【探偵と偶像】3/3
「えーっと。みなさんこんばんは。ナイトウォーカーズです」
舞台の上でも物怖じしないしっかりした声だった。その声を聞いた最前列のお客さんがざわざわとし始めた。そりゃそうだ。人気バンドの演奏を見にきたら、どこかの素人が我が物顔でセンターに立っているのだ。文句の一つでも言いたくなるだろう。
一体何をしているのだ。見てるこっちが恥ずかしくなるようなことはしないでくれよ、とエルメラルドは頭を抱えた。
「今晩はボーカルのアンナさんが体調不良ということで、突然ですが、わたしが代役として参加させていただきます」
その言葉に客席のざわめきが大きくなる。すると、ギターを持った亜人がサポートマイクを握りしめた。
「みんな、紹介するぜ。俺もまさかこんなところで会えるとは思わなかった、あとでサインもらっちゃお。今夜の特別サポートボーカル。歓楽街マジルキヨトが生んだ最高のアイドル! ライミィ・ウェスパイネだ!」
叫ぶと同時にドラムが賑やかしのシンバルを叩く。センターマイクの前に立つミライが帽子を取って観客席に投げた。
その瞬間、観客席の戸惑いのざわめきは爆発するような大歓声に変わった。女性の黄色い悲鳴。若者の雄叫び。スーパースターが現れたような大歓声だ。
「なんだなんだー!?」エルメラルドは声援の凄まじい圧力に吹き飛ばされそうになりびっくりした。
「じゃあ一曲目! リハも無しだから、スタンダードなこのナンバーから行ってみよう!」
ドラムがカウントを取って、ギターがイントロを奏でる。十数年前に流行った歌だ。誰でも知っている曲。ミライはマイクをスタンドから外して片手に持つ。イントロが終わると、マイクを持ったミライが笑顔で一歩前に踏み出した。
その涼やかで伸びのある歌声を聞いて、エルメラルドはようやく気がついた。
定食屋でオヤジが流していたラジオ。あのラジオで流れていたアイドルだ!
魔術都市サルカエスで今一番のアイドル。ライミィ・ウェスパイネ。金色の髪に青い瞳。ルックスも踊りも完璧のスーパーアイドル。
こんな観光地のマニアが集まるバルには不釣合いの王道アイドルが、亜人の演奏に足先でリズムを取りながら笑顔でボーカルを取っている。
さっきまでは気怠るく地味な男だか女だかわからない顔をしていたのに、ステージ上ではキラキラと眩しい輝きを放っていた。
普段着なのに、全然ステージ映えするメイクもしていないのに、サラサラの金髪を揺らし、青い瞳をウインクさせて、会場に元気を振りまいている。
曲は間奏に入る。ギターソロに合わせてミライがステップを踏む。歓声がまた一段と大きくなる。
先ほどのゴタゴタなど誰もが忘れるほど、一瞬で今夜は彼女のものになってしまった。
アイドルなんて、と馬鹿にしていたエルメラルドなのに、気がつけば自然と体がリズムに乗っていた。鼓膜を震わす彼女の歌声に心を揺さぶられている自分に気がついた。
ステージはあっという間に終わった。本当に一瞬だった。ステージの振る舞いはもちろん、曲の合間のトークも、ギターソロの最中の盛り上げ方も、完璧だった。
そうか、これがアイドルってやつなのか。こんなにも人を幸せで元気な気持ちにさせるのがアイドルなのか。
今まで馬鹿にするだけで観ようともしなかったアイドルのパフォーマンスに、なぜだか目頭が熱くなった。
「……どうだった?」
再び帽子を目深にかぶったミライが客の帰ったバーのカウンターに来てエルメラルドの隣にちょこんと座る。アンコールも合わせて三〇分ほどのステージを縦横無尽に駆け回ったというのに、彼女は息も切らしていなかった。
「今までアイドルのことを何も知らなかった。すまなかった。すごくよかったよ」
エルメラルドは正直に言って謝った。店はクローズになって従業員が掃除を始めていた。
