第2話『ぽんこつコックとなやみごと』

 食堂車の扉を開けて、リクは すぐに異変に気がついた。

 いつもなら この時間、客人たちの昼食を用意する為に、調理室にこもっているはずのウェイトレスふたりが、仕事もそっちのけで顔を見合わせていたからだ。

「ふたりとも、そんなところでどうしたの? 」

 リクは困った表情のウェイトレスたちに声を掛けた。

 手入れの行き届いた金髪を丁寧に巻いた “レア” と、褐色かっしょくの肌が美しい “ゾーイ” だ。

 リクの声に真っ先に反応したのはレアで、彼女は整った愛らしい顔を、華やかな笑みでいっぱいにして近付いてきた。

「リクう、待っていたのよ! もう、大変なんだからっ! ジェイの様子が変なのよ」

「うん、それはトニから聞いたよ。それで、どういう風に変なの? 」

 リクが聞くと、今度はゾーイが答えた。

「それがね、今朝から、メモ帳を見てばかりなんだよ。私たちが、いくら声を掛けても、ほとんど反応が無くってね。返事の代わりに、溜息ばかりいてるって始末なんだ」

「どうしちゃったんだろう? 」

「それが知れたら、私たちだって困らないわよ」

 レアの返事に、「そうだよねえ」と、リクは腕を組んだ。

 そして、「とにかく私、様子を見て来るよ」と、ソジュンがいる調理室へ向かった。


 レアとゾーイの言う通りだった。ソジュンの様子は確かに変だ。

 調理台の上に分厚いメモ帳を開いて、険しい顔つきで ウンウン うなっている。いつも穏やかで、優しい表情しか見せない好青年なだけに、リクも思わず目を見開いた。

 調理室の扉として取り付けられた、アコーディオンカーテンを そっと閉めたリクは、忍び足で彼に近付くと、ささやく様にして声を掛けた。

「ジェイ、どうしたの? 」

「う、うわあっ! 」

 リクが思い付いた最大限の気遣きづかいは、逆効果だったらしい。踏み台に座っていたソジュンは、背中から地面に転げ落ちてしまった。「いてっ! 」

「ご、ごめん! 驚かさない様にって、小さい声で話しかけてみたんだけど」

「気を遣ってくれるのは有難いけど、これはビックリするよ! いたたたた──」ソジュンは、背中を擦りながら言った。「ところで、どうしたの? 何か用事かな? 」

「“どうしたの? ” は、こっちの台詞だよ」と、リクは唇をとがらせた。「そろそろ、お昼ご飯の時間なのに」

「え⁉ もう、そんな時間だったの? 教えてくれてありがとう。レアさんたちは? 」

 リクの言葉に、ソジュンは半ば飛び上がる様にして立ち上がった。

「食堂にいるよ。ジェイが いつもと違うって、声を掛けられなかったんだって」

「いつもと違う? そうかな」

 ソジュンは言いながら、目を キョロキョロ と泳がせた。リクは、その様子を見逃さなかった。

「何かあったの? 言えないことなの? 」

 静かなリクの問い掛けに、一度は、「いや、その──」と言い訳を考えたソジュンだったが観念した様だ。大きく息を吐きだし、そのままうつむいてしまった。

「言えないこと、というか、恥ずかしくて、とても言いたくないんだ」モゴモゴ と言った。「もしかして、心配させちゃっているのかな? 」

「させちゃってるよ。あのトニでさえ、ジェイの様子がおかしいって、私に原因を聞いて来るようにって」

「指揮官も。そうか──」ソジュンは、力無くうなずくと、「迷惑を掛けたい訳では、無いんだけどなあ」とつぶやいた。

「それにしても」と、リクへと視線を移す。

「リクは、凄いよ。もう指揮官から頼られているなんて。僕なんて、リクより先輩のはずなのに、一度だって何かを頼まれた事が無いよ。指示されることと言ったら、“危ないから、ひとりの時に火を使うのは止せ” くらいだよ」

