第15話 二ヶ月

三日目からはひたすらに勉強の日々だった。


モルド先生の教え方はうまく、時につまずきながらも順調に知識を身につけていった。

ケルバー語での日常会話は特に問題なくできるようになったし、専門書も辞書を片手になら読めるくらいにはなった。書くのは苦手だからつい日本語か英語を使ってしまうのだが、まあその気になればまとまった文章もかける。


ケルバー語が話せるようになってからは町に出て色んな人と話をした。価値観の違いをすりあわせるという目的だけでなく、多くの人と知り合って話をしたいという考えだ。


昔だったら人と話すのを面倒がっていただろうが、大学に入って一人暮らしを始めた辺りから人との繋がりというものの大切さがわかってきた。俺は一人で生きていけるほど強い人間ではないのだ。

幸い出自も相まって話題には事欠かない。ちょうどこの世界に来た日に転生者だからという理由で話しかけてきた人もいたくらいだしな。


冒険者や兵士、行商、休暇で訪れる研究者などとも知り合えたし、そのうち何人かとは仲良くなれた。出会いの話は後々することにしよう。


それと店主と知り合いになった店もいくつかあり、融通してもらったものもある。実験に必要なものなんかも安く買わせてもらった。

研究所に配属させてもらえば色々と用意はしてもらえるのだろうが、全部が全部既存の実験装置ではないだろうから、こうやって自作のノウハウを積み上げていくことも大事だ。それに簡単な実験に見えても案外きちんと条件を整えるのは難しいことが多い。総合的な実験技能を地道に高めることはいずれ役に立つだろう。


授業を受けている期間にいくつか自分で実験したこともあるのだが、具体的に実験したことは後で説明する。



専門の関係でこっちでの数式の書き方なんかも教えてもらった。転生者からの輸入知識が多いのか、元の世界と同じ記法のものもあったが、それ以前にできたらしい物は覚えるしかなかった。四則演算はもちろん、累乗とか平方根とか度数なんかも見知らぬ記号だ。


あとは単位系も新しく覚える必要があったが、基本は定数倍の違いなのでそこまで悩ましくはない。最も長さや温度の単位なんかは言われても換算しないとピンとこなくて困るのだが。


絶対温度や電磁気学の定数、ニュートン単位なんかは理論的な要請もあり元の世界と同じものが使われている。

さすがにある程度根付いてしまった単位を転生者の都合で変えることはできないか。日常はダメでも研究においてはSI単位系を使いたいのだが…。まあ理論屋にとっては定数倍の違いはそこまで気にすることでもない場合も多いか。



それと基本的な魔法なら全て何も見ないで詠唱できるまでになった。魔力自体の制御もかなり上達した自覚がある。例えば風魔法なら紙を飛ばす程度の風から、つむじ風までをコントロールできるようになった。


とはいえこれはまだ基礎能力の段階であり、スポーツなら体力作りだ。練習期間に対する練度は結構高めだという話だが、中学生くらいの年齢の平均的なレベルだ。まだまだ差は埋められない。


しかし魔法には結構適性があるようで助かった。研究のためには自分がちゃんと魔法を使えないと不便極まりないからな。

習得した魔法について、具体的な話は魔法を使う場面になったら説明しよう。



あとこれは自主的にしていることなのだが、柳さんに頼んで兵士の体力作りにも参加させてもらった。町の人と色々話をするのだが、やはりこの世界はかなり物騒なようだ。だから最低限自分の身を守れるくらいにはなっておこうと思い、鍛えることにした。

まあそもそも機械設備が充実していないから日常生活やこれからの実験のためにも基礎体力が必要だという理由も大きい。基本的に一般市民は歩いて移動するのだ。


身体能力を高める魔法もある程度は習得したが、そもそもある程度の体力がないと安定して運用することはできない。例えば筋力を高める魔法があるが、これはどちらかというといわゆる火事場の馬鹿力を引き出すことに近い。だからそのときはしのげても翌日は反動で全身筋肉痛とかはよくある話なのだそうだ。


ちなみに身体系の魔法はどうやって複雑な人体を制御していることやらといぶかしんでいたのだが、どうやらある程度は自動制御に頼っているらしい。一体何による制御なのかというと、脳による制御だ。それなら結局考えないと魔法を発動できないのではないかと思う人もいるかもしれないが、実際それに近いくらい高等なことを脳は他にも行っている。


例えば歩行だ。普通に考えてバランスを保ちながら二本の足の筋肉を適切に動かして前に進むということはとても難しい。実際元の世界でも人間の二足歩行を再現するロボットなんかはかなりの試行錯誤の上にようやくできた技術だった。


他にも視覚なんてものもある。目の筋肉を動かしてピントを調節し、光の信号をキャッチし、それを脳が統合して画像としての視覚をつくり、それを経験をもとに分析し、奥行きも判断する。これだけのことをやっているのだ。


つまりこれらと同じように、人体を魔法で操作するということが元々の脳の機能として備わっているおかげで現実的に使える魔法として存在してくれているというわけだ。


だが待って欲しい。俺は魔法がない世界から来たのだ。なぜそんな状態で他の人と同じように身体系の魔法が使えるのだ?