「ふふふ。でしょー。あなたも探偵なら先入観を持たずに客観的に物事を見るんだよ?」
笑顔でミライは言った。
「反省するよ」エルメラルドが肩をすくめると、「ウソウソ」ともう一度ミライは笑った。
「楽しんでもらえたなら、それで満足だよ。あなたがサカキさんの無実を証明したから、わたしも何かしたくなっただけ」ペロッと舌を出す。
「でも、マジルキヨトのアイドルがなんでこんな街にいるんだ?」
「仕事。グラビア撮影とかライブとかね。でもその前にこの街でどんな音楽が流行ってるのか聞きたかったんだ」
そうだ。定食屋のオヤジが言っていたな。ライミ・ウェスパイネがこの街に来ると。
「いい街だね、アルムウォーレンって。わたし気に入っちゃった」
「そうかな。魔術後進都市だぞ。魔術具とか魔装製品とか、魔術ありきの便利な暮らしに慣れていると不便だと思うけどな」
「そうなんだ。でも、魔術って便利だけど、便利すぎて面白みにかけるじゃん。この街の熱気っていうか生命力みたいなのに、ちょっと惹かれるけどね」
「まあ人種の坩堝だからな。この街は」
「マジルキヨトは華やかだけど、なんとなく陰気な感じもするんだ。汚いものには蓋をして見栄えだけ飾ってるみたいなさ。魔法使いに対しての偏見だってすごいし、それに気がつかないでわたしも生きてきたし」
「魔法使いに対する偏見は消えたろ?」
「うん。サカキさん。彼女のために自分を犠牲にしようとしたり、うちの街の嫌味ったらしいエリート魔術士なんかよりよっぽど、かっこいいなって思ったよ。魔術士の方がよっぽど陰気だもん」
「ははは。違いない」
「……ウェスパイネさん。表口は人だかりが出来ちゃってダメです」
出口の様子を伺っていたマネジャーのライドが戻ってきた。
「もう少し待たれますか?」
「んー。あんまり長居するのも迷惑になっちゃうし、裏口とかあります? そこから出ちゃいます」
「わかりました。ちょっと確認してきます」
駆けていくライド。
「しかし、人気稼業も大変だな」
「変装なしじゃ外にも出られないしね。でも、ステージでみんなの笑顔が見れるだけでわたしは幸せだよ。毎日、仕事とか学校とか嫌なことがある人でも、ライブ中は明るい顔になれるじゃない。日々の面倒なことは、ひとまず横に置いておけるじゃん。わたしにはそのくらいしか出来ないけど、でもそういう時間や場所を提供していきたいなって思ってるんだ」
果実酒を口に運びながらミライが言った。清々しいプロの顔だった。
「あれ、そういやミライって名前は?」
「そっちが本名。ライミィは芸名だよ。あんまり本名を言うことないから秘密にしといてよ」
「秘密は守るさ」
「それもポリシー?」
「ああ」
「……裏口、大丈夫です!」
ライドが再び駆けてきて二人に言う。
「よし、じゃあ帰ろっか」
タンっとカウンター席から飛び降りてミライが笑った。
夜風が心地よい。飲み屋から出ると感じる、この空気が好きだった。
「ホテルまで送るよ。夜道を女性一人で歩かすのはポリシーに反する。酔っ払いのナンパ男をぶん殴る勝ち気な女性でもね」
「ふふふ。ありがと。ちょっと不安だったの」
石畳の路地を二人で歩く。アルムウォーレンは水の都だ。縦横に運河が流れ、アーチ橋がいたるところにかかっている。
人気の無い路地を歩く。
二人とも上機嫌で会話は弾んだ。だけど、少し声が大きすぎたかもしれない。
「……待て、誰かいる」
ミライを制止して、立ち止まる。
すると、目の前の脇道から人が出てきた。
ずらずらと四、五人の若者が道に出るなり二人を取り囲んだ。
「……やっと見つけたぜ」
声をかけられて足を止める。ファンが追いかけてきたのかと思ったが声の様子が違う。
「ハズランで世話になったな。覚えてろって言ったよなぁ? さっきのお返し、させてもらうぜ」
