第6話『暗い孤独と赤い炎』
「ワタシは、テーベの外れにある小さな町で生まれ、生涯を、ファラオの為の墓を作るということに捧げた。ワタシが、というよりかは、その町に生まれた者の使命……そういうものだろうか。とにかくワタシは、物心ついた時には既に墓の建設に携わっていた」
「勤勉ですね」
ソジュンの相槌に、ヘテは、「いいや、皆が そうだったのだ」と首を振りつつ、どこか嬉しそうにしていた。
「ワタシは特に体の丈夫な方で、病気や怪我など、一切しなかった。それにワタシは疲れ知らず。仕事を休む時と言えば、妻が子供を産む時ぐらいで、それ以外の日は、毎日働きに出た。確かにワタシは君の言う通り、真面目な人間だった。ファラオの命令にも常に忠実。その態度や仕事ぶりが認められ、15歳の時には、町の まとめ役として任命された」
「それは、凄いですね」
ソジュンは、自分が15歳だった頃を思い浮かべて、肩を落とした。
「僕が同じ歳の時、そんなに しっかりしていませんでしたよ。いや、今も、ですがね」
「ほう」ソジュンの言葉に、ヘテは興味を示した。「ところで、君は、今 幾つだね? 随分 若い様に見えるけども」
「
「二十歳⁉ 」
ヘテは、ソジュンの言葉を繰り返して言った。小刻みに、首を左右に振っている。
その態度に、ソジュンは
「言いたいことは分かります。僕は昔から こうだったんです。頼りない、情けない人間なんです」
「頼りないということは否定しないが、決して情けなくはないだろう! 」ヘテの肉付きの良い手が、ソジュンの背中を叩いた。「何故なら君は、不気味なワタシとこうして、対等に話してくれている! 普通の奴らなら、驚いて逃げてしまっていただろう。“ミイラが動いている” ! とね」
そう言って、ヘテは豪快に笑うと、「それなら、ワタシが君と同い年の頃の話をしようか」と提案した。
「ワタシが20歳の年は、妻が死んだ年だ。19歳だった。背が低く、ワタシと違って体も弱かった妻だが、子供を4人も産んだ。5人目で、駄目だった。ワタシが この生涯で唯一愛した女性だった。妻が死んだ その日、ワタシは悲しくて 悲しくて、寝込むかと思った。が、案の定、ワタシは丈夫で、葬式を済ませると、仕事に出掛けた」
「ミャオンっ! 」
ヘテが、ボロボロ の腰布で涙を拭っていると、ふたりが囲う棺の上に、猫が飛び上がってきた。ソジュンをヘテの元に導いた、あのミイラ猫だ。
「あっ。キミ、何処へ行っていたの? 」
「ミャオンっ! 」
ミイラ猫は 元気に鳴くと、ヘテの腕に、腐敗した体を擦りつけた。カレは甘える猫を抱き上げると、「おお、ディンや。可愛いヤツめ」と
「その猫は、ヘテさんの猫なんですか? 」
ソジュンが聞くと、ヘテは、「ああ、そうだ」と頷いた。
「このコの名は、“ディン” と言って、妻が死んだ翌日に、家の前で拾ったのだ。今は、こんな可哀想な姿になってしまっているが、生きていた頃は、それは それは綺麗な猫で、まるでワタシの妻の様だった。だから、妻の名前をそのまま付けた」
な、ディン、と、ヘテが呼び掛けると、ミイラ猫は「ミャオン」と甘ったるい鳴き声を上げた。
「このディンは、妻の無念を晴らすかの様に、ワタシが死ぬ直前まで生きた。ワタシは子供たちに、ディンと一緒の墓に入れてくれる様、頼んで死んだ。恐らくそれが、ワタシの最期の言葉だ」
ヘテは、自分の足元にあった、小さな石の棺を持ち上げて、ソジュンに寄越した。そっと蓋を開けて見ると、強烈な臭いに襲われた。ヘテの棺とは違い、ディンの それには、しっかり “カノジョ” が入っていた。全身を包帯で丁寧に覆われた、猫のミイラだ。
「と、言うことは、そこにいるディンは、霊ですね」
「“
「ええ──……」ソジュンはヘテに頷くと、親指と人差し指で、自身の
「違うのだ」
ヘテは もう一度 言葉を繰り返した。ディンの小さな棺を
「ワタシはワタシが分からないんだ」ヘテは続けた。「君は、何処か遠い国から来たのだろうか? 君の国では、どうしているのかは分からないが、一様にして、人は死んだあと、死後の世界で目覚めることになっているだろう? しかしワタシは、そこで目覚めることができなかった。誤って、生前の世界で目覚めてしまった! 」
ヘテ
カレより先に あの世へ旅立った仲間たちの仕事に混ざるのも悪くはない。あの恐ろしい先代の まとめ役に
胸は高鳴るばかりだった。しかし、仕事場にいたのは、きのうまで一緒に仕事をしていたメンバー、そのままだった。
「ど、どういうことだ⁉ 」
ヘテは最初に、彼らが自分と一緒に死んでしまったのかと考えた。が、そんなこと、あり得るだろうか?
