第8話 魔法

 食事を終えると俺は柳さんに連れられて近くの広場みたいな場所に来た。


 ちょっと待っていろと言われてその場で待っていると、柳さんが右手に手のひらサイズの石を持ってきて地面に置いた。


「いいか、これから魔法でこの石を浮かせてやる。」


 確か石を浮かせるのはローランさんもやってたな。魔法はイメージで使えると言われたが一体どんなイメージなのだろうか。


 例えば物体に直接力を加えられたりするのだろうか。


「どんな現象をイメージするんですか?」


「そこまでわかってるなら話が早いな。直接力を加えるイメージではだめだ。我々が操作できる対象は限られているようで、今回の場合は空気を使って物体を押す必要がある。」


 要はサンドボックスみたいに物体に直接速度や加速度を与えられるのではないのか。


 ん?だが根本的には空気に速度を与えていることにならないか?


 …この辺は要検討だな。


「もう一つ具体例を聞いてみたいのですが、火を使いたいときは火をイメージするんですか?それとも分子の加速?酸化反応?」


「まず言っておくと温度は上げられても燃えるものが無けりゃ火はつかない。燃えるものがあるのならそれを燃やすイメージさえすれば火はつく。

 だがお前が言っているのはその本質的な現象をイメージしなくてもいいのかということだろう。俺は試したことがないがな。この際試してみるか?」


「わざわざすみません。本筋以外のことまで聞いてしまって。」


「いや、俺も気になることだ。魔法研究の方には疎いもんでな。俺は知らないが研究者ならこういうことも知ってるんじゃないか?」


 そう言いながら柳さんは小さな木の枝を二本拾ってきた。

「まずは普通に火をつけるイメージでやる。

 イメージできれば詠唱はなんでもいいんだが…慣れてるからケルバー語でやらせてもらうぞ。枝の先に熱を加え発火しろ、みたいな意味だ。」


 そう言うと柳さんはケルバー語で詠唱を始めた。そして唱え終わると枝の先に小さな火がついた。


 おぉ。本当に何もないのに発火した。


「こんなもんだな。食堂でも言ったがイメージしながら魔力を動かして作用させたい場所に流し込むんだ。じゃあ次は分子を高速で動かすイメージでやってみるか。」


 すると今度はまた違う言い方で詠唱を始めた。詠唱が終わると明らかに周りの気温が上がったのを感じた。


「あーこれは失敗だ。一回目で分子の加速が足りなくて熱が不足していたようだったから追加していったらその間に漏れ出て行っちまった。もう一回だ。」


 そう言ってもう一度行うが、うまく発動しない。


「もっと狭めないとだめか?難しいもんだな。」


「発火に必要な温度となると相当じゃないですか?千度は行かなくても数百度はいるはずです。」


「そうなるとそれだけの温度になる分子の速度を明確にイメージした方が良いのかもしれないが、パッと計算できるか?」


「量子統計力学専攻なんですから任せてください。でも暗算じゃなぁ。」


 とりあえず忍ばせておいた紙を取り出して計算を始める。


 えーっとボルツマン定数が大体1.4×10^-23で、それと温度の積が運動エネルギーに等しいから…大体600Kと見積もって…空気の平均質量いくつだ?