薄暗い道でわかりにくかったが、男たちの中央にいるのはバルでエルメラルドをナンパしてミライに殴られた男だった。
仲間を連れて意趣返しに来たというのか。
「あ、さっきのナンパ男」
ミライが言うとナンパ男はヘラヘラと薄汚く笑った。
「ネエちゃんヨォ。俺のことはふっておいて、そんな優男と一緒とは見る目がねえなぁ。なあ、お前ら、あの男をぶっ飛ばしたら、あの姉ちゃんと楽しむかぁ?」
周りの仲間と下品に笑い合う。またしても性別を間違えられたエルメラルドとミライである。
「おい、お前たち。何か勘違いをしているようだが、私は女では……」
エルメラルドが反論をしているというのに、ミライがその言葉を遮って前に出た。
「ふん。なんだ、一人じゃ敵わないからってお友達集めて来たってのか? ダッサイやつだね」
ステージの振る舞いとは打って変わってドスの効いた口調だった。
「あ、ちょっと。今は私が喋っている最中で……」
エルメラルドが口を挟むのだが、今度はナンパ男が彼の言葉を遮った。
「ああん? てめえ、舐めた口きけんのも今のうちだぞ」
男は唾を吐くと、懐から刃物を取り出した。
「丸腰の相手に刃物だなんて、ますますダサい男だ」
と、ミライは虚勢を張るがさすがに武器を目にして表情は硬い。
「……エルメラルドさん。逃げましょう。さすがにあの人数はわたしでも勝てない」
こそり、とエルメラルドに囁く。が、エルメラルドは黙って下を向いていて答えなかった。
「……エルメラルドさん?」
「怒ったぞ」
「え?」
「もういい。私が片付ける。こんな無法者に背中を見せるのは私のポリシーに反する」
顔を上げてナンパ男たちを睨みつける。
「何をカッコつけてんの。さっさと走るよ。あなた全然強そうじゃないし、体力なさそうだし、体細いし、筋肉なさそうだし。足も遅そうだし。わたしが囮になるから大丈夫よ」
ミライが呆れた声を出したが、エルメラルドはその言葉を無視する形で、一歩前に踏み出した。
「なんだ。ネェちゃん。お前が俺たちの相手をしてくれるってのか? いいぜ。たっぷり可愛がってやるよ」
ヘラヘラと笑うナンパ男と仲間たちに向けてエルメラルドは右手を挙げた。
「……うるさいっ。 私は男だ。さっきから気色の悪いことばかり言いやがって。その愚行! 自らの身を持って償え!」
エルメラルドが叫ぶと、彼の周囲の空気が揺れ始めた。伸ばした右手に大気を凝縮したような歪んだ空間が浮かび上がる。
「な、なんだコレは!?」
慌てふためく男たちに手のひらを向けると、エルメラルドが再び叫ぶ。
「くらえ! 虚空の刃!」
きらり、と手のひらが光ると、衝撃波が一陣の旋風の如き速度で男たちに襲いかかった。
「うわぁ! なんだコレ!?」
衝撃波は男たちを吹き飛ばす。ほうきに掃かれた落ち葉のように、男たちはなすすべも無く手足をばたつかせて宙を舞い、そして地面に激突した。
背中から、頭からと、受け身も取れずに石畳の道路に落ちた男たちは、沈痛な呻き声を挙げのたうちまわっている。
誰一人として立ち上がることはなかった。
「……ふん。手加減はしてやった。全治半年ってところだな」
エルメラルドは腕を組んで男たちを見下ろす。
「す、すごい!! 今の魔法? あなた魔法使いだったの?」
ミライが唖然としてエルメラルドと倒れる男たちを交互に見る。
「これは魔術だ。魔法じゃない」
「魔術……あなた魔術士だったの!? 全然見えない!」
「君も言っていたろ。人を見た目で判断しちゃいけないって。ったくなんだよ、弱そうとか足が遅そうとかめちゃくちゃ言いやがって」
「そうだったね。全然強そうに見えなかったから……。ごめん」
ミライがぺろりと舌を出した。
「まあいい。細かいことは気にしない。それが私の」
「ポリシーでしょ」
「うぐ、そうだ」
言葉を取られてエルメラルドは顔をしかめた。
