東寺(真言宗)

島尾

圧巻

 京都には大量に寺があることは、日本の全国民が知っている。私もその一人であり、その日は真言宗の三つの寺を巡ろうと思っていた。


 神護寺、妙心寺、東寺とうじだ。


 特に理由はない、なんとなく選んだだけだ。


 順番をどうしようか迷って、結局駅から最も近い東寺に決めた。


 ここで、私が東寺の素晴らしさを記す必要があるだろうか? 私が感じた印象はもちろんあるけれど、それが他者を満足させることはさほどないだろう。別のブログや、もしくは東寺のHPをご覧いただいた方がはるかに良いと思う。


 それよりも、私が経験した重大なことについて書く方が私もあなたも良い。


  *


 私は結果として東寺だけに行った。


 到着時刻が午後1時過ぎであり、他の寺を巡る時間が無かったというのは一つの無機質な理由だ。


 さて、もう一つの有機的理由は、私が寺というものに確実に感動したからである。講堂、金堂、五重塔、観智院、宝物館、大師堂。東寺ひとつを取っても、これだけ見どころがある。例えば講堂の大日如来さまは、云々……と感じさせられ、例えば観智院の襖絵は云々……と感じさせられ、こういった具合に時間が過ぎ、大師堂にはあまり滞在できなかったという残念な結果であり、もう一回行ってみたいと思ったのである。


 いかに京都の巨大な寺がすさまじいのか知った。いかに自分の想像とかけ離れた規模だったのか知った。


 寺は、数を巡ることが重要ではないと改めて悟った。そこに潜む雰囲気を肌で感じるべきである。例えば、東寺の前に広がる砂利の広場で、TIKTOKの撮影に躍起になる3人がいた。私はこの3人をクズで愚かだと思った。しかし仏様とお大師様はこの愚かな者(私にはどうしてもそう見えたのだ!)にさえ慈悲の心でもって許すのであろう。


 仏様も、お大師様も、偉大である。


 最後に、私が紫蘇しそちゃを購入した、五重塔の横の小店のおばちゃんについて語ろう。


 おばちゃんは、最初店にいなかった。探していたら、むこうからヤカンを持って歩いて来た。おばちゃんが店に戻ったあと、私は紫蘇茶を注文した。おばちゃんはご丁寧にも試飲のための紫蘇茶をくれて、さらには八つ橋もくれた。最後に「おおきに」と言ってくれて、私は嬉しかった。その紫蘇茶は1,000円もしたけれど、嬉しかったのである。


 *


 寺だけではない、各々の名所においてその数を巡ることに私は反対する。ありとあらゆる魅力と発見を無視し、見たふうで実は何も見ていないにほぼ等しく、しかも後日彼らは「あのお寺マジすごかったわ~」などと知ったかぶりをするのだろう。そんなことで、何が理解できようか。それならば、でも見ておけばよい。


 次、京都に行くときも、一つに絞ろうと思う次第である。

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東寺(真言宗) 島尾 @shimaoshimao

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