第14話 二日目の終わり

 食事を終えると柳さんに連れられて近くの公衆浴場のようなところに行くことになった。ケルバーには毎日入浴するような習慣はないが、それでも連日利用者は絶えないのだそうだ。


 しかしこの世界に来てから初めての風呂だ。


 なんか結果的に妙にすんなりこの状況を受け入れてしまったが、その理由としてこういう風呂を始めとした様々な文化がこっちにも用意されていることは大きいだろう。


 まずはこの世界でちゃんと生きて行けるようにならないといけない。色々な疑問はその後だ。



 柳さんについて行くと公衆浴場…いや、銭湯と言って良いだろう。明らかに日本風の銭湯がそこにはあった。


「...えらく日本風なんですね。」


「良いだろ?俺が要望を出したら気に入られて採用されたんだ。昔はたまに銭湯に通ってたからこういう場所だと懐かしく思えるんだ。」


「それでこんなレイアウトに…まさか富士山の絵とかありませんよね?」


「お、察しが良いな。もちろんあるぞ!」


「なんてベタな…。」


 思わず苦笑してしまったが、こういう景色を見ると落ち着くのは確かだ。最も周りの人は皆洋風の顔つきだから場所が違うというのも感じられるのだが。


 偉くなった転生者は自分の居たところの町並みを再現した人なんかもいるのだろうか。でもなんとなく、それはそれで寂しい気がする。



 脱衣所で脱いだ服をかごに入れていざ風呂へ。


 ちなみにタオルは若干肌に優しくない感じだったが、そう文句も言ってられまい。俺は持っていなかったので渡されていたお金で買っておいた。


「思っていたより広いです…。」


 一つお湯につかれる場所があるくらいかと思ったら滝湯や露天風呂、簡易的なサウナらしきところまであった。もちろん後ろには大きな富士山が描いてあった。


「ここまで用意するのは大変だったんだぞ?予定通りの費用じゃ足りなかったから俺もポケットマネーからいくらか出して補ってやっと作れた。転生者以外にも風呂の良さを知るいろんな人から協力してもらって作り上げたものだ。存分に楽しんでくれよ?」


 そう言いながら俺の前を行く柳さんはやはりすごい筋肉で、傷跡もたくさんあった。周りにもがっちりした人は多くいたが、その中でも上位に入るくらいの肉体だった。

 さっきあの巨大オオカミなら倒せると言ったのも納得できる身体だ。


「この世界でここまでのものが見られるとは思いませんでしたよ。

 ところで傷跡って魔法で治せないんですか?」


「治癒魔法はあくまで身体の自然な再生を促進するだけで、傷を元通りにするものじゃないんだ。まあ俺はあんまり詳しくないから別の人に聞くといいぞ。

 そうだせっかくだし露天風呂に行くか。夜景は見られないが星は綺麗だぞ。」


「はい。」


 そうか、じゃあ欠損した場合治癒魔法ではどうにもならないのか。断面が綺麗ならなんとかつなぎ直せたりもするかもしれないが、普通は無理か。

 この調子だと外傷はなんとかなっても病気は種類によってはどうにもならないんじゃないか?風邪なら魔法で体温を上げてウィルスを殺したりできるだろうか。さすがに負荷が大きすぎるか。


「お、今日は満月か。」


 考え事をしながらついていくと、外には満月と満点の星空が並んでいた。


「こうして月を見ているとなんだか同じ世界みたいに思えてきます。」


「そうだな。月は今も昔も、こっちの世界もあっちの世界も同じだ。」


 そう話しながら二人でゆっくりと湯船に浸かる。


 実に二日ぶりの風呂だ。

 たった二日、されど二日ぶりの風呂はじんわりと身にしみるようだった。


「…俺、これからやっていけるでしょうか。」


「不安なのは良くわかる。俺もそうだった。だけどよ。」


 柳さんは両腕を湯船から出してゆったりと広げてこう言った。


「今目の前にないものを怖がっていても仕方ない。結局俺たちが相手にできるのは今だ。未来なんてものはそのときの俺がなんとかするさ。そんな不安も忘れるくらい、必死に今を生きて行けば良いのさ。」


 少し元気をもらえた気がした。




 その後気になったことがあって柳さんに聞いた。


「柳さんって15年前にこっちに来たって聞きましたがそのときの日本って西暦何年でしたか?」


「あぁ、そのことか。こっちとあっちでは時間の流れは同じだぞ。」


 聞いてみれば確かに俺がここに来る15年前だった。


 しかし物理法則が異なる時点で明らかに別の宇宙っぽいのに時間を共有しているものなのか?そもそも転生するときに別の宇宙に一瞬で移動できるのか?こっちでの相対性理論ってあっちの理論が通用するのか?