考えられることはいくつかある。一つ目は考えにくいが元の世界でも脳は人体をある程度把握していたという可能性。二つ目は魔法言語が何らかの方法で人類全体に組み込まれている可能性。これも考えにくいが。三つ目は転生者の脳が転生時に改造されている可能性。これは考えたくないことだが。


脳科学は詳しくない上に、転生者のデータは貴重だ。

それにそもそも気になって調べようにもこの世界の人にはそれが当たり前であるからあえて書いた物が少なく難しい。


いずれにしても魔法というものが思考及び脳と密接に結びついている以上、俺のやりたい研究にもいずれ関わってくることだろう。


ともかくこの辺は別分野の研究者に会えたときに是非とも聞いておきたい内容だ。



あとは空いた時間にしていたちょっとした実験だが、基本的には元の世界で成り立っていた基本的な法則の確認だ。

運動方程式及び三法則の確認とか、重力加速度の測定とか、肉眼での天体観測なんかを行った。


高かったが置き時計を手に入れられたので、秒数のカウントはなんとかできた。運良く時間の数え方については転生者がもたらしたものが根付いてくれているらしい。

とはいえ大きな国で単位の統一が進んでいるだけで場所によっては異なる単位系を採用しているところも多いらしい。


ただし長さの単位は全然知らない物だった。ヤードポンド法でも嫌になっていたというのに、全く知らないものがあると困ってしまう。一応身体に根ざした単位なので納得はしやすいが、まあ不便だ。

ということでリンさんに聞いてみたところ1メートルを測定した物差しを持っていてくれた。地球の直径から定めたやつだ。それをはかり取って当面は使わせてもらうことにした。


さて色々と準備はできたものの、さすがに厳密な測定は難しかった。運動方程式なんかは多少は確認しようとしたものの、一定の力を加えるというのがなかなかに難しく挫折した。


そこで最終的には物体を落下させて高さと落下時間の関係から加速度が質量に反比例することは確認できた。まあ感覚的にもその辺は同じだと思ってはいたが。

ついでに重力加速度も求められた。

結果は思った通りというかなんというか、9.8m/s^2だった。正確には測定誤差もあって9.9になってしまったが、まあここまで一致しているということはもう同じ値なのだろう。今度もっと厳密に実験してみても良さそうだ。


天体観測は肉眼で行ったが、夜は基本的に電気が無いのでかなりはっきりと見えて感動したのを覚えている。

元々星座は詳しくなかったが、見知ったものがいくつか見つかって星の配置まで一緒なのがわかった。魔法を見ていなければ同じ世界だと言われても信じてしまうな。


光の速さも測定してみたかったが結構大がかりになるので諦めた。代わりに光速度一定という実験結果は得ることができた。

ハーフミラーを用いて、地球の自転によるずれを光の干渉で観測できないか実験するものだ。ガラスは貴重だったし、ライトもなかなか見つからなかったが、一時的に貸してもらうという形でなんとか用意できた。


科学の実験というものがこの辺では珍しいようで、たまに見学者が集まってくることもあった。そのうち何人かは手伝ってくれたりもした。


これは科学で見世物をやればそこそこお金が取れるのでは…?


いや、お金を必死に稼ぐ必要はないんだった。


ともかくこれで相対性理論も成り立ちそうというところまでわかった。肝心の量子論だが、まあなんというか電気技術がもっと楽に使えないと難しいな。黒体放射さえ見られれば良いから製鉄所を覗いてみるというのもありか。


しかしなんとなく感じてはいたが元の世界との奇妙な一致が気になるところだ。新しい物理大系を学び直す必要が無いのはありがたいことなのだが。



そんなこんなでたくさんの知識を詰め込んで二ヶ月があっという間にすぎた。


この町でやれることはまだまだあったが、ひとまずは近くの研究施設に雇用される形になる。もっと大がかりな設備が必要になったときは都市の方に移動することになる。


しかしどうもこの町が気に入ってしまったので、週末にはたまに帰ってこようかなと思っている。

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