だが、ここに彼らがいるのは事実だ。ヘテは彼らに近付き、いつもと変わらない挨拶をした──無視。
「皆、どうしたことか、ワタシを見ようとしない。どんなに話し掛けても、点で反応を示さない。まるで、ワタシなんていないかの様に! 」
そこでヘテは、体を揺すって見ようと試みた。
幾らカレに意地悪をしていたって、体に触れられてまで無視を決め込むことなどできないだろう。
「あれ? 」
触れなかった。否、確かに、触れている様だが、その感覚が無い。どんなに力を入れても、相手の体はビクともしない。
「どういうことだ? 」
ヘテは怖くなった。そっぽを向いて、駆けだした。
なりふり構わず走るヘテなのに、街ゆく人々は、全くカレを見つける様子が無い。ぶつかる──ぶつかっていない。ただ、道端の石ころには
目的も無く進んでいたヘテだったが、気がついたら、家の前で立ち止まっていた。
皆、書記学校やら仕事場やらに出掛けているのだろうか。家の中は静かだ。
しかし、ここが死後の世界であるとしたら、この中には、カレが愛した “妻のディン” がいるはずだ。黒い大きな瞳が、カレの帰りを待っている。
ヘテは大きく息を吸い、玄関の間に入った。
「で、いらっしゃらなかったんですね」
「そうだ。家に居たのは、書記学校へ通わせていた乙息子ひとりだけ。あの子は生きているはずだ。ワタシが死んだ その日も、奴は ピンピン していたからな」
ヘテは息子のことを思い出しているのだろうか? 優しい微笑みを見せた。が、すぐに ズン と暗い表情を浮かべると、先を続けた。
「いよいよ恐ろしくなって、ワタシは、│ジブンの
誰か、ワタシに気がついてくれ。幾らヘテが祈っても、現実は無常に過ぎて行った。
「その内、娘たちも、ミイラとなって運ばれて来た。それ以来、ここには誰も来ていない」
絶望の最中、姿を現わしたのが、カレの愛猫であるディンだった。
棺に納まるミイラだったディンは、
「ディンが再びワタシの
カレの元にディンが帰ってきた その頃から、ヘテの心に、新しい願望が宿っていた。
「その、願望とは、何ですか? 」
ソジュンに尋ねられたヘテは、照れくさそうに笑いながら、しかし、真剣に、こう答えた。
「ワタシはね、月に、帰りたいのだよ」
「月に──……」
その時だった。
部屋の入り口から、真っ赤な灯りが差し込んできた。ソジュンが屈んで歩いてきた通路の方だ。
何人もの男の声が聞こえる。
皆、口々に何かを叫んでいる。
「な、何だ? 」
ソジュンが言うと、ヘテが、「まずい! 」と大声を出した。
「君、石の蓋を閉めてこなかっただろう! 」
「あっ」
そう言えば、通路の狭さに気を取られていて、閉めるのを忘れていた。
「墓泥棒だと、街の奴らが君を探しているぞ! ほら、こっちに隠れろ。あっ! 」
松明に灯された真っ赤な炎と、屈強な男たちが、入り口に立ちふさがっていた。
正義の光は、
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