第4話『誘う猫と砂漠の石』

 午後8時。

 4号車の出入り口から地面に降ろされたステップの周りには、従業員たちが集まっていた。これから ひとりで見知らぬ土地を探索する、ソジュンを案じてのことだ。

「十分に気を付けるのよ。トニは あんなことを言っていたけれど、危険なことがあったら、走って帰ってきていいんだから! 」

「ありがとうございます、レアさん。皆さんも、お見送りをありがとうございます。では、行ってきます」

 特別につくろって貰った、黒い外套がいとうに身を包んだソジュンは、従業員たちに一礼すると、夜の砂漠を歩みだした。

「気を付けるのよ! 」

 そう叫ぶレアの声を、背中に受け止めて。


 何も無い平坦な道をしばらく歩いて、ソジュンは立ち止まった。重たい外套の中に仕舞い込んだ、ポシェットの中を グルグル とき回す。

「確か、この辺に──あった! 」

 掴み出した物は、小さな巾着袋に入れられた懐炉かいろだった。出かける前、念の為にと お湯を入れて来て良かった、と、ソジュンは自分の知識に感謝をした。

 何時だったか、書籍で、砂漠の夜は えらく冷えるのだと読んだことがあったのだ。

「あの本の言う通り、まだ10月だというのに、まるで真冬だ。靴下も重ねた方が良さそうだな」

 ソジュンは独り言を言って、周囲に目を凝らした。つい数分前までいた汽車が、もう あんなに小さく見える。

 汽車は普通の人には見えないと言われているが、絶対という保証も無い。

 心配性で慎重なソジュンは、暗闇の中でも懐中電灯を点けずにいたが、ここまで来たら大丈夫そうだ。砂でできた小山が遠くまで続いている。小さな灯りは山が遮ってくれるだろう。

 ソジュンは、体勢を低くし、近くの小山の影に隠れると、ポシェットの中から靴下を取り出し、急いで履いた。

「これで良し。少しはマシになったぞ」

 また、誰にでも無くつぶやいて、立ち上がろうとした時だった。

「ミャオンっ! 」

 近くで、猫が鳴く声が聞こえた。

「ね、猫⁉ 」

「ミャオンっ! 」

 ソジュンが驚いている間にも、猫の鳴き声は どんどん近づいてきている。

「ど、どこにいるんだい? 」

「ミャオンっ! 」

「わっ! 」

 懐中電灯の光の中に、飛び込んできたのは、1匹の猫だった。

「ミャオンっ! 」

 しかし、その猫は、ただの猫では無かった。

「な、何だ、この猫⁉ 」

 全身は茶色くせこけ、毛は1本も生えていなかった。その代わりとでも言う様に、グルグル と包帯が貼り付くように巻かれていた。この見た目、まさか──……

「ミ、ミイラ、なのか⁉ 」

「ミャオンっ! 」

 ミイラの猫は、「そうだよ! 」と返事する様に、元気良く鳴いた。

 大体の人間なら、腰を抜かしてしまう場面だろう。だが、ソジュンはそうではなかった。

 猫がミイラと知るや否や、パッ と表情を明るくして、それに近寄った。

「この国では、かつて、猫が特別に大切にされていたと読んだことがある。ねえ、キミ。キミは、この土地について、何か知っているかい? どんなことでもいいんだよ」

 尋ねると、ミイラ猫は「ミャオン」と背を向けた。懐中電灯が照らす先へ、二、三歩 歩いて、振り返り、もう一度「ミャオン」と鳴いた。

「ついて来い、と言っているんだね。分かったよ……うう、寒いっ」

 外套の襟元えりもとを手繰り寄せると、注意深く、歩を進めた。


 ミイラ猫は、目印の無い砂漠の道を、迷うことなく進んで行った。

 そのうち、砂の山に紛れて、四角い建物の群れが見えはじめた。

「ちょ、ちょっと! 僕は確かに、この土地のことを知りたい、と言ったよ。言ったけど──」

 ソジュンが恐れているのを、知ってか知らずか。ミイラ猫は立ち止まりそうな彼を勇気づけるかの様に、「ミャオンっ! 」と甲高い声で鳴いた。腐り切った体を彼の足に擦り付け、ゴロゴロ と気持ち良さそうに喉を鳴らした。

 そのおぞましく愛くるしい姿に、ソジュンは溜息を吐いた。

「はあ、分かった。分かったよ。キミに従うよ」

 懐中電灯のスイッチを消し、外套のフードを深く被ったソジュンを見て、ミイラ猫は機嫌良く また歩き始めた。が、すぐに足を止めた。

 建物の群れから少し離れた、砂だけで何もない場所。しかし、どうやら、ここが目的地の様だ。ミイラ猫は、ある1点を見つめたまま、「ミャオンっ! 」と、ひと鳴きした。

 ソジュンは猫が見つめる場所に近付き、確認した。

 そこには まな板みたいな石が、地面に放られる様にして置かれていた。

「何だろう、これ? 」

 ソジュンが呟くと、ミイラ猫は、石の周りを掘る様な仕草を見せた。

「この下に、何かあるの? 」

「ミャオンっ! 」

 ソジュンの言葉にミイラ猫は頷く様に鳴くと、石の中に、文字通り “吸い込まれていって” しまった。

「おや、行ってしまった」

 普通の人なら、驚くところだろう。だが、ソジュンはそうではなかった。

 石の下に何かあるに違いない。

 ソジュンは、石を何とかどかせないものか、と考え始めた。

 上に持ち上げようとしてみた。重たくて持ち上げることができない。

 横から押してみた。ビクともしない。

「押して駄目なら、引いてみろ、だ! 」

 ソジュンは両手で石を掴むと、体全身を後ろに傾けた。

 ズルリ。

 動いた!

「やった! 」

 石の下には、浅い穴があった。

「いや」

 穴、とうより、“空間” と表現した方が正しいのだろう。明かりも無い その空間は、横に ずっと広がっていて、奥は真っ暗で何も見えなかった。

「何だ、ここは──」

 ソジュンは懐中電灯を拾うと、暗闇へ潜って行った。

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