だよ。ヘテは外から通訳お願いね」

 リクから そう言われて、ヘテは ションボリ と出ていった。

 ウルへはソジュンに、「“どうも、ありがとう”」と言った後、「“さて”」と真剣な表情を向けた。

「“本題に入ろうかな。ここは何の家かって? それは、ほれ、坊やみたいな人間と、じっくり話す為の所じゃよ。わしも、坊や くらいの年の頃、町長に連れられ、ここへ来た。最近で、坊や以前に来たのは、鋭い目つきの男じゃったな。よく覚えておる。わしは、彼なら絶対に成し遂げられる、そう確信したのじゃ。つまり、何を言いたいのかと言うと──”」

 ウルへは溜息を吐いた。

「“この家は、試練を与える場所なのじゃ。坊やは先程、《空気の様に軽い枝》、それを獲得すること、それがどういう意味か分かるな、という わしの問いに、”分かっている” と答えたな”」

「ええ」

 ソジュンは頷いた。

「枝を受け取る為には、この町のおさになる試練を克服しなければならないんですよね? 」

 ウルへは、ソジュンの言葉に「“ああ、そうじゃ”」と答えた。

「“そして、この家での わしの役割は、立候補者に その試練を課すこと──”」

 老人は再び、溜息を吐いた。

「“最初に忠告しておくが、わしはな、坊や。君にはできんと思っておる。しかし わしは、名乗りを挙げた者 全てに、この試練を課さねばならん。そして試練を課された候補者は、誰の助けも求めず、たった ひとりで、この試練に立ち向かわなくてはならない。勿論、途中で辞めることはできん。それでも、君はやるか? ”」

 ウルへの灰色の瞳に見上げられたソジュンは、言葉を詰まらせた。

「“試練の内容を言った時点から、君に逃げ道は無い。成功させるか、失敗して死ぬかなのじゃ。いいや、成功したからと言って、五体満足で戻って来れるとは限らない。わしは坊やの優しさに、本当に感動したのじゃ。じゃから何度も聞く。それでも、やるのか? ”」

 ソジュンは視線の端に映るリクに意識を向けた。

 くちびるを噛み、目を大きく見開いたままで、ソジュンを見つめる彼女が見えた。

 背後に立つヘテも、息を荒くしているのが分かる。

 ソジュンは目を閉じた。この先、自分の口から出る言葉、それに自分自身が恐怖しているのが分かる。しかし彼が歩んできた この旅は、常に1本の道だった。常に失敗の恐怖と戦ってきたはずだ。失敗すること、それは彼にとっては死と同じ意味を持っていた。

 それなのに、今更になって、こんなに手が震えるのは何故だろう?

 ソジュンはまぶたを温めてゆく涙に気がついた。

「ジェイ? 無理なら、いいんだよ」

 リクの声が聞こえた。

「私がやるよ。ねえ、ウルへさん。私がやってもいいの? 」

 彼女の言葉を訳すヘテの声が聞こえた。消え入る様に言った後、全ての元凶になってしまった妖精は、「ワタシのせいで、申し訳ない。死んでも人に迷惑を掛け続けるだなんて──」と付け加えた。

 その時、ソジュンの瞼の裏に、明かりが灯った。

目を開いた。

 溜め込んでいた涙がほおを流れ落ちる。

「“決めたかの? ”」

 ウルへは優しい顔で目の前の青年を眺めていた。ソジュンの覚悟に気がついたのだ。

 ソジュンは大きく首を縦に振った。

「やります。試練の内容を教えてください」


 ウルへの後に着き、門に向かうソジュンたちを、町の人たちは不安な眼差しで見つめていた。ソジュンが羽織る青色のマントの意味を分かってのことだろう。

 このマントは、町長の試練に挑む者の証だった。

「“この子が町長の試練を? ”」

 すれ違った奥さんがウルへに小声で尋ねた。

「“この子なら大丈夫じゃ”」

 ウルへが奥さんの肩に手を乗せる。

「“坊主! 生きて帰ってくるんだぞ! ”」

 遠くから男がソジュンに叫んだ。

「この町の人たちは温かいね」

 ソジュンは、後ろを歩くリクに言った。

「そうだね」

 ウルへから試練を言い渡されてからというもの、リクの表情は ずっと曇ったままだ。


 門が開かれた。

 舟に乗り、連れてこられたのは、人里離れた河原だった。

 草木が好き勝手に伸びているところを見ると、滅多に人が近寄らない場所なのだろう。昼なのに薄暗く、不気味な雰囲気だ。

「“ここが、試練の場所じゃ”」

 ウルへが言った。

「“内容は──さっきも言った通りじゃ。ソジュン、君には、このナイルに生息するワニと戦ってもらう。生け捕りにし、わしが指定した場所まで連れてくる。それを ひとりでやるんじゃ”」

「はい」

 ソジュンはうなずいた。

「“この試練の監督は、現町長である わしじゃ。ワニを捕え、あそこにある木──”」

 ウルへは約50メートル先にある、幹に色取り取りの飾り付けがしてある大木を指した。

「“あの木まで、ワニを連れて行けたら、成功。君が死んだら失敗じゃ。猶予ゆうよは無限にあるが、試練の間、腹に入れていいのは水のみじゃ。開始時間は、そうじゃな──”」

 ウルへは夕方に向け、傾き続けている日を見上げて言った。

「“あの日が、我が村の見張り台を過ぎた頃にしよう。それまでの間、鱈腹たらふく 飯を詰め込むといい。ソジュン、わしはな、君のことを大変気に入っておる。じゃが これとそれとは別じゃ。試練の間は わしも心を鬼にせねばならん。そうやって、この町は歴史を繋げて来たのじゃ”」

「ありがとうございます」

 ソジュンは、涙を溜めてさとす老人に、深く、頭を下げた。

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