 1molの空気当たりの質量を窒素に近似して28gだから一分子当たりは…なんだこれめちゃくちゃ面倒だな。


 これは参った。物理定数がわからないとやたら計算が面倒だ。


 俺が暗記していない値で、この世界で調べられてないやつだったら最悪調べ直しか。

 異世界だったら単位系の問題もあるよな…先が思いやられる。


 まあそんなこんなで苦戦しながらも求められた。600m/sだ。


「わかりました。秒速600mです。」


「そんなに速いのか。じゃあ前に思ったより速く…そしてより狭く…。」


 また詠唱を始めた。そして今度はついに火をつけることに成功した。


「ついたぞ!本当にこの方法でもできるのか。」


「できるとは思いましたが本当にできてしまうんですね。火をつけるイメージではやってませんよね?」


「あぁ、分子をひたすら加速していくイメージだけでやった。」


 なるほど、現象の結果をイメージするだけでも実現できるし、過程をうまく再現しても実現できるのか。


 …となるとなぜ力を加えるイメージでは物体を加速できないのかが謎になる。


 なんというか、融通が利くのか利かないのかはっきりしない。


「あぁ本題を忘れるところだった。魔法を教えるんだった。」


「そうでした。」


「気を取り直してこの石を浮かべてやる。詠唱は日本語でやろう。別に詠唱しなくてもいいが、やった方がプロセスはわかりやすいだろう。」


 枝についた火を消し終わるとこっちに向き直った柳さんがこう言った。


 さっき置いた石の前に立ち、日本語で詠唱を始める。


「空気を集めこの小石を持ち上げよ。」


 柳さんが唱え終わると風が起こって周囲の空気が動き、カタカタと揺れていた石が浮かび上がった。若干不安定だが何も触れていないのに浮かび上がっている。


 いや、空気が触れているのか。


 ローランさんがやったときは細かいことに気づけなかったが、今なら空気を操作して起こした現象だとはっきりわかる。


「制御が難しいからあまり使い勝手は良くないんだがな。うまくやれば小石が銃弾になる強力な魔法だ。」


 そう言い終わると魔法が切れた石が軽く音を立てて落下した。


「さて、詠唱とイメージは教えた。だがこんなことは本を読めばわかる。これからやることはお前の体に無理矢理魔力を流すという行為だ。」


「それって大丈夫なんですか!?」


「自分の意志外の魔力があると魔力の流れが阻害される。そこを無理矢理流そうとすることでお前の魔力を動かす。それの流れをつかめ。

 本来は治癒魔術を使うときに似たようなことをするんだが、そのとき被術者は意図的に自分の魔力の干渉を押さえてやって抵抗なく他人の魔法が入っていくようにする。

 そこを無理矢理流すってだけだ。心配するな。」


 柳さんは豪快に笑うが俺には不安しかない。内臓とかグチャグチャにされるんじゃないだろうな?


「そう怖がるな、魔力は魔力、身体は身体だ。傷はつかん。」


 そう言って柳さんは俺の腹部に軽く手を当てると、無言で何かイメージし始めた。


 そのとき俺の中に今までになかった違和感が走った。


 なんだろう…気の流れとでも言うのだろうか。動いているのはわかるのだがそれが自分の意志ではないのもわかる。


「どうだ?なんとなくわかるだろ?それをつかむんだ。」


「はい…つかもうとしているのですが難しくて…。」


 俺は目を閉じてさらに集中しようとする。


 だが、難しい。一瞬動かせてもまるで筋肉が痙攣するような感じで、いわゆる操作からはほど遠い。


 脳の使ったことがない部分が動いているのを感じる。


 感覚に集中し、それを操作する…。



 そうしてしばらく経った後、急に鳴った鐘の音に俺の集中は途切れる。


「悪い、もうこんな時間か。これから俺は仕事があるから行かないといけない。また夕飯時にでも会えたらいいな。それじゃまた。頑張れよ!」


「ありがとうございました。」


 そう言って柳さんを見送る。


 結局流れをつかむことはできなかった。


 感覚を忘れないうちに練習しておきたいから昼までちょっとやってみるか。


 そうして俺はその場に残って一人魔力を動かす練習をする。ピクピクと動かすことはできているから、それを制御していくことを目指す。感覚としてはもう一本の腕を動かすみたいな感じだろうか?




 そのまま一時間ほどの練習の後、ついに俺は魔力を大雑把にだが動かすことができるようになっていた。


 流す魔力の量はうまく制御できないが、とにかく全体的に位置を変えることはできるようになった。


 イメージを持ち、魔力を流しさえすれば魔法は発動できる。


 とりあえずやるだけやってみよう。


 そう思って俺は柳さんが浮かせていた小石に意識を向ける。


 空気で下から持ち上げるイメージで、右手に魔力を詰め込む。その右手から作用させたい位置…小石の周りに向けて魔力を流し込もうとする。


 目を閉じて集中していくと、魔力が手から外に抜けて行く感覚を覚えた。


 驚いて目を開けると、小石がさっき見たようにカタカタと震え始め、やがて自分の背丈より高く飛び上がって目の前に落ちた。


 安定はさせられずすぐに落としてしまったようだが、今起こしたことは紛れもない魔法だ。


 石を浮かせる。


 これが俺の初めて使った魔法だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る