 正直謎が多すぎて転生については生きているうちに解明できる自信が無い。でもリンさんを始め、元の世界に戻りたい人々のためにも頑張りたいものだ。


「どうした?」


「いえ、時間が共有されてるのってすごく不思議なことだと思って。」


「そうなのか?」


「うーん、柳さんって浦島効果って知ってますか?」


「速く動く物の時間が早く進むか遅く進むか…みたいなやつだっけ?」


「それです。相対性理論によると動く物の時間を見ると時間が遅れているように見えるんです。まあ加速が絡んでくるともっと複雑なんですが。要は明らかに別世界みたいなところに来ているのに、その移動の過程でずれが無いのが不思議なんですよ。」


「よくわからんが、転生して来た人は全員気づいたらこの世界のどこかで倒れてたって話だ。途中の記憶でもあれば何かわかるかもしれないんだが。」


「…そうですか。しかしそれはそれでヒントになりそうですね。」


 まあ大規模移動だろうし人に知覚できる手法とも思えないが。

 別の宇宙というよりパラレルワールドととらえるなら、何かローコストで行き来する手段があるのかもしれない。それとも俗に言う魂とかが転移してきたとか?そんなわけないだろう。


 よく考えればみんな同じ時間のずれ方をしているから気づけないだけで、今このとき地球では俺が転生してから何万年と経っているという可能性もある。これが一番可能性が高いかもしれない…。


 そんなふうに考え事をしていると急に柳さんが優しく笑ったので驚いて思考を切り上げた。


「いやすまん。急にお前が生き生きして見えたものでな。俺にはよくわからないがお前はこういうこと考えるのが好きなんだな。好きなことやってる人間を見るとこっちまで嬉しくなる。」


「えぇ、俺は好きですよ。考えるのが。」


「そうかそうか。研究者になるの、俺も応援してるからな!」


 柳さんは素敵な心を持っているんだな。この人には元気をもらってばかりだ。いつか返せるだろうか。




 しばらく話をしてから俺は柳さんと別れて自室に戻ることにした。


「じゃあまたな。考えるのも良いけどケルバー語もちゃんと習得しろよ!」


「もちろんです。それじゃあ。」


 また明日食堂かどこかで会えるだろうか。



 自室に着くとまだ8時前くらいだろうにもう若干眠くなってしまった。


 一応ライトはあるが、部屋全体が明るくならないとなんとなくもう夜中という感じがしてしまう。まあ元の世界では夜中まで起きて寝不足なことも多かったから、せっかくだしこの世界の健康的な生き方に合わせてみようかな。


 日の出とともに目覚め、日没とともに眠る。なんて素晴らしい生活リズムだろうか。


 とはいえ寝る前にできるだけ情報を詰め込んでおきたいのでケルバー語の教科書を開いて今日学んだことの復習をする。あとは適当な魔法…物を浮かせる魔法の練習をする。まずはきちんと自分で魔力を制御できるようにするのが目標だ。


 人の脳は寝ている間に記憶を整理するだけでなく、日中練習していた動作も知らないうちに練習しているのだそうだ。だから寝る前に色々やる。


 そうこうしているうちに教科書の文字を何度読んでも頭に入らなくなってきた。

 そろそろ寝るか。


 振り返ってみると二日目にしてなかなかの濃さだったな。この時間に眠くなるのも納得だ。


 明日から本格的に勉強が始まるから気合いを入れておかないと。ちょっとした実験なんかもしてみようか。そういえば目覚ましがないけど朝ちゃんと起きられるだろうか。


 そんなことをぼんやりと考えているうちに俺は眠ってしまっていた。



 起きたときには忘れてしまっていたが、その日俺は元の世界で大学にいる夢を見た。

 もう遠く離れてしまった場所の夢を。

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