ミライが宿泊しているホテルに着くと、ミライは走って部屋に戻り、チケットを二枚持ってフロントに戻ってきた。
「はい。今度のライブチケット。一応プレミアチケットだぞ。恋人とでも来てよ」
人懐っこい笑顔でエルメラルドを見る。
「恋人なんていないよ」と、受け取りながら答える。
「あら。じゃあ未来の恋人のステージってことで応援に来たら?」
思わぬ言葉に面食らっていると、ミライは悪戯っぽく舌を出していた。
「……まったく馬鹿を言うんじゃない。ま、気が向いたら見に行くよ」
「ふふふ。ありがと。今日は楽しかった」
笑顔のミライが「あっ」と何かを思い出した。
「そうだ。さっき魔術士が陰気とかって言ってごめん」
「ああ。そんなこと言ってたっけ? ま、間違いじゃないしな。魔術士連盟の陰湿さに嫌気が差したからこそ、私は魔術士であることを辞めて、こうしてクールでエレガントな私立探偵として生きているのだからな」
「人生色々あるもんね。わたしだってアイドルって職業について悩んだりすることもある。でも、今日のステージで久しぶりにお客さんがすぐ目の前にいるような狭いステージで歌わせてもらって、みんなの笑顔が近くでみれて、やっぱりアイドルをやっててよかったって思えたもの」
「ああ。そうだな。いろんな人がいて、いろんな職業があって、いろんな音楽があって、それでいいんだよな」
「うん。そうだね。じゃあ、これで。送ってくれてありがとう。いつか何か困ったことがあったらあなたの探偵事務所に頼りに行くから」
「ああ。いつでも訪ねて来てくれ。知り合い特価で請け負うよ」
握手をして、エルメラルドはミライと別れた。夜風は心地よく、たまにはこういう金にならないドタバタも悪くないな、とエルメラルドは思った。
エルメラルドは結局ライブには行かなかった。行けなかった。ハズランの一件で少々有名になり依頼が殺到したからだ。
とは言っても、浮気調査や逃げたペットの捜索など、大した案件ではなかったのだが。
そして、彼が再び彼女と会うこともなかった。
☆
晴れた日の午後。おしゃれな水上都市とは場違いな路地裏の小汚い定食屋で、男が頬杖を付いていた。
「ちょっと。おやっさん。ラーメンまだぁ?」
カウンターの中に声をかけると、店主は厨房からヒョイっと顔を出した。
「まったく、エルちゃんは相変わらずせっかちだねぇ。まだ注文受けてから一五分しか経ってないじゃないの」
「ラーメン一杯作るのに何分かけてんだよ。麺なんか三分で茹で上がるでしょうが」
「かー。コレだから素人は参っちまうんだよ。準備が色々あんの。ラジオでも聞いて待ってなさい」
そう言って店主は汚い
「ライミィちゃんの新曲か。あっ、でもエルちゃんはアイドルソングは嫌だったんだよな。チャンネル変えてやっから黙って待っててよ」
店主がチューニングのつまみを捻ろうと手を伸ばした時、
「待って」
男は店主を制止した。
「いいよ。そのチャンネルのままで」
「……なんだい、珍しいねえ。どういう心境の変化なんだい?」
悪いものでも食ったのかい、と店主は不思議そうに男を見る。
「いろんな音楽があって、いろんなお客さんがいて、それぞれが好きな音楽を楽しんでいて、音楽は自由でいいって、そんな風に言った友人がいてね」
男はそう言って、ラジオから流れる彼女の声に耳を傾けた。こうしてちゃんと聞くとなかなかどうして、良い曲だった。
「ふうん。やっぱり悪いものでも食ったのか」
「うるさいなぁ。とっととラーメン作れっての」
男は自分以外に客のいない定食屋のカウンターで、あの夜の騒動を思い出しながら、店主に渡されたラーメンをすするのであった。
〈了〉
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