 不器用な料理長は、そう言って、また ガックシ と項垂うなだれてしまった。

「僕だって、誰かに頼られたいなあ。僕はね、見れば分かると思うけれど、本当に頼りない奴なんだ。そんな自分を変えたいんだけど、何をどうやったって裏目にでてしまって。だから、こうやって、メモを見返して、自分を振り返ろうとしていたんだけど、やっぱり、どんなに考えたって、僕はいつまでも僕のままなんじゃないかってさ」

 恥ずかしいから、指揮官たちには言わないでね、と言うソジュンに、リクは「分かった」と頷いた。

「ジェイが言って欲しくないってことを、誰かに言うなんてしないよ」

「ありがとう」

 ソジュンは言うと、いつもの様に優しい笑顔を作った。

「リクに話したら、なんだか スッキリ したよ! それに、いつまでも クヨクヨ していても仕方が無いよね」

「そうだよ! まずは、目の前の事をやらなくちゃ! 」

 リクが返すと、ソジュンも、「そうだね」と更に目を細めた。

「よおし! やるぞ! これ以上、迷惑は掛けられないからね」

 そして、袖をまくった。


 やる気になったところまでは、良かった。

「本当に、どうしちゃったんだろう」

 リクは この有様を眺めて、ポロリ とこぼした。

 “これ以上、迷惑は掛けられない” と宣言したはずのソジュンは、空回りに空回りを重ねていた。

 料理長という役割にも関わらず、汽車に乗るまで料理を一切したことが無かったソジュンは、ウェイトレスたちの指示の下、日々働いていた。が、今回、ゾーイの、「スープを作ろうと思ってるの」という言葉を聞くや否や、水を張った鍋に、まだ洗っても切ってもいない野菜たちを、全部 投げ入れてしまった。

 その様子を見かねたゾーイから、本日の調理係を解任され、食堂でテーブルセッティングをしていたリクの手伝いに回されたのだが、ソジュンは、準備の整ったテーブルを拭き、リクにそれを指摘されても、「ごめんね」と言って、また、支度の終わったテーブルを拭いてしまうのだった。

 昼食の時間になり、乗客たちがテーブルを埋めていく中、ソジュンは配膳はいぜんの仕事を任された。

 ここに至るまでに、2度の失敗をしていたソジュンは、いよいよあせっていたに違いない。

 レアが止めているにも関わらず、「大丈夫ですから! 」と、スープが入ったプレートを、2本の腕に4つも5つも乗せて行こうとして、案の定、それらを全て ひっくり返してしまった。


「もう、いい加減にして頂戴! 」

 乗客が去った食堂に、レアの甲高い声が響き渡った。

「ねえ、ジェイ。どうしちゃったのよ。普段の貴方では、考えられないミスよ。落ち着きなさい。冷静になって、振り返って見るといいわ」

「すみません。僕は、ただ──」

 レアに叱られ、ソジュンは ションボリ と肩を落とした。

「後片付けは、リクに手伝ってもらうわ。部屋に戻って、休んでいらっしゃい。少しは頭を冷やすべきよ」

 美しいウェイトレスは、彼にそれだけ言うと、そそくさと調理室に引っ込んでしまった。

「ジェイ、本当に、大丈夫? 」

 レアの背中がアコーディオンカーテンの中に消えたのを見ると、リクは隣で しょぼくれている料理長に尋ねた。彼は深くうつむいたまま、何度も首を上下に振り、「大丈夫だよ」と消え入りそうな声で答えた。

「レアさんの言う通り、僕は頭を冷やすべきだ。リク、仕事を押し付けちゃってごめんね」

「ううん、私は いいよ」

 リクが頭を振るのを見たソジュンは、情けない顔をした。「リクは、本当にしっかりしているね。僕とは大違いだ」

 そして、「レアさん、それに、ゾーイさんにも、僕が謝っていたって、伝えておいてくれるかな。じっくり反省してくるよ」と言い残し、フラフラ と食堂車から出て